このあいだ、お寺の裏木戸の横に小便をかけられた跡があった。
あの高さからすると犬でない。
どこでしても駄目なのだが、お寺の敷地で立ち小便をするとは。
信心が有る無しにかかわらず罰当たりだ。
理由を考えてみる……。
裏木戸の横は壁になっている。
だから、パッと見ではお寺だとわからないこともあるだろう。
しかし、少し上を見れば墓石が見える。
墓石が見えれば、少なくとも墓所だとはわかる。
墓所で小便をするなんて、やはり罰当たりだ。
ならば、わかっていても我慢ができなかったとする。
だが、幅10メートルの道を挟んで反対側には大きな商業施設がある。
裏木戸から徒歩60秒で駅もある。
いくらなんでもその距離を我慢できないとは考えられない。
やはり罰当たりだ。
合理的な理由は思いつかない。
小便以外にも、たばこの吸い殻が数本まとめて捨てられていることなどは日常。
コーヒーやビールの空き缶が置かれていることも頻繁にある。
これだって十分罰当たりである。
そういえば、こういう輩はここだけではないようである。
以前、役所のロータリーの花壇に「ここにゴミを捨てた人に、バチがあたりませんように」と立て札があったからだ。
「なんでわざわざ綺麗に設えてある花壇に捨てるのだろうか」と、憤りを感じたのを覚えている。
ここまで書くのだから、相当多いのであろう。
手入れをして下さっている人のことを考えられないのだろうか。
不思議でたまらない。
この事に関しては、神仏がかなえてくれるとは到底思えないのだが、一応祈っておく。
「不要に汚したりゴミを捨てたりした人に、どうか、どうか、どうか、罰があたりませんように」
お釈迦様の御教えに、以下のお言葉がございます。
『自分の幸せだけをもとめる人々は、笑いながら悪いことをする。しかし、かれらはのちに苦しんで、泣きながらその報いを受ける』
【岩波文庫 真理のことば・感興のことば 中村元先生訳P190】
ありがとうございました。