九年前、東日本大震災と原発事故があった。
あの日、私は寺の近くの高層ビルにいた。
買い物をするためだった。
廊下がゆらゆらと揺れ始めた。
「おや」
そんなことを感じるやいなや、どこからか亀裂音がきこえてきた。
天上からは砂埃が落ちてくる。
「おかしい」
とても立派で堅固なビルである。
それが大きく揺れたのである。
「ビルが壊れるかもしれない」
鼓動が激しくなった。
こういうときは、一瞬、思考と行動がとまるものだと初めて感じた。
オフィスからは大勢の人たちが出てきた。
「外へ出ろ」
そう指示する人や、避難する人たちの流れのお陰で外に出ることができた。
道路まで行くと、手をとりあう女性達の姿があった。
道や歩道に座りこんでいる人もいた。
その後の余震でも、墓地から見える高速道路の外灯が激しくしなった。
近くのマンションが明らかに揺れているのがわかった。
映像では東日本太平洋側の光景が写し出されていた。
到底信じられるものではなかった。
原子力発電所からは煙が出ていた。
放射能が飛び散る現実が目の前に迫った。
震災は人の力が及ばないことがある。
人のつくったものには危うさがある。
頭ではわかっていたが、これ程身に染みて理解したことはなかった。
自分の生活が多くのものに依存していることにも気がついた。
「いつでも動きがとれるよう、出来るだけ身軽でありたい」
必要以上に依存しているものがないか見直した。
以後、随分と捨ててきたつもりだった。
ところが……。
人は慣れてきてしまうようだ。
この度の感染症流行に直面した際、再び抱えているものの多さに驚いた。
もう少し心身を軽くしておきたい。
多くの人がそう思ったのではなかろうか。
鴨長明さまの方丈記に、以下の記があります。
『今、私は山中で寂しい独り住まいをしている。たった一間の小家だが、心の底から満足している。だから、たまたま京の街に出る機会があって、自分が浮浪者同然の姿になっていることを恥ずかしく思うものの、ここに戻って来ると、街の人々が俗事にとらわれて、安らぎを失い、あくせくしている姿を気の毒に思う。 とは言っても、みずぼらしい小家の住人の言葉を、たんなる負け惜しみぐらいにしか思わない人が多いだろう』
【角川文庫 ビギナーズクラシック方丈記 鴨長明さま著・武田友宏先生編 P142】
ありがとうございました。