「雨が降ってきても、ビルの中を抜けてくれば濡れなくてすむからでいいですね」
お参りにいらした方が話しかけてこられた。
お寺の十五メートル前にはビルがある。
その一階は商店街になっている。
地下鉄の駅とも続いている。
だから、雨の日でも駅までほぼ濡れずに行けるのである。
雨の日でも法衣で出かけなければならないときはある。
そんなときには、ほんとうに助かる。
考えてみれば、都会はとても便利に整備されている。
歩道橋にはエレベーターもついている。
道は全て舗装されている。
ぬかるんだ土の上を歩くことなど皆無である。
喉が渇けば、自動販売機が至る所にある。
二十四時間営業しているお店も沢山ある。
施設には間違いなく冷暖房がある。
実にすばらしく自然現象を制御している。
思いのままに動けるように整えられている。
しかし、どれほど便利に制御されていてもトラブルがゼロではない。
落雷等で、電車が遅れることもある。
店員さんが電話中で、すぐに来客の対応が出来ないこともある。
ところで、このようなトラブルがのどかな田舎で起きたらどうなるだろうか。
「まあしょうがないな」
地元の方々は穏やかに待つのではないだろうか。
自然豊かな田舎では、予期せぬことが起こることも多い。
きっと忍耐力が養われているにちがいない。
「いつ復旧するんだ」
「代替輸送はどこか」
「お客がきたらすぐにレジの対応をしろ」
一方で都会には我慢ができない人が多い。
現に、駅員さんに言いよっている人も何度か見かけてこともある。
予定通りにことが進むことになれすぎているのであろう。
なんでも管理され制御されているのは有り難い。
しかし、行き過ぎると世の中の事実がわからなくなりそうである。
親鸞上人につきまして、以下のお話があります。
『建仁元年(1201)年、29歳の時に比叡山を下りて六角堂(京都市中京区)に参籠しました。参籠の理由は、後世を祈るため(極楽往生が可能かどうか、誰を師とすれば可能になるか)だったとも(「恵心尼文書」)、出家の身でありながら女性への想いを絶つことができないという深い悩みを抱えていたからとも(『親鸞聖人伝絵』)いわれています。その結果、聖徳太子の夢告を得て、東山吉水の法然上人(1133-1212)の庵を訪ね、専修念仏に帰入するとともに、法然上人の弟子となりました。また夢告によって、出家のままで妻帯に踏み切ったと伝えられています』
【TU選書 浄土教の世界 小澤憲珠先生監修・勝崎裕彦先生編・林田康順先生編P318】
ありがとうございました。