李氏朝鮮時代の大きな出来事として豊臣秀吉の「朝鮮出兵」が挙げられます。

朝鮮では秀吉を極悪人のように教えているようですが、いつものごとくそれは朝鮮族による歴史捏造ファンタジーです。常に、いま目の前にあることだけしか見えず、それを歪曲化するということです。頭の中はいつもイリュージョン(幻想、錯覚)です。

飢饉で苦しんでいる朝鮮に秀吉が米を送っていたことも、朝鮮出兵の際には、多くの朝鮮民衆が日本側について見方になったことも、自分たちに都合の悪い事実は無視して隠して触れようともしません。目の前に起きたことだけではなく、大局を見る。つまり世界情勢と各国の動きや流れを知らなければ本当のことはわかりません。

この「朝鮮出兵」の本当の敵はスペインです。日本が秀吉が、スペインの極東アジア侵攻を未然に防いだということが朝鮮出兵の真相です。流れを見ていきます。

 

まずこの時代は、大航海時代の白人による植民地化政策真っ盛りの時代であるということです。アフリカもインドも東南アジア諸国も鉄砲という未知の武器により侵略され植民地化されました。鉄砲に対抗する武器を持っていなかったからです。

ところが日本は、種子島に辿り着いた鉄砲を見よう見まねで試作を繰り返し、量産してしいました。スペインのザビエルが来る頃には世界有数の鉄砲所有国になっていました。

ザビエルはこの鉄砲の量に驚いて「力ずくで日本を征服するのは困難である」とスペイン本国に書簡を送っています。

白人はよく、西洋の技術を劣等民族である日本人に教えてやったと言いますが、日本人の技術の方が遥かに上です。日本人に技術がないのではなく作る必要がなかったのです。鉄砲なんか必要なかった。しかし生来の好奇心で改良し量産し、性能の良さは外国銃を上回ってしまいました。逆に外国人が日本銃を欲しがる始末で、輸出までしてしまいます。蒸気式エンジンも提灯屋が図面だけで作ってしまったことも有名な話です。

日本が鉄砲を大量に所有していることを知っているスペインは、日本と戦えば分が悪いと分析し懐柔策を取ります。秀吉に、一緒に手を組み「明(みん)」を奪わないかと打診してきました。対する秀吉は、フィリピンにあるスペインの東アジア戦略本部基地へ「日本の子分として挨拶に来い」という書状を送ります。この当時、世界最強の大帝国であるスペインが従う訳がありません。スペインの目的は、あくまで明と日本の占領征服植民地化です。朝鮮は眼中にありません。明の属国だからです。国としては認められていません。

秀吉は知っていました。スペインが明を征服した場合、その後に両国が間違いなく日本を攻めに来ることを。

日本の危機を回避するにはスペインより先に明を日本の支配下におくことです。明まで攻め込めなくても、せめて朝鮮を押さえることによりスペイン軍による日本侵入を防ぐことができます。この場合、明と朝鮮に話をしても理解することができません。民族としてのレベルが低く自分の利益と保身ばかり考え大局が見えません。危機感ゼロです。目先の自分の物を奪われる恐怖と怒りで激しく抵抗するだけです。だから力ずくで押さえる他に方法はなかったのです。侵略されてからでは遅いのです。

これは後の明治や昭和時代におけるロシアの南下防衛政策とまったく同じことです。日本の安全保障上、絶対に必要なことだったのです。

 

1592年、秀吉は朝鮮に出兵しました。(文禄の役)

焦ったスペインは、フィリピンに居住する日本人を強制移住させました。これも後の第二次大戦(本当は大東亜戦争)時にアメリカが行った日系人強制収容と同じです。

スペインは秀吉と友好関係を結ぼうと使者を何度も送ります。秀吉も譲りません。

 

1596年、スペインの貨物船が土佐沖で難破しました。船員を取り調べたところ、スペインの謀略を聞き出すことに成功しました。それは秀吉との直接交渉は止めて、少しずつ宣教師を日本に送り込み、日本の内部から切り崩しを行うことです。

秀吉は日本人キリシタン26名を長崎で処刑しました。宣教師たちも国外追放処分にしました。

 

1597年、秀吉は二度目の朝鮮出兵を行います。(慶長の役)

現在での朝鮮では、朝鮮出兵時の朝鮮軍人「李舜臣」を英雄として祭り上げています。

実際は1592年、釜山港を占領していた日本軍に戦いを挑み、撃退され逃げ帰っています。

さらに1598年には停戦協定が結ばれた後、引き上げる日本軍に向かって攻撃をしかけるということをした卑怯極まりない卑劣な男です。このだまし討ちで罰が当たったのか李舜臣はこの時、返り討ちにあって戦死しています。

日本の歴史教科書でも秀吉は老害で狂ったと教えているようですが、それは間違いです。

秀吉のおかげで中国も朝鮮も植民地にならずに済んだのです。秀吉が日本の国力をスペインに見せつけることにより、日本の脅威を目の当たりにしたスペインが明を攻めあぐねたのです。

スペインはやがてオランダやイギリスに世界覇権を取って代わられるようになりました。秀吉の考えと行動は正しかったという客観的証拠もあります。先に紹介したフランス人宣教師の「朝鮮教会史」にも「いつの日か朝鮮はロシア領に併合されるであろう」と出てきます。当時の宣教師はスパイの役目を兼ねていたので、世界情勢の分析能力は確かです。

 

また近代における中国は世界各国に蹂躙されていましたが、第二次大戦において日本人の捨て身の戦いにより、中国も朝鮮も独立して混血化されていません。スペインに植民地化された南米や東南アジアの国々の現在は、全て白人との混血種です。純粋な先住民は抹殺されてしまいました。現在の朝鮮族に、このことの真相を話しても分からないと思います。目の前にある損得しか考えられないレベルなので、ロシア領になっても自分の国がなくなっても気付かないのではないでしょうか。

 

秀吉の朝鮮出兵の際に日本に連れ帰った陶器職人たちがいます。現在でも強制連行されて来た可哀そうな人たちとされていますが本当でしょうか。

徳川の江戸幕府の時代になり、家康が彼らに、朝鮮に帰してあげようと言ったところ、全員が断ったそうです。平和で豊かで良い暮らしができることを知ってしまったからです。

人として扱ってもらえることを知ってしまったからです。

この職人たちの子孫が後に、鹿児島や山口県で朝鮮人部落を作ることになります。

つづく