法要のお手伝いで大光院に伺った。
群馬県太田市にある。
慶長十八年(1613)、徳川家康公が創建された寺である。
新田義重氏を追善するためだ。
義重氏は家康公の祖先である。
本堂、庫裏は創建当時の趣を残している。
瓦屋根、梁、柱、板戸など、たしかにもの凄い重厚さである。
初代住職、つまり開山上人は吞龍上人だ。
吞龍上人は貧しい家の子供たちを寺で育てていた。
当時、幕府は寺に三百石の米を与えていた。
そのお米をもとに寝食を共にされていたそうだ。
今でも「子育て吞龍」と親しまれ尊敬されている由縁である。
お手伝いをした法要の名称は「開山忌」である。
吞龍上人祥当命日(9月9日)の儀式である。
開山忌では御祈願法要も併修されている。
もちろんお子さん方の無事成長を念じる御祈願だ。
お子さん連れのご両親などが参列しておられる。
開山忌が厳修されるのは開山堂である。
御本尊は吞龍上人だ。
法要は、三十人くらいの僧で読経する。
私も末席で唱えている。
「驚いた表情をしていましたね」
初めて手伝いに来た若い僧が控え室で話す。
参列者の中には、きつねにつままれたような表情をする方がいるのだ。
「そりゃそうだよ」
先輩の僧が笑顔で答える。
普通、法要を三十人もの僧で勤めることは少ない。
ましてや、読経開始の数分前まで申し込み可能なのだ。
こんなに気さくな法要はない。
くわえて、近頃は以前に比べ参列者が少ないのだそうだ。
今のご時世、驚くべき稀有な儀式である。
現在の開山堂は昭和初期に建てられたそうだ。
そのためコンクリート造である。
ただ、そうであってもすばらしい荘厳である。
ただならぬ雰囲気を感じる。
その中でお勤めされるのだ。
気さくではあっても、法悦感は並ではない。
有難い御利益もいただけることであろう。
私が言うのもおこがましいが……。
江戸時代と比べたら住居も栄養も医療も格段によくなった。
しかし、それでも無常の世である。
時にはいたましい報道が流れることもある。
子ども達はなによりの宝である。
どうか、今後は子ども達皆が健康で幸せに成長してほしいものである。
吞龍上人について以下の記があります。
『開山、吞龍上人(名は然譽、別に故信と称し、芝増上寺の名僧観智国師の高弟である)は、浄土宗の名僧で、はじめ曇龍と名乗ったが、一夕、龍宮城で悪龍現れ上人を吞まんと襲ひかかったのを、上人かへってこれを一吞にしたといふ夢を見て吞龍と改めた』
【煥乎堂 郷土読本 群馬県教育委員会編P146】
ありがとうございました。