となり街のお寺さんへ向かっているときだった。
届ける荷物も多く、約束の時間が迫っていたので、タクシーで行くことにした。
運転手さんに、「近くで申し訳ありませんが」と目的地を伝える。
車が走り出だす。
すると、「これから向かうお寺の幼稚園を、娘が出ておりましてね」と、運転手さんが話しを始めた。
「そうなんですか。お近くに住んでいらっしゃるんですか」とたずねる。
「昔はね。ちなみに、小学校はここに通っていたんですよ」と、丁度信号でとまった際、横の建物を指さして言った。
「えっ」。
驚くことに、私も、その小学校を卒業していた。
運転手さんも興奮気味に、「もしかして、同級生じゃないですか。たぶん、お客さんと娘は、同じくらいの年だと思うけれども」と、ダッシュボードに設えてある名前を示してくれた。
三十年以上も前のことである。
曖昧な記憶をたどりながら、思い返す。
どうやら、同級生ではない。
少し残念な気持ちになる。
が、その後も小学生のころを思い出していると、急に焦りと安堵の気持ちが同時に出てきた。
私は、今でもたかが知れた者だし、誇れるものも何もない。
だから、守るものだってない。
しかし、よく考えてみると、もし同級生だったら、昔の馬鹿さ加減が露呈されてしまう。
授業中に椅子ごと身体を後ろに傾けては、しょっちゅうひっくり返っていたこと。
六年生の二学期の初めには、夏休みの工作の宿題として、紙粘土でつくったなんの細工もない玉をいくつか持っていったこと。
鼓笛隊では、音符が上手くよめないのに中太鼓を希望して、さんざん先生に居残りさせられたこと。
思い出すだけで、心臓がバクバクしてくる。
しかも、タクシーには坊さんの格好をして乗っている。
もしかしたら、娘さんから色々きいて「あのお坊さん、そんな子供だったのか」と、笑われていたかもしれない。
さて、お寺に着くと「なつかしいなぁ」といいながら、運転手さんも車をおりた。
優しい目をして、ニコニコとしながら辺りを眺めていた。
運転手さんは、私とちがって昔のよい思い出に包まれていたようである。
なによりである。
釈迦様のお言葉に、以下のお言葉がございます。
『また父母は次の五つのしかたで子を愛するのである。
すなわち〔1〕悪から遠ざけ、〔2〕善に入らしめ、〔3〕技能を習学させ、〔4〕適当な妻を迎え、〔5〕適当な時期に相続をさせる』
【春秋社 原始仏典第三巻 長部経典Ⅲ 中村元先生監修p252】
ありがとうございました。