墓地を掃除していたら、赤ちゃんを抱っこした女性が観音さまを拝んでいる姿がみえた。
近所の方だろうか、それとも偶然立ち寄ったのだろうか。
しばし手を合わせていたが、赤ちゃんが泣き出すと「ハイハイ。おむつかなぁ」と言いながら山門を後にしていった。
お母さんは、赤ちゃんの泣き声や様子で具合がわかるのだからすごい。
様子でといえば、私にも覚えがある。
小学生の5年生のときだった。
「宿題おわったの」と母が。
算数ドリルの宿題が出ていたからだ。
「終わったよ」と答えると、「本当に」と何故か疑う。
「バレたかなぁ。でもバレるわけないよな」と心の中で。
そして、「じゃぁ、丸付けするから持ってきなさい」と。
しばらくすると、「これ本当に自分で解いた」と再び疑いが。
「解いたよ」
「本当に?」
何度かこのやり取りが続いたあと、「正直にいいなさいよ」と明らかに声のトーンが変った。
怖くなった私は、「答えを写しました」とここで観念した。
母が答えをしまっているところを知っていたので、「早く終わらせてしまおう」と写したのだ。
母は父の様子もわかっていた。
父が夜遅くに帰って来たときは、大概「食事の用意をしますね」と。
しかし、時々、用意をしないときがあるのだ。
あるとき不思議に思い「どうして」と訊くと、「ドアノブのひねり方と歩き方で解るんだよ」と。
お腹が空いているときはドアノブを回すのも歩くのも早くなるらしい。
母親の観察力には鋭いものがある。
観音菩薩は、観察することが自在である菩薩さま。
助けを求めている人々の声を余すことなく聞いてくださる菩薩さま。
慈悲や慈眼は、母親の愛情を例えに説明されることもある。
手を合わせていた女性には観音さまの御加護が、赤ちゃんには加えてお母さんの慈しみが、いつも降り注いでいるに違いない。
観音経に、以下の御教えがあります。
『観音はあらゆる功徳を兼ね具え、ものの本質見極める。その眼もて、因苦にあえぐ人々を見ればたちまち至福あり。それゆえ尊び敬え、人々よ』
【春秋社 観音経のこころ 多川俊英興福寺御貫首さま著 P285】
ありがとうございました。