心身が疲れていると「今日は笛の稽古に行くのを休みたいな」と感じることがある。
だからといって「じゃあ休もう」と直ぐに判断出来ることはない。
必ず思考が分裂し、いつまでもウジウジと悩みはじめる。
そして、ますます疲れることとなる。
休む派 「疲れているときに稽古をしても身にならないでしょ」
行く派 「それは言い訳だよ。病気じゃないなら行かなきゃ」
休む派 「年中休んでいる訳じゃないよ。今日休むだけだ」
行く派 「休んだら感覚が鈍るぞ」
休む派 「疲れているときに稽古をしたら、変な癖が付くかもしれない」
行く派 「1回サボると、取り戻すためにたくさんの時間を使うぞ」
休む派 「じゃあ行くよ」
行く派 「でも本当に疲れているのなら休む勇気も必要だ」
休む派 「……。」
行く派 「……。」
と、まぁこんなやり取りが続く。
泥沼だ。
なんとか決めた後も、「休んじゃったけれども大丈夫かな。皆から遅れるんだろうな」とか、「休んだ方がよかったかもしれないな。稽古中もボーッとしてしまっていたからな」とか、優柔不断な思考が尽きることがない。
ただ、希に、本当に希に判断が正しかった、と感じることがある。
休んだ翌日に笛を吹いてみると「あれっ、いつもよりいい音がでている」と驚いたり、稽古にでてみると「集中して臨めたな」と嬉しくなったり。
理由は不明。
きっと心身の感覚のつかみかたが研ぎ澄まされていないのが課題なのだと思う。
そこで、最近は「ウジウジと悩むことも判断基準をつかむための大切な稽古なのだ」と考えてみることにした。
本当にそうなのかどうかはわからないけれども、ほんの少し慰めになっている。
お釈迦様の御教えに、以下のようなお言葉がございます。
「ゆっくりとしてよい時にゆっくりし、急がなければならぬ時に急ぐ賢者は。正しい道理によって処置することによって、幸せを獲得する。」
【仏弟子の告白P80 中村元先生訳 岩波文庫】
ありがとうございました。