信者さんのご自宅に伺って法要を勤めた。
近頃の東京では、自宅に伺って読経することは少ない。
「読経をきくと、気持ちが落ち着きますね」
お勤めの後、施主さまがおっしゃった。
お施主さまは、お医者さまである。
先生は、ご自身の病院にて診療をする他、ご高齢者のお住まいに訪問してケアをなさっているそうだ。
以前は、晩年もご自宅で過ごす方が多かった。
しかし、最近は、施設で過ごす方が多いようである。
要因は、さまざまにあるそうだ。
核家族化が進み、そもそも介護ができる家族と同居していない。
確かに近くにお子さんが住んでいたとしても、別宅から毎日通うのは大変であろう。
お子さん夫婦が共働き、あるいは遠くに赴任していることだって十分に考えられる。
また、介護をするお子さん達がご高齢の場合もあるそうだ。
「夫婦で老々介護だ」
そんなことをきくこともある。
しかし、それにとどまらず「親子で老々介護」もあるようだ。
だとすると、お子さんだとしても両親の介護を行うのは体力的に難しい。
まさに、社会構造変化による影響だ。
仕方のないことである。
ただ、ご本人、つまり被介護者は自宅で過ごすことを望んでいる場合が多いそうだ。
住み慣れた場所で暮らし続けたい。
最期まで思い出のある自宅で過ごしたい。
わかるような気がする。
そこで、先生は、望みを実現するべく、奮闘してくだっている。
有り難いことである。
また、以前から診ている患者さんが施設へ入所された場合には、そこへも訪問されているそうだ。
「治療が難しくても、気持ちが穏やかになってもらえれば」
確かに主治医に診てもらうと心身が落ち着くであろう。
先生の優しいお人柄が滲み出てくる。
最後におっしゃった。
「ご自宅や施設にお寺さんに来てもらって、お経を読んでもらうと皆さんの気持ちが落ち着くかもしれませんね。お経の内容を説明してもらうのもよいかもしれません」
只今の先生の体験から出たお言葉であろうか。
「私でお役に立つのでしたら」
そのように御返事をした後、ご自宅を失礼した。
法然上人の御教えに、以下の御言葉がございます。
『《阿弥陀経》には、〈多くの菩薩たちと共に、阿弥陀仏が行者の目の前に出現されると、その人が亡くなる時には心は惑うことなく、たちまち阿弥陀仏の極楽国土に往生することが出来る〉と説かれていますので、人の命が絶えようとする時、阿弥陀仏が菩薩たちと共に目の前にやって来られたのを、まず見申し上げた後に、心は惑うことのない状態となり、極楽に生まれることが出来るのだ、と心得ております』
【現代語訳 法然上人行状絵図 浄土宗総合研究所編P250】
ありがとうございました。