幼稚園のころ | 「ゆるりと仏教」いも掘り坊主の与太話

「ゆるりと仏教」いも掘り坊主の与太話

「念死念仏 常途用心」
仏さまの御教えを、拙僧のエッセイとともに紹介しています。
ほとんど与太話(^_^;)ですが、法話らしきものも書いています。
つたない文章ですが、笑ってもらえたり、うなずいてもらえたりしたら嬉しいです。
毎週水曜日に更新しています。

このあいだ、隣町の大きな寺にお使い行った。

 

まずは、向拝、つまりお賽銭箱が置いてある所で一礼。

 

それから、左側にある寺務所に向かった。

 

すると、突然大きな声がした。

 

もの凄く大きな高い声が。

 

「何事か」と、咄嗟に声のする方を向くと2人の子供がいた。

 

「のんの様こんにちは」と声を張り合うように。
 

そして、「お友達となかよくします」「あしたも遊びます」と。
 

幼稚園の制服をきていたから、おそらく園からの帰り道。
 

「騒がないの」と、お母さん達は少々恥ずかしそうに注意をしていた。

 

「なんだ」と胸を撫で下ろすとともに、気持ちが温かくなった。

 

「のんのさま」

 

懐かしさがこみ上げてきた。

 

子供頃、「のんの様にご挨拶してきなさい」とか「のんの様にお供えしてきてちょうだい」などと、母親にいわれていたことが思い出されたからだ。
 

お使いを済ませたあと、境内のベンチにこしかけ幼稚園の頃を思いだした。

 

毎朝園へ向かう時には、母親と小石を交互に蹴りながら歩いていた。

 

蹴るのは、大きな通りにでるまでのわずかな距離。

 

大きな通りまでくると、いつのも場所に小石を隠す。

 

帰りも同じ小石を蹴りながら戻り、玄関の前に置いておく。

 

あちこち転がるのが楽しかったのを覚えている。

 

年長の春、突然足が痛くなった。

 

近くの外科で診てもらったがよくならず、都立病院で検査してもらったところ骨髄炎だった。

 

都立病院の先生のお名前は、赤坂先生。

 

とても優しくて、楽しい人だった。

 

私はことの重大さをしる由もないが、母親は身を切られる思いだったそうだ。

 

先生の適切な治療により、お陰様で後遺症もなく現在まで元気でいる。

 

子供たちの声により、おもいがけず昔をふりかえることができた。

 

四十路の男がひとりベンチに座ってノスタルジーに浸っている姿は恥ずかしいが……。

 

いや、恥ずかしくたっていいじゃないか。

 

自分の勤めている寺で祈ればいいのだが、両親の健康をそのお寺さまのご本尊にお願いし山門を後にした。

 

翌日、両親の家へ行った。

 

久しぶりにゆっくりと話をした。

 

 

恵心僧都源信さまの『往生要集』に、以下のようなお言葉がございます。
 

『ただ仏のお名前を聞くだけで、このように勝れた利益があるのだから、まして暫くでも仏の相好を観想したり、功徳を念じたり、あるいは華の一つも供養するときは、なおさらのことであるし、まして一生のあいだ勤め修めるならば、功徳はついに虚しくはないであろう。』
 

【平凡社 東洋文庫21 往生要集2 恵心僧都源信さま著・石田瑞磨先生訳p179】
 

 

ありがとうございました。