羽田空港近くの公園で景色を眺めることが多い。
房総の山、飛行機の発着、航行する大型貨物船。
海に面しているため、東京湾の景色がよくみえる。
この前、その海上へ行った。
船に乗って向かったのだ。
散骨供養のためである。
出発は江東区の運河だ。
その日は、晴天だった。
風も穏やかだった。
ただ、それでもレインボーブリッジを通過した後、京浜運河に進んだ。
船内にて法要を勤めるため、より静かな航路を選んで下さったのだ。
読経、献花、お話などを三十分程行った。
それから間もなくして、散骨地点に到着した。
「それではご順に後部甲板へご移動下さい」
添乗員さんが案内をしてくれた。
ご家族は順に御遺骨を撒く。
色とりどりの花びらも海に散華する。
静かに手を合わせる。
私は甲板端にて念仏を称える。
撒き終えると二階デッキに上がった。
「みなさん、再度哀悼の意を捧げましょう」
そう言うと、船長さんは鐘を鳴らした。
そして、船は散骨地点を大きく三度旋回した。
「これから帰港します。船内にお戻りいただいてもかまいません」
添乗員さんが説明してくれた。
しかし、誰も船内には戻らなかった。
無事に儀式が終了し安堵したからであろうか。
二階デッキにて海風にあたりながら風景を眺めていた。
笑顔もこぼれていた。
「こちらが南極観測船【しらせ】です」
「白い鳥が沢山いますよね。近頃戻ってきた〈ゆりかもめ〉です」
時折、添乗員さんが辺りの解説を交えて下さった。
「本日は、ありがとうございました」
「こちらこそ、ご苦労さまでございました」
運河に戻ると、皆さんと挨拶を交わした。
寺に戻りながら色々と考えた。
海洋散骨について思いをめぐらせた。
先輩や知り合いの葬儀社さんから話を伺ったことはある。
しかし、海洋散骨に参列したのは初めてだったのだ。
この度の故人さまへは、ご家族が立派に御葬儀を厳修された。
そして、七七日忌に合わせて散骨が行われた。
時に散骨は葬送意識の薄れとして語られることがある。
確かにそういうこともあるかもしれない。
しかし、そればかりではないようだ。
この度の海洋散骨は、とても心温まるご供養だったと感じる。
葬送を大切にした上での散骨だったと思えるのである。
浄土御門主・伊藤唯真猊下の2001年の御著書に、散骨についてのお話がございます。
『自然に還ることが自然の摂理で、自分にとっての葬儀とは遺族が遺骨を粉にし袋に入れてくれる時だという人がいます。誰かが自分のことを思い出してくれる時、そこが自分のお墓ですと語る人もいます。心情的にはそうでしょう。しかし、本人は割り切っても、遺された周囲の人びとはその気になれるかどうか。本人と周囲の人びととの間に、生前どれだけ葬送についての思想的な共鳴がなされていても、散骨後、墓や仏壇といった故人を偲ぶよすがが何もないということに何年も耐えていけるかどうかは、長い目で見ていかないとわからないと思います。当然、祭祀の心はわいてくるはずですし・・・。私は、遺骨を入れなければ墓にあらずというわけではないので、散骨をした故人を祈念し、偲ぶための石塔なり仏壇があってよいと思うのです。地方の習俗には、遺骨を納めない詣り墓というものがあるくらいですから』
【法蔵館 日本人と民俗信仰 伊藤唯真猊下・著p107】
あとうございました。