先日、皇居へ行った。
宮内庁式部職楽部の先生方による奏楽を鑑賞するためだ。
何度も拝聴しているが、毎回とても楽しみにしている。
楽部へは、大手門から入り、白鳥濠横の汐見坂を登るルートで向かった。
東御苑の緑豊かで綺麗な道のりを歩くだけでも、心は豊かになれる。
陛下もご覧になられるお庭なのかと思えば、有り難い気持ちにもなってくる。
入り口では、皇宮警察による荷物検査があった。
皇族の方がお聴きにいらっしゃるのだから、万が一のことがあってはいけない。
建物内には、砂利が敷かれた地面の上に、約十五メートル四方の舞台が設えてある。
その左右には、五メートル程の大きな太鼓がある。
聴衆は舞台をコの字に囲むようにして座る。
定時になると、開演を知らせるブザーが鳴った。
レトロな雰囲気の音であり、心が温まる。
いよいよ楽師の方々が舞台にあがり、おもむろに座る。
その所作でさえ雅である。
演奏が始まる。
安定感のある美しい音色が静かに広がっていく。
雅楽特有の拍も楽師の方々が奏でると、ことばにならない程心地がよい。
いつのまにか意識は日常の錯雑を離れ、心身は清らかになっていく。
贅沢なひとときである。
それにしても、皇族の方々がいらしている中で、一点の曇りもない演奏をされるのは驚くべき凄さである。
楽師なのだからあたりまえ、といえども感服してしまう。
緊張することなど、万が一にもなさそうである。
私も端くれながら、龍笛を吹いている。
仲間内とする稽古であっても、独奏部分は指が震えてしまう始末である。
納得できる吹奏など、できた例しがない。
そんな経験しかしたことがない者からすると、化け物のようである。
いったいどんな心臓をされているのだろうか。
どうしたら、少しでも近づくことができるのだろうか。
いつか先生に伺ってみたいところだが、「くだらない事を考えている暇があれば、稽古をしろ」と、叱られそうで怖い。
「十訓抄」に、以下の記があります。
『堀河院の御代、勘解由使の次官で、明宗という、大変に上手な笛の演奏者がいた。ところがこの人は、驚くほどの気後れをしてしまう人であった。堀河院が笛をお聞きになりたいと思って、召し出した時、帝の御前であると思っただけで、もう心は臆してしまい、がたがた震えて、まったく吹くことができなかった』
【小学館 新編・日本古典文学全集 十訓抄 訳者・浅見和彦先生 p80】
ありがとうございました。