書き下し | 「ゆるりと仏教」いも掘り坊主の与太話

「ゆるりと仏教」いも掘り坊主の与太話

「念死念仏 常途用心」
仏さまの御教えを、拙僧のエッセイとともに紹介しています。
ほとんど与太話(^_^;)ですが、法話らしきものも書いています。
つたない文章ですが、笑ってもらえたり、うなずいてもらえたりしたら嬉しいです。
毎週水曜日に更新しています。

例えばレストランに行く。

 

希望の食事をいただく。

 

さて、食後には、どのような言葉を店員さんにかけるであろうか。

 

「ごちそうさまでした」

 

多くの人がそのように伝えるはずだ。

 

「頂いたお料理の食材は何だったのでしょうか」

 

そんな質問をする人もいるであろう。

 

「食材の栄養成分を教えていただきたいです」

 

そこまできく人もいるかもしれない。

 

どうしてこんなことが気にかかったのか……。

 

実は、以前「なぜお経は音読みで唱えるのですか」ときかれたことがあるのだ。

 

「それだと内容がわからないので法要の意義が理解できません」

 

詳細を伺うと、そのように説明して下さった。

 

「お経は意味がわからなくても、ただ耳にするだけでも功徳があるのです」

 

などとは言えない。

 

間違いではないが、とてもじゃないけれども無理である。

 

「なるほど」

 

日本で読まれている経典は漢字で書かれている。

 

だから、経文をみればおおよその意味が理解できる。

 

しかし、音を聴いているだけだと確かに難解である。

 

そこで私は考えた。

 

「書き下し文で唱えてみよう」

 

これならば法要の趣意をわかっていただけるはずだ。

 

早速、次回から始めてみた。

 

ところが、……。

 

これがどうにも上手くいかない。

 

法要の趣が整わない。

 

「唱え方を変えたのですか」

 

不思議そうな顔をされる方が何人もいらした。

 

「駄目か」

 

多少の工夫をしながら書き下しを続けてみた。

 

しかし、結局は音読みに戻すことにした。

 

ただし、以前と全く同じではそれこそ意味がない。

 

そこで、法要の前に、簡潔に儀式の内容を説明することにした。

 

そのお陰だろうか。

 

怪訝な表情をされる方はそれ以来いなくなった。

 

「何をしているのかわからない」と質問されたこともない。

 

それどころか、涙を流される方が以前よりも多くなってきたように感じる。

 

あっ……、まちがっても私の読経が優れている、と言いたいのではないです。

 

考えてみれば、レストランでも同じかもしれない。

 

わかっていたほうがいい。

 

教えてもらえたら有り難い。

 

でも、栄養がどうとか、産地がどうとか、あんまり細かく解説され続けても……。

 

美味しさが半減してしまうような気もする。

 

法要は故人と向きあう時間ともなる。

 

唱える偈文の文字も、内容も、節も、お釈迦さま由来である。

 

全て超一流だ。

 

となると、有意義な時間となるか否かは……、私の実力次第となってしまう。

 

精進いたします。

 

 

法然上人の御教えに以下のお言葉があります。

 

『もろこし我が朝に、もろもろの智者達の沙汰し申さるる、観念の念にもあらず。また学問をして念の心を悟りて、申す念仏にもあらず。ただ往生極楽のためには、 南無阿弥陀仏と申して疑いなく、往生するぞと思いとりて申す外には別の子細候わず』

【一枚起請文】

 

ありがとうございました。