本堂を掃除していたとき左足中指を柱の角にぶつけた。
どういう体勢ををとればそんな所をぶつけられるのか。
今になっても不明であるが、打ち所はかなり悪かった。
みれば、爪のしたに血豆が。
爪自体も不安定になっていて、うっかりすると剥がしてしまいそうだった。
ぶつけたところはほんの少しの範囲なのに痛みは激しい。
「怒り」も湧いてきていた。
やり場のない怒り。
自分がぶつけたのだから自業自得。
でも、この気持ちはなんとかしたい。
往生際の悪い私は、不謹慎にも「仏さまの部屋を綺麗にしていたのに、どうして守ってくれなかっんだよ」と、仏さまに濡れ衣を着せてしまった。
濡れ衣といえば、以前、平屋を借りていたときのことを思い出す。
ある日、「カランカラン」と缶が転がる音が。
道に面していない方から音がしたので、気になって窓からのぞいてみると、隣の家との境界にある壁と家の外壁との間にサバ缶が落ちていた。
「どうしてこんな所に」と気味が悪かったが、取り敢えず片づけをしてその日はやり過ごした。
ところが翌日また音がした。
「誰かの仕業に違いない」。
カラスが同じ所に2日続けて落とすとは考えられない。
ネコが缶をくわえてきたのなら転がらない。
張り込むことにした。
隣の方だった。
とても優しい方だったので驚きつつも、「何をしているんですか」と確かめた。
すると、「あんたが置いていくからだ」と。
詳しくきいてみると、この数日、玄関の前に空になったサバ缶が置かれていたのだと。
そっと確かめてみたら、私が猫に餌をやった後そのまま放置していた。
だから、私の家に缶を投げ返しているのだと。
完全に誤解だった。
私は猫に餌をあげてもいなし、缶も置いていない。
このやり取りの後、直ちに真犯人を特定し注意した。
数日後近所の人が、「となりのお婆さん、この前、施設に入所したんだって」と。
「優しい人だったもんな。そういうことだったのか……。」
今では、お婆さんの誤解は仕方がないことだったと納得している。
しかし、濡れ衣を着せられてしまうのはつらいことだった。
「ああ、仏さま申し訳ございませんでした」
法然上人の御教えに、以下のお言葉がございます。
上人が濡れ衣をきせられて京都から四国に遠流となられた際のお言葉でございます。
当たり前ですが、私とは全くちがうお言葉です。
『私、源空(法然上人)が遠方に流されるということは、都から遠く離れた土地の人々に、お念仏の教えを伝えるご縁が熟したからなのです。まことに喜ばしいことです。あらゆる人々に満遍なく教えて、お念仏の道にお誘いしましょう』
【浄土宗総合研究所―編訳 法然上人のご法語2 p331】
ありがとうございました。