この日最後に参拝させていただいたのはこちらの神社です。
紹介します。不乗森神社です。読めましたか?
わたしは父の会社が近くにあったこともあり、のらずのもり神社という名前は知っていました。が、このような字を書くと知ったのはつい最近のことです
社号標
わたしでも名前ぐらいは知ってる東郷平八郎さんが書いたそうです。
定め書
一の鳥居
忠魂碑がありました。
手水舎
お浄めさせていただきます。
鳥居のところにありました。
知らない人は知らないですから…ね
二の鳥居
ご由緒&由来
当神社の創立年代は、第六十三代冷泉天皇の御代(九六八年)近江国坂本村(大津市坂本町)に鎮座まします日吉大社東本宮の御祭神大山咋命の御分霊を観請して奉斎申し上げたと伝えられる古社である。
当時社頭は、旧鎌倉街道に沿い「野路の宿」(現知立市八ッ橋町)と共に「宮橋の里」と称する駅次の所在地にして、古来より街道を往来する人々は、社頭通行にあたり馬に乗りし者は下馬して自ら敬虔の念をもって拝礼の上通行した。
故に駄野森山王宮と称したが、明治維新改革に際し不乗森神社となる。
【不乗森神社HPより】
狛犬
三の鳥居
ご神門
神猿
神様の御使として古くから大切にされてきました。
拝殿
御祭神 大山咋神
ご本殿
受付
何の受付なんだろう?今は使われていない感じ
絵馬掛け
御神籤結び処
さざれ石
神猿
此の神猿を「マサル」といって神威によって魔が去る悪魔が退散するとか、「勝る」何よりも美しいものを内蔵した正義の象徴として伝えられてきました。
その内でも「見ざる」「言わざる」「聞かざる」の教えは日吉山王神道の基礎となる教えであります。
悪いものは見えない。悪いことは言わない、悪いことは聞かないと言うことは良いものを見、良いことを聞き、良いことを言って良いことを実行すると言う教えで千年以上経過した今日でも少しも変わらない教えであると共にその内には、永遠の真理が秘められています。
【不乗森神社HPより】
幸福釜
古くから行われている神事で豊凶を湯占しています。米、麦、綿、豆、粟、文字を紙に書いて神前にお供えし祝詞を奏上した後釜の中に入れ笹をもってかきまぜるそうです。
根性の木
岩の隙間から伸びている細い木、わかりますか?
境内社の山神社
神明社
稲荷社
津島社
東日吉社
秋葉社
厳島社
駐車場側にも社号標があります。
明治40年とありました。
子安石
神猿神社
御神田
御神田のそばに瓦が置いてありました。
社務所
御朱印はこちらでいただくことができます。この日最初で最後の御朱印を授与していただきました。
宮司さんからお声をかけてくださいました。今日の参拝者はわたしだけだったからか?外出される前だったからか?(御朱印帳を手渡しくださってすぐにお出かけになられました)
地元民だとわかると兼務社の話を少ししてくださいました。場所がわかる神社がふたつ、場所がわからない神社がふたつ。さらにお社がいいよという神社をふたつ。いつか行かなくちゃ
おまけ
こちらの神社、まだうちの父が現役の頃、名古屋場所の寄宿舎になっていました。今朝ニュースでお相撲さんが名古屋入りしたのを見て思い出しました。お相撲さん近くで見てみたかったな。わたしと並んだらきっと細くみえただろうに(笑)
今日も最後まで読んでいただきありがとうございました