7月は東京の御盆である。
東京の寺に勤めている私は供養を勤める。
今の寺では、お堂や墓前で読経することが多い。
となれば、緊急事態は少ない。
もちろんご自宅に伺うこともある。
そうなると思わぬ状況に慌てることもある。
昨今、夏は異常に暑いと報道される。
それが理由なのだろうか。
自分としては、年を取っただけのように感じている。
とにかく汗が止らないのだ。
お家に向かうとなると電車を利用することが多い。
最寄り駅が近ければそこから歩く。
やや離れていれば駅まで迎えに来ていただくこともある。
いずれにしても歩く距離はわずかでる。
にもかかわらず、水をかぶったように汗が流れてくる。
ちょっとやそっとでは引かない。
そこで、やむを得ずそのままお邪魔する格好となる。
常にタオルで汗を拭う。
ただ、読経中には限界がある。
(申し訳ございません)
汗で床を汚してしまうのではないかと気が気でない。
夕立にも困ったことがある。
若い頃だった。
上半身は傘で雨をよけられる。
傘はコンビニで買うことができる。
しかし、足下はこころもとない。
雪駄に足袋だ。
「申し訳ございません」
その時は、玄関で足袋を脱ぎ、お借りしたスリッパを履いてお邪魔した。
以来、念の為、替えの足袋は持ち歩いている。
それ以上に焦ったこともある。
その時は遠方のお宅をまわっていた。
数件のお勤めを終えた昼頃、次のお家の最寄り駅で電車を降りた。
すると、ホームで雪駄の鼻緒が切れたのだ。
(どうしよう……)
そこはターミナル駅だった。
だから靴屋さんはすぐにみつかった。
しかし雪駄はない。
応急処置が壊れないよう、そろりと歩きながら店を探す。
まもなく浴衣用の草履をみつけた。
ユニクロにあったのだ。
(たすかった)
午後も各家へ向かう。
到着予定時刻もある。
鼻緒から台まで全て紺色だったが慌てて購入した。
法衣に合わせるとなると違和感がある。
しかし、やむを得ない。
御盆の時期、街でちょっと変った姿の坊さんに遇うことがあるかもしれない。
理由は、こんなことかもしれません。
ですから、その際にはどうぞ笑わないで下さい。
発心集に記されている教えです。
『あの西尾の聖が身命を捨てたのも、他人に勝り、人聞きを優先してのことである。一方、貧しい者が財産を盗むにも、このような清くうるわしい心根は残っている。総じて人の心の中は、外からはたやすくはかることはできない。だから「魚でなければ水の楽しさがわからない」という言葉のさすところも、このような意味なのに違いない』
【角川文庫 発心集・下 鴨長明著。浅見和彦先生・伊東玉美先生訳注 P279】
ありがとうございました。