東京・稲城で法要を勤めた帰り、多摩川沿いの道を通って帰ることにした。
土地勘がないところでは、道に迷うことがよくある。
案の上、今回も矢野口駅辺りで迷ってしまった。
細い道に入り込むと、だんだんと不安になってくる。
兎に角スピードを落とし慎重に運転する。
そうしてしばらく進んでいると、目の前に大きな石像が現われた。
気にかかったので、車を停めて観てみる。
馬頭観音さまだった。
道幅が狭いので、急いで手を合わせて直ぐに発車する。
寺に戻ると、早速調べてみた。
稲城市の昔話に次のような話があった。
とある農家に、年老いた農馬がいたそうだ。
名前は「太郎」である。
太郎は、大変弱っていた。
普通であれば売りにだされてしまう程だった。
しかし、その農家の主人・茂作は、家族同様に太郎と生活していた。
もちろん、手放すことはしなかった。
茂作は、概ね好い人物だった。
ただし、博打好きだけは玉に傷であった。
しかも、勝負弱ときている。
ほとんど勝つことはなかった。
その日も、いつものように博打に行った。
あいかわらず一文無しになる程の大負けをした。
家に帰ると太郎に泣きながら詫びることとなる。
「財布が空になる程負けてしまった。だから、おまえの好きな人参を食べさせてあげることができない」
すると、突然、太郎は茂作の袖をくわえた。
そして、先の博打場まで引っ張っていった。
茂作は、直感した。
「もういちど博打をしろと言っているのだな」
こうして、再び博打が始まった。
「丁だろうか、半だろうか」
茂作しばしば迷った。
すると「カタン、カタン」と音がした。
太郎が足音をさせたのだ。
茂作は「2回なので丁だ」と判断し思い切って勝負にでる。
見事大あたりだった。
この後も、太郎の足音をたよりに博打を続ける。
こうして、茂作は勝ちを重ねていった。
そして、今までの負けをすべて取り返す程勝利した。
家に戻ると、太郎の好物である人参を沢山買ってきて食べさせてあげた。
感謝のしるしだった。
ところが、あまりに人参をあげたのが悪かったらしい。
その夜、太郎は熱を出し死んでしまった。
茂作は、思いもしない出来事に深く悲しんだ。
家族を亡くしたかのように涙を流した。
供養は出来るだけ丁寧に勤めた。
亡骸は庭に埋葬し、小さな馬頭観音を建立した。
毎朝晩、欠かさず手を合わせた。
同時に、博打からは足を洗った。
また、こころを入れ替えて仕事を一生懸命に行った。
以後、この村では、博打をやめたいと思った際には、馬頭観音さまに祈りを捧げそうだ。
そして、不思議と多くの人が改心できたそうである。
人は、痛い目に合わないと自らを正すことができない。
余程のことがない限り、自分を変えることは難しい。
太郎は、身を挺して茂作を善人に導いた。
必ずや、佛さまの御加護を頂戴したことであろう。
悲しい話でもあり、身につまされる話でもあった。
『観無量寿経』に、以下の御教えがございます。
『もし男であれ女であれ善良なる人々が、ただ単に〔無量寿〕仏の名と二菩薩の名を耳にするだけでも、無量劫もの間生死を繰り返さねばならない罪〔の報いさえ〕除かれる。ましてや〔無量寿仏と二菩薩を〕憶念すれば、〔さらに多くの罪の報いが除かれるのは〕言うまでもない』
【現代語訳 浄土三部経 浄土宗総合研究所編P226】
ありがとうございました。