どうもーjinmです
でね、アメーバブログってブログネタというのがあったんだけど知ってる?
ちらってみたら 三国志について書かれてるじゃあーりませんか これは無双好きとしては参加しておくでしょ
ってことで参加したw
あっちなみになんか人気ランキングとか 人気もねーのに参加しちゃった(●´ω`●)ゞ恥ずかしい
ブログネタ:好きな歴史上の有名人は?
参加中
実際三国志なんてもんは、今から1800年も前のことだから実際登場人物がどんな人間だったかって分かるわけねーんだ。
実際『三国志』と『三国演技』とでは全然違うし、横山『三国志』と吉川英治『三国志』だって違う
どれが真実に近い(まー一番最初に書かれた三国志だともうけど)かどうかなんて分かるわけねー
例えばだけど 関羽は張飛に比べ義理人情に厚い人間でしっかり者、文武両道で非の打ち所がないように思われてるかもしれないが
三国志を書した陳寿は人物評価として
関羽は剛情で自信を持ち過ぎ、張飛は乱暴で情を持たず、両者共その短所により身の破滅を招いた。道理からいって当然である。
というようにだ、何を見たかによってその人物の捉え方が変わってくるんだぜ
当然昔の歴史書も史実というより、その国における都合のいいように編集されてる可能性もある
だから関羽がね 黒髪美少女で
こんなんが史実かもしれん・・・(●´ω`●)ゞ
ということで 本題にはいると三国無双オンラインをしてる俺からすると
最近好きな武器『鉤鎌刀』から張遼(山田)を一押しするぜ!!
張遼・・・ 169年~222年 字は文遠
丁原、何進、董卓、呂布と何度も主を失ったが、その度に滅ぼした側に配下になる事を請われた名将。
最終的には曹操の下に落ち着いた。世の姦雄達に仕えた稀な遍歴を持ちながら、蜀の軍神関羽と交友があり、下邳の戦い、官渡の戦い、赤壁の戦いなど三国志の大戦において活躍した。
演技より正史の方が派手という稀有な将 。
合肥の戦いではリアルに三国無双をやってのけた
守兵七千で孫呉軍十万を迎え撃つのは当たり前、精鋭騎兵八百で突撃のときも。
兵力100倍差、チームメイト全員不仲の状況から皆で逆転
この鬼神の如き戦いぶりは相対した孫権や江東の兵たちに相当のトラウマを植えつけたらしく
「(張遼がくるぞ!)」と叫ぶだけで呉の兵は浮き足立ち、死の寸前で病の床に臥せっていた時ですら孫権は「張遼が病程度でどうにかなるはずがない」と攻め込まなかった。
この活躍が元で、江東では子どもを静かにさせる時に「泣いていると張遼がやってくるぞ」と言い聞かせた。 これが「泣く子も黙る」の語源となったという。
唐代の史館が選んだ中国史上64名将(『新唐書』巻15)のうちの一人に選ばれている。
魏の将では他に鄧艾一人。
老若男女問わず人気が高い。蜀寄りまたは呉寄りの三国志作品においても実力下方修正やかませ犬的扱いされることがほとんどない
上司、部下からの人望は厚く、曹操と同じ車に乗せてもらったり、曹丕からは、自分と同じ食事を賜ったり皇帝専門医をつけてもらったりした
また、家族部下全員が厚遇され、家族には邸を建ててもらい、合肥の戦いの決死隊の部下は後に全員出世し近衛兵となっている。病床時には決死隊の部下が見舞いに訪れ道にあふれかえっていたという
反面、同僚の李典、楽進とは仲が悪かったが、合肥の戦いにおいて私情を交えず国家のために戦った
同僚とは折り合いが悪い面もあったが、自分の非を認めたり礼儀を重んじることができたため、生涯を敵を作らず乱世の中で勝ち組となることができた。
(ニコニコ大百科より抜粋)
かっこよすぎるぜ!!!俺もこういう漢になりたい!!
おわり