罰があたりませんように | 「ゆるりと仏教」いも掘り坊主の与太話

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「念死念仏 常途用心」
仏さまの御教えを、拙僧のエッセイとともに紹介しています。
ほとんど与太話(^_^;)ですが、法話らしきものも書いています。
つたない文章ですが、笑ってもらえたり、うなずいてもらえたりしたら嬉しいです。
毎週水曜日に更新しています。

このあいだ、お寺の裏木戸の横に小便をかけられた跡があった。

 

あの高さからすると犬でない。

 

どこでしても駄目なのだが、お寺の敷地で立ち小便をするとは。

 

信心が有る無しにかかわらず罰当たりだ。

 

理由を考えてみる……。

 

裏木戸の横は壁になっている。

 

だから、パッと見ではお寺だとわからないこともあるだろう。

 

しかし、少し上を見れば墓石が見える。

 

墓石が見えれば、少なくとも墓所だとはわかる。

 

墓所で小便をするなんて、やはり罰当たりだ。

 

ならば、わかっていても我慢ができなかったとする。

 

だが、幅10メートルの道を挟んで反対側には大きな商業施設がある。

 

裏木戸から徒歩60秒で駅もある。

 

いくらなんでもその距離を我慢できないとは考えられない。

 

やはり罰当たりだ。

 

合理的な理由は思いつかない。

 

小便以外にも、たばこの吸い殻が数本まとめて捨てられていることなどは日常。

 

コーヒーやビールの空き缶が置かれていることも頻繁にある。

 

これだって十分罰当たりである。

 

そういえば、こういう輩はここだけではないようである。

 

以前、役所のロータリーの花壇に「ここにゴミを捨てた人に、バチがあたりませんように」と立て札があったからだ。

 

「なんでわざわざ綺麗に設えてある花壇に捨てるのだろうか」と、憤りを感じたのを覚えている。
 

ここまで書くのだから、相当多いのであろう。

 

手入れをして下さっている人のことを考えられないのだろうか。

 

不思議でたまらない。

 

この事に関しては、神仏がかなえてくれるとは到底思えないのだが、一応祈っておく。


「不要に汚したりゴミを捨てたりした人に、どうか、どうか、どうか、罰があたりませんように」

 

 

お釈迦様の御教えに、以下のお言葉がございます。
 

『自分の幸せだけをもとめる人々は、笑いながら悪いことをする。しかし、かれらはのちに苦しんで、泣きながらその報いを受ける』
 

【岩波文庫 真理のことば・感興のことば 中村元先生訳P190】
 

 

ありがとうございました。