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「ゆるりと仏教」いも掘り坊主の与太話

「念死念仏 常途用心」
仏さまの御教えを、拙僧のエッセイとともに紹介しています。
ほとんど与太話(^_^;)ですが、法話らしきものも書いています。
つたない文章ですが、笑ってもらえたり、うなずいてもらえたりしたら嬉しいです。
毎週水曜日に更新しています。

多摩の霊園で歩いていたときのことだ。

 

その日は、依頼をうけて七七日忌の法要を勤めていた。
 

はじめに、御堂にて読経を勤める。
 

その後、納骨の為に墓所へと向かう。

 

私も皆さまの後ろについて歩いていた。

 

すると、女の子が私の近くにやってきた。
 

「私、ときどき《大ばあば》に会うよ」

 

笑顔で私に話しかけてきてくれた。

 

大ばあばは、女の子の曾祖母だ。

 

納めるのは、大ばあばの御遺骨である。
 

堂内での法要で、「故人さまは極楽浄土におられます。今でもきっと皆さまを見守ってくださっていることと思います」と私はお話しした。
 

女の子は、おそらく話を聞いてくれたのだろう。

 

そして、それに応えて話してくれたに違いない。
 

「そうなんだね。おじょうちゃんの所に来てくれるんだね」
 

私も和やかに返事をした。
 

「《大ばあば》は、あなたのことが大好きだったから傍にいたいのよ」

 

お母さまも笑みを浮かべながら言葉を交えた。
 

「そっか。いいよ。わたし、一緒にいてあげるよ」
 

そう答えると、女の子はスキップをしながら先へと進んでいった。
 

とても無邪気で純粋で優しい子である。

 

大ばあばも必ずや喜んでおられるであろう。
 

西方極楽浄土に往生された方は、阿弥陀如来さまのもとで修行を行う。

 

たちまちに「慈悲の御力」「智慧の御力」を得ていかれる。
 

そして、その御力で私たちを護って下さる。
 

どなたかが亡くなれば、それまでのような関わり方はできなくなる。

 

物理的な触れ合いはなくなってしまう。

 

悲しいことである。

 

しかし、つながりが切れたわけではない。

 

新たな関係性へと変化したのである。

 

女の子はそれを実際に教えてくれたようであった。
 

納骨の儀式も温かい気持ちで無事に勤めることができた。


善導大師さまの『法事讃』に、以下のお言葉がございます。
 

『人天大衆は、皆、集来して仏の尊顔を瞻仰して、未だ耳にしたことがない法を聴聞する。来集した人々は仏を見たてまつり、仏が説きたもう経を聞いて、一同が同じように覚りを得て、自らの命終時に至るまで、浄土に心を寄せて、命終の後には浄土の宝蓮の中に入る。私達は誓って、必ず阿弥陀仏の浄土へと往生し、その後にこの穢土である世界に帰り来たって、人天の救済を行おう』
 

【山喜房佛書林  善導教学の研究・第二巻 柴田泰山先生著P474】

ありがとうございました。