シュメールに遺された粘土板では「ギルガメッシュ叙事詩」が有名ですが、ティルムンに関しての叙述が多いことも、日本人が関係していたという状況証拠になると考えます。
例として、
・ティルムンは太陽の昇る土地にあり、計画的に区画された水路と井戸のおかげで穀物が豊かに実り、町には立派な穀物倉庫があった。
・ティルムンは平和そのもので、争いごとや病気のない清らかな国、人間がいつまでも若さを失わない輝かしい国だった。
なんだか里山か、江戸時代かといった情景描写ですね。
また、シュメール文明を滅ぼしたアッシリア帝国のセンナケリブ王の碑文には「大国ティルムンを攻撃した」ことや「黒頭人の国を破壊した」ことなどが記されています。
左が「ギルガメッシュ粘土板」で中と右が「センナケリブ王の碑文」です。
同じくアッシリア帝国の「サルゴン王」の碑文にも黒頭人のことが記されています。高橋良典さんの「太古、日本の王は世界を治めた」より転載させていただきます。
私は偉大な王、アッカド王サルゴン。
私は黒頭人を支配し、治めた。
黒頭人の大国を、私は青銅の斧で破壊した。
私は東方の国境を鎮め、西方の国境を突破した。
海国を三たび攻撃し、ティルムンを征服した。
私は大いなるデーリ市に赴き、ハジャルを破壊した。
センナケリブやサルゴンの碑文は、いずれも楔形文字から派生した後のアッシリア楔形文字で刻まれています。
6500年前のシュメール文明とは、すなわち縄文人の子孫「カラ(クル)族」が興した「ティルムン王朝」のことです。西から来たアッシリア人に乗っ取られ、その後、歴史も改ざんされて今日に至ります。
次は、インダス文明について見ていきます。
ここではまず日本の古文書「新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)」について説明します。これは平安時代初期の815年に嵯峨天皇の指示により作られた文書です。
内容は、古代氏族の出自証明書です。わかりやすくいうと各姓名別、例えば鈴木さんの先祖代々をさかのぼり、どこから来た人(一族)なのかが記されています。
ただし、漢字ばかりで大変読みづらく、当て字が多く難解な文書です。全1182氏姓が載っていますが、驚くべきことにその有力氏族の祖先のほとんどがインドから来たことが記されているのです。その中のひとつを紹介します。高橋良典さんの「謎の新撰姓氏録」から転載させていただきます。
八坂造 出自 狛国人 久留 川麻乃 意利佐 也
(やさかのみやっこ しゅつじ こまこくじん くる せんまえ おりさ なり)
これは、京都の祇園祭で名高い八坂神社の八坂氏(八坂造)の出生地(出自)は、
インドのオリッサ(意利佐)から、タイのチェンマイ(川麻乃)、
中国江南地方の呉(久留)、を経て日本に渡来したクル(カラ族)、つまり高麗人(狛国人)
であると記されているのです。
また同様に学問の神様として有名な菅原道真の菅原氏は、
インドのデカン高原のボーパール(穂日)、インドール(夷鳥)、ウジャイン(鵜濡渟)に住んでいたことが記されています。
ボーパールと穂日、発音が全然違う、似てないと思った人もいるでしょう。
遺跡の碑文や文字、古文書、古代文字などを解読する際、言語の発音や名前の違いなど、どのように変化したかを見つけることが重要な鍵となります。
発音の聞き取り方の違いの例として、何十年も前の日本では「アメリカ」の発音を「メリケン」と聞き取っていました。
次に意図的に固有名詞を変えること。これはアナグラムと言って音の順番を変えて、もとの音を隠すことです。例えば、タレントの「タモリ」さんの本名は「モリタ」です。
「鳥井さん」を「サントリイ」にして会社名にするなどの例もあります。
また、事件や事故の事実を使って、まるっきり違う歴史や神話などに作り替えることもあります。日本の場合は、さらに当て字が多くなります。例えば現在でも使っている「アメリカ」の当て字は「亜米利加」。暴走族が「よろしく」を「夜露死苦」と当て字にしています。戦国時代のキリスト教カトリック司祭のことを「パードレ」と発音しますが、当時の日本人は「バテレン」と聞き取りました。さらにそれを「伴天連」という文字で当て字にしました。これらのことを知らないと、文字や発音の解読をただの都合のいい解釈としか考えられないことになります。では、菅原氏の祖先が暮したインドの地名がどのように変化したのか見てみましょう。
Bhopal ボーパール ↓ l(エル)が取れて ↓ Bhopa ボパ ↓ なまって ホヒ ↓ 当て字 穂日 |
Indore インドール ↓ nが取れて ↓ Idore イドール ↓ なまって イトリ ↓ 当て字 夷鳥 |
Ujjain ウジャイン ↓ 語順が入れ替わり ↓ Ujjani ウジャニ ↓ なまって ウジュヌ ↓ 当て字 鵜濡渟 |
下図は、新撰姓氏録による古代氏族の居住地と東方への移動ルートです。
日本とインドを結ぶ、古代氏族の移動ルートに沿って調べてみると、祭りの習慣、衣食住の伝統、言葉、血液型、古墳文化、巨石文化など多岐にわたって共通点が見られます。
高橋さんの言葉を引用します。
もしも私の推測が間違っていなければ、インドのデカン高原には私たちの祖先が残した
日本の古代文字碑文が必ずあるはずだ。私はそれを確信していたからこそ、
1990年6月上旬、はるばるインドの地へやってきたのだ。
高橋さんの探検チームは、遺跡物に残された日本語(神代文字)を探しにインドに行かれました。つづく
補足。高麗人(こまじん、こうらいじん)とは、日本人のことです。現在、コウライとかコリアとか言っている朝鮮族ではありません。朝鮮族は日本のひとつの文明国を乗っ取った上で、そのままコウライはウリナラの歴史と言っている大ウソつきの泥棒種族になります。
太古、世界に散った縄文人の子孫のことを、世界の民は「カラ」「クル」「コマ」族と呼んでいました。一番東の最後に残った文明が高麗(こうらい)でした。