いろいろなお辞儀 | 「ゆるりと仏教」いも掘り坊主の与太話

「ゆるりと仏教」いも掘り坊主の与太話

「念死念仏 常途用心」
仏さまの御教えを、拙僧のエッセイとともに紹介しています。
ほとんど与太話(^_^;)ですが、法話らしきものも書いています。
つたない文章ですが、笑ってもらえたり、うなずいてもらえたりしたら嬉しいです。
毎週水曜日に更新しています。

法要を勤めた後、小学生の女の子から質問をうけた。

 

「どうして色々なお辞儀をしていたの?」

 

なかなか鋭い疑問である。

 

正確にいうとお辞儀ではない。

 

礼拝である。

 

が、そんな細かいことは気にしない。

 

ちなみに、仏教では「らいはい」と読む。

 

正座をしたまま合掌をして頭を下げる礼拝は二種類ある。

 

ひざまずいた後、再び正座をして手を広げながら頭を下げる礼拝は一種類だ。

 

一度起立をしてから、やはり再び正座をして手を広げながら頭を下げる礼拝は一種類となる。

 

この四種類を法要中に使い分ける。

 

もちろん、修行中に儀式の先生から指導をうけた礼拝である。

 

勝手に行っているわけではない。

 

また、礼拝の種類や方法は沢山の経典に記されている。

 

その記述にも則って行われている。

 

「礼拝に下中上の三つの礼がある。下礼は頭を下げるに止まり、中礼はひざまずく、上礼は頭が地につくまで体を屈する、そして、頭を足につける礼は最上の敬いである」

 

これは大智度論に記されている。

 

私は足を頭につける礼拝を行ったことはない。

 

しかし、額を地面につけて手を広げ、仏さまのおみ足を掌に承ける心を表す礼は、今でも行う。

 

足に頭をつけるとは、少々仰々しく感じられるかもしれない。

 

現代だとパワーハラスメントのように思われてしまいそうでもある。

 

理由は経典に記されている。

 

「頭は体の最も上にあり、足は最も下にある。それゆえ頭をもって足に接することが、最高の敬いとなる」

 

さて、女の子の質問にどのように答えるか。

 

真っ直ぐな問に対して、簡潔にわかりやすく説明するのは難しい。

 

上手に説明ができる気もしない。

 

それでも……。 

 

「いろいろなお辞儀を使って、「おじいちゃまをこれからも仏様の国で護ってください」とお願いをしていたからだよ」

 

無い頭でまとめてみた。

 

法要の片付けをしているときも、女の子の言葉を振り返っていた。

 

観察眼の凄さに感心していたからだ。

 

もし私が坊さんでなければ、法要中のお辞儀に差異を感じなかったであろう。

 

「作法」とひとくくりにしていたにちがいない。

 

つまり、「みんな一緒」に見えていたはずである。

 

ところが、女の子には「みんな同じ」ではなかった。

 

「それぞれ違う」と区別していたのである。

 

見習うべき観察力である。

 

繊細で素晴らしい感性である。

 

 

 

お釈迦さまのお弟子さまの御教えに、次のお言葉があります。

 

『きわめて微細、微妙な道理を見、思慮に巧みで、謙虚であり、仏につかえるのを習いとした者には、安らぎ(ニルヴァーナ)は決して得難いものではない』

 

【岩波文庫 仏弟子の告白、中村元先生訳P29】

 

ありがとうございました。