夜、笛の練習をしようと、お堂の明かりをつけると向拝で猫が寝ていた。
三毛猫だ。
十年前に私が引っ越してきた当時も、向拝でトラ毛の野良猫がよく寝ていた。
そのトラ毛の猫は、とっても人懐こい猫だった。
例えば、朝、雨戸を開けると、日当たりの良い庭石の上から降りてきて、朝ご飯をおねだりしてくる。
何かの拍子で窓をあけていると、いつの間にか家に入ってきて座布団の上で昼寝をしていることもあった。
とても静かで、穏やかな猫だった。
しかし、一年程経ったとき、トラ毛の猫の様子が気にかかり始めた。
足下がおぼつかなくなっていたのだ。
怪我をしたり、事故にあったり、他の猫に傷つけられたりしたら、と思うと気が気でない。
嫌がる猫をつれて、お医者さんに診ていただくことにした。
「高齢による衰えだね」。
静かに教えてくれた。
そういえば、近所の方に「このあたりに二十年近く暮らしているよ」ときいたことがある。
だとすれば、人間に換算すると百歳近くになる。
「治療してもよくなることはないかな」。
お医者さんは、うつむきながら静かにつぶやいた。
「寿命なんだな」。
急に寂しさと悔しさが身体で感じはじめた。
それからは安全のために、トラ毛の猫と家の中で一緒に生活をすることにした。
こうなると、立派な家猫だ。
首輪をしてあげないといけない。
ペットショップに行って、女の子に似合う可愛い首輪をさがした。
快適に眠れるよう、やわらかい敷物も用意した。
しかし、日に日に体力が落ちていくのがわかる。
寝ている時間がどんどん長くなる。
お別れの時が近づいてきているようだ。
一月後、いよいよその時がきた。
最期を看取っていただきたく、お医者さんにお願いをして家まで来ていただいた。
苦しまないよう、処置もしていただいた。
その晩、どうしようもなく、涙にくれながらお別れしたのだった。
今、縁側で寝ている三毛の猫をみると、十年前のトラ毛の猫のことが懐かしく思いだされた。
今日は旧盆の最終日だ。
もしかすると、トラ毛の猫が計らってくれたのかもしれない。
今宵の練習は、安眠を妨げないよう、唱歌だけにしよう。
恵心僧都源信さまの「往生要集」の御教えに、以下のお言葉がございます。
船に乗っていた商人方が、鯨に襲われそうになったときのお話です。
『その時、大商人と多くの商人たちはみな、ことごとく安らかに鯨の難からのがれることができた。
巨鯨は「〔南無〕仏」という声を聞いて喜びの心を生じ、さらにほかの生きものも呑みこむことをしなかった〔から〕、これによって、死んだときには人間のあいだに生まれることができ、その仏のもとで法を聞いて出家し、勝れた教えの友と交わって阿羅漢〔のさとり〕をえた。
阿難よ。きみは、かの魚が畜生の運命をもって生まれたのに、〔なお〕仏のお名前をきくことができ、仏のお名前を聞くことによって、ついには涅槃をえたことについて考えて見なさい。』
【平凡社 東洋文庫21 往生要集2 恵心僧都源信さま著・石田瑞磨先生訳p206】
ありがとうございました。