富津岬の夕日 | 「ゆるりと仏教」いも掘り坊主の与太話

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「念死念仏 常途用心」
仏さまの御教えを、拙僧のエッセイとともに紹介しています。
ほとんど与太話(^_^;)ですが、法話らしきものも書いています。
つたない文章ですが、笑ってもらえたり、うなずいてもらえたりしたら嬉しいです。
毎週水曜日に更新しています。

年の暮れ、千葉県木更津町にて仕事をした。

 

房総半島に来たのはいつ以来だろうか。

 

十年位前かもしれない。

 

「よし、海を眺めてから帰ろう」

 

いつもは東京湾を西側からみている。

 

東側からもみておきたいではないか。
 

地図を見ると、近くに細長く飛び出ている岬があった。
 

富津岬だ。
 

早速、車をスタートさせた。
 

国道を南西に走らせる。
 

夕方だったので道路の具合によっては、西日が眩しい。

 

運転は慎重になる。
 

それでも、半時間程の運転で到着した。
 

車を停め200メートル位歩くと、奇抜な建物がみえてきた。

 

見晴らし台だった。
 

わくわくしながら登る。

 

登っている途中から、東京湾が綺麗に広がってきた。
 

海の先には富士山がみえる。

 

その横に太陽が沈む。
 

箱根の山々だろうか。

 

稜線の上の空はオレンジ色に美しく染まっている。
 

「おぉ」
 

あまりの絶景に声が出る。

 

近くに居る人たちも見入っていた。
 

「地図はよく見ているのに、気がつかなかった」

 

太陽が沈んでいく景色を、手前に海がある格好でみられるのは日本海側だけだ、と思い込んでいた。

 

東京近郊にて海ごしに沈んでいく夕陽をみることができるなんて。

 

感動である。

 

仕事が大変だった分、思わぬご褒美をいただけたことに嬉しくなった。
 

浄土教の御教えに、西に沈みゆく太陽を観察する《日想観》がある。
 

西方極楽浄土に往生を遂げるための修行の一つだ。
 

富津岬の夕日は、日想観にうってつけである。
 

帰り道、東京湾アクアラインを走っている最中に忘れ事をしたことに気がついた。

 

美景にみせられしまい、写真を撮り忘れてしまったのだ。

 

「うぅぅ……」

 

なんとも間抜けである。


《観無量壽経》に、以下のような御教えがございます。
 

『そなたや〔未来の人々も含めた〕衆生は余計なことは何も考えず、意識を一方向に集中させて、〔ともかく〕西の方角を想いなさい。〔では〕どうやって想い始めるのか。そもそも〔西を〕想い始めようとする場合には、誰であれ目が不自由でない限りは、みなその目で〔西の彼方に〕沈んでいく太陽を見なさい。〔そして、その太陽が〕脳裏から離れないようにしなさい。〔つまり〕姿勢を正しく坐って西に向かい、脳裏の太陽をリアルに観察しなさい。〔その際〕脳裏に太陽ばかりが浮かぶ状態を保ち、その他のイメージが浮かんでこないようにしなさい。〔しかも〕沈みゆく〔脳裏の〕太陽の形を、まるでぶら下がっている〔真ん丸の〕太鼓であるかのように見なさい。〔その〕太陽を見終わったならば、目を閉じていても、目を開けていても、いつでも〔その太陽が〕鮮明であるようにしなさい。これが日想〔という修行〕であり、初観というのである』

【現代語訳 浄土三部経 浄土宗総合研究所編P191】

ありがとうございました。