定期的に御本尊さまに手を合わせている男性がいる。
お参りは、いつも午前中。
その時間に境内の掃除していると、言葉は交わさないがお互い会釈をする。
おそらく40歳位。
「何をされているかたなのだろう。近くにお勤めなのかな。でも服装がまちまちだよな。社長さんなのかな。でも若い方だしな。ご近所に住んでいるのかな。もしそうなら、こんな都会に住めるなんてすごいな」などと、見かけると考えてしまう。
それと言うのも、カジュアルなときもあれば背広のときもあるが、いつも凄く素敵な服装なのだ。
私は洋服のことには全く詳しくないが、そう感じる。
と同時に、お参りの姿もとても綺麗なのだ。
私だって一応僧侶である。
修行で学び、実際に儀式で立ち振る舞いをしている。
だから、自分が出来るかどうかは別としても、所作の美しさは少しはわかっているつもりだ。
その方は境内に入る前、つまり山門の前で起立し、お辞儀をしていから参道を歩きはじめる。
向拝、つまりお賽銭箱が置いてある辺りにくると、合掌しゆっくりと頭を下げて礼拝をする。
しばらく頭を下げた後、頭をあげる。
頭を上げるときは、普通ならパッとあげるのところだが、徐にあげてくる。
戻るときも、参道を厳かに歩き、山門をくぐると再び仏さまの方に向き直り、静かにお辞儀をする。
尊い姿だ。
あるとき、いつもよりもお洒落な服装でお参りをされていたので、「どんなことを祈っているのだろう。会社繁栄かな。健康かな。きっと豊かな生活をされているのだろうから仏さまへの感謝かな」などと余計な推測までしてしまっていた。
戻り際、山門で振り返ったときの姿をみかけると目に涙を浮かべていた。
誰もが色々な思いを抱えて生活している。
自分の浅はかな考えを恥じた。
そして、すぐさま仏さまに懺悔し、その方へのご加護を念じ、ただただ掃除に専念した。
善導大師さまの「六時礼讃」に、以下のようなお経文がございます。
『慈悲をもってわれらを守護し、われらが往生できる善因を増大せしめたまえ。願わくはこの世においても、後の世においても、常にわれらを教え導きたまえ』
【浄土宗勤行の解説 村瀬秀雄先生著p125】
ありがとうございました。