馬頭観音 | 「ゆるりと仏教」いも掘り坊主の与太話

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「念死念仏 常途用心」
仏さまの御教えを、拙僧のエッセイとともに紹介しています。
ほとんど与太話(^_^;)ですが、法話らしきものも書いています。
つたない文章ですが、笑ってもらえたり、うなずいてもらえたりしたら嬉しいです。
毎週水曜日に更新しています。

東京・稲城で法要を勤めた帰り、多摩川沿いの道を通って帰ることにした。


土地勘がないところでは、道に迷うことがよくある。

 

案の上、今回も矢野口駅辺りで迷ってしまった。

 

細い道に入り込むと、だんだんと不安になってくる。

 

兎に角スピードを落とし慎重に運転する。

 

そうしてしばらく進んでいると、目の前に大きな石像が現われた。

 

気にかかったので、車を停めて観てみる。

 

馬頭観音さまだった。

 

道幅が狭いので、急いで手を合わせて直ぐに発車する。
 

寺に戻ると、早速調べてみた。

 

稲城市の昔話に次のような話があった。
 

とある農家に、年老いた農馬がいたそうだ。
 

名前は「太郎」である。
 

太郎は、大変弱っていた。

 

普通であれば売りにだされてしまう程だった。
 

しかし、その農家の主人・茂作は、家族同様に太郎と生活していた。

 

もちろん、手放すことはしなかった。
 

茂作は、概ね好い人物だった。

 

ただし、博打好きだけは玉に傷であった。
 

しかも、勝負弱ときている。

 

ほとんど勝つことはなかった。
 

その日も、いつものように博打に行った。

 

あいかわらず一文無しになる程の大負けをした。
 

家に帰ると太郎に泣きながら詫びることとなる。

 

「財布が空になる程負けてしまった。だから、おまえの好きな人参を食べさせてあげることができない」

 

すると、突然、太郎は茂作の袖をくわえた。

 

そして、先の博打場まで引っ張っていった。
 

茂作は、直感した。

 

「もういちど博打をしろと言っているのだな」

 

こうして、再び博打が始まった。
 

「丁だろうか、半だろうか」

 

茂作しばしば迷った。

 

すると「カタン、カタン」と音がした。

 

太郎が足音をさせたのだ。
 

茂作は「2回なので丁だ」と判断し思い切って勝負にでる。

 

見事大あたりだった。
 

この後も、太郎の足音をたよりに博打を続ける。

 

こうして、茂作は勝ちを重ねていった。

 

そして、今までの負けをすべて取り返す程勝利した。
 

家に戻ると、太郎の好物である人参を沢山買ってきて食べさせてあげた。
 

感謝のしるしだった。
 

ところが、あまりに人参をあげたのが悪かったらしい。

 

その夜、太郎は熱を出し死んでしまった。
 

茂作は、思いもしない出来事に深く悲しんだ。
 

家族を亡くしたかのように涙を流した。

 

供養は出来るだけ丁寧に勤めた。

 

亡骸は庭に埋葬し、小さな馬頭観音を建立した。
 

毎朝晩、欠かさず手を合わせた。

 

同時に、博打からは足を洗った。

 

また、こころを入れ替えて仕事を一生懸命に行った。
 

以後、この村では、博打をやめたいと思った際には、馬頭観音さまに祈りを捧げそうだ。
 

そして、不思議と多くの人が改心できたそうである。
 

人は、痛い目に合わないと自らを正すことができない。
 

余程のことがない限り、自分を変えることは難しい。

 

太郎は、身を挺して茂作を善人に導いた。

 

必ずや、佛さまの御加護を頂戴したことであろう。

 

悲しい話でもあり、身につまされる話でもあった。

 

『観無量寿経』に、以下の御教えがございます。

『もし男であれ女であれ善良なる人々が、ただ単に〔無量寿〕仏の名と二菩薩の名を耳にするだけでも、無量劫もの間生死を繰り返さねばならない罪〔の報いさえ〕除かれる。ましてや〔無量寿仏と二菩薩を〕憶念すれば、〔さらに多くの罪の報いが除かれるのは〕言うまでもない』

【現代語訳 浄土三部経 浄土宗総合研究所編P226】
 

ありがとうございました。

 

*参考文献=『稲城の昔話 観音さまになった馬   稲城市教育委員会出版』
馬頭観音 矢野口 190709 1562677219663
稲城市の馬頭観音さまです。