ルーツとは根源という意味です。昔のテレビドラマの影響により、祖先という使われ方で広く認識されるようになったと思います。
土日は栃木県の「喜連川(きつれがわ)」に行っておりました。
私の父方の祖父の代まで、喜連川に住んでおりました。今は親類縁者、誰も喜連川におりません。ただし同じ苗字の人は、この地に多く、地名にも残っています。
父方の苗字を、どこまで辿れるのか調べたことがあります。以下、推測も交えて紹介します。
まず北関東の縄文人です。その後に渡来人と混ざったと思われます。
実はこの渡来人、「渡来人」とひとくくりにしていますが、本当はたくさんの人種民族がいたそうです。私は、ユーラシア大陸に散って行った縄文人(ムー人)の子孫が、日本に戻って来ただけと思っておりましたが、それだけではなく、様々な人種が一緒に入って来たようです。肌の色だけで言うなら、白、赤、青、黄色、黒もいたのではないでしょうか。渡来人の侵入は2千5百年くらい前からです。
その後、大和朝廷なるものが作られます。そこの第28代「宣化(せんか)天皇」という人が、私が辿れた一番古い人です。西暦536年に天皇在位だそうです。厩戸皇子(聖徳太子)よりも数代前になります。
この宣化天皇の何代も後の子孫が北関東に流れてきます。そこで縄文人の子孫と混ざったと考えられます。そこで新たな苗字を名乗ります。「あくつ」というのは、湿地帯という意味です。北関東の湿地帯を苗字にしたのでしょう。
栃木を中心に、この苗字の子孫が広がっていきます。私の祖先はこの時、喜連川に定着しました。そして地侍として生き、源平合戦に参戦し、戦国、江戸を経て、大正バブルで東京に出て来ました。
東京に出てきた私の祖父の一家が、東京大空襲で生きたまま焼かれて亡くなりました。一家の生き残りが私の父になります。その父も私が十二の歳に病気で亡くなりました。
喜連川に来ると、そんな祖先の人たちの姿をのんびりと思い浮かべてみることになります。
喜連川とは、現在の荒川のことです。どこかで川の名前が変えられたのだと思います。
「きつれがわ」の名前の語源はいくつかあるようですが、私はこの川の辺りに狐がたくさん住んでいたから「きつねがわ」、なまって「きつれがわ」になった説に一番しっくり感じるものがあります。1465年の「足利義政御内緒」に「狐河」とでてきます。
下記が、私が撮影した喜連川です。
冒頭の写真は、曇る前の喜連川の空です。あまりにも青と白がきれいだったので写真に撮りました。
さて、宿では従業員さんたちの「なまり」の音が大変心地よく響きます。お笑い芸人の「U字工事」のような感じです。
なんだか「なまり」が消えたり、古い地名が消えたりするのはとても残念に思います。
これも民族消滅作戦のひとつなんでしょうね。
宿のテレビを点けるとワクチン、コロナ、感染、ウィルスのオンパレードです。すぐに消してしまいます。
ちなみに「道の駅」は大盛況の大混雑ぶりでした。
自分の行きたい所に行く。心が惹かれる土地に赴く。自粛とかステイホームは必要なし。
相手にせず。どんどん外に出て太陽の陽を浴びること。
「帰ってきたツバメ」や「人慣れしたスズメ」など、ふだん見落としている周りの出来事に触れることができます。了