初秋、群馬県太田市の大光院さまに伺った。
吞龍(どんりゅう)上人開山忌法要のお手伝いのためだ。
開山忌はお寺を開いたお坊さんの忌日に勤める儀式である。
吞龍上人は、戦国時代から江戸時代にかけて活躍された。
当時、生活に苦しんでいた人々の子供をお寺で預かり寝食をともにしていた。
そのため、今でも「子育て吞龍」と親しまれ尊敬されている。
開山忌は例年三日間執り行われる。
午前中は一時間毎の祈願法要となる。
もちろん子育てに関わるご祈願が主だ。
お堂には、赤ちゃんを抱っこしたご両親達が開始を待っておられる。
おじいちゃん、おばあちゃんが付き添っておられることも多い。
五・六才のお子さんを連れていることも少なくない。
お子さんの無事成長をお祈りされたい方は、是非大光院さまをお参りされることをおすすめします。
開山忌には、関東信越各地からお坊さんがお手伝いに行く。
おそらく、四十名くらいだ。
各法要には御前さまが御出座なさり、四十名も参座する。
参列者皆さんは、お坊さんの多さに大概驚く。
全国各地で祈願法要は行われている。
でも、これ程多数のお坊さんが一同に読経を勤めることは滅多にない。
だから、とても貴重なご祈願をしていただけること請け合いなのである。
しかも気軽に申し込みができるのもありがたい。
普段着で参詣されても大丈夫だ。
いらっしゃるのであれば、早い時間帯がよいですよ。
お参りの方は少ないめです。
お昼過ぎには大法要が勤修される。
こちらは吞龍上人へのご供養となる。
四十名の僧は、御前さまの介添え、読経を勤める者、雅楽を勤める者などに分かれる。
さらに、可愛いお嬢さん達のお稚児舞が加わる。
ちなみに、私は龍笛奏者として列んでいます。
お稚児さん達は早朝から準備を始めている。
控え室では、各々の動きを確認している。
その後、髪を結い、お化粧をし、装束をまとう。
午後になり出番が来ると、おもむろに入堂する。
法要中、歌のような読経と雅楽の演奏が始まると、合わせて舞もスタートする。
皆で動きをシンクロさせて綺麗に舞う。
私が彼女達と同じ年だったとしたら、確実にこのようなことはできない。
学芸会の僅かな動きも、少しの台詞もまともに覚えられなかったのだ。
しかも、知らない人が大勢いる前で華麗に舞うのである。
「凄いな」「偉いな」と感激する。
奉納後、支度部屋に戻るとお嬢さん達には安堵の表情がうかがえた。
さすがに緊張はしていたようだ。
指導の先生や親御さんは大変喜びだ。
その気持ち、よくわかる。
開山忌には、新たに産まれてきた赤ちゃん達がお参りされ、お稚児さん達が舞を奉納してくれている。
吞龍上人はお子さん達の元気な姿をみて、きっと喜んで下さっているにちがいない。
吞龍上人を伝える書に以下のような記載があります。
『永禄十二年春十四歳の時に出家得度、大光院に迎えられて菫(きん)じたのは慶長十八年四月、年五十八歳の時である。當時野州の地は民情風俗極度に廃頽(はいたい)し、常に堕胎間引の悪習が行はれるの實情であつたので上人は蹶然(けつぜん)起ちてその舊弊(きゅうへい)を是正せんものと志し、其方法は一には佛教の因果の理を説いて教化すること、二には貧困家庭の兒童を養育することとなし、其為めには御朱印米三百石を以て之に當てることにした。然るに御朱印米たるや、元々寺の経常費と、寺僧を養ふために給せられてゐるものとて、これを貧兒教育に供すると云うことは幕府に對して遠慮をしなければならない事情であつた。されば上人は一策を廻らして貧兒を教育するに、表面上は大光院の弟子と云うことにして、出生より七歳の頃まで養育することにした』
【堕胎間引きの研究 中央社会事業協会社会事業研究所編 P282】
ありがとうございました。