北区つかこうへい劇団の公演では、
衣裳が稽古着かそれに近いものが多かったのですが、衣裳にまつわる思い出もあります。
公演中の早替えです。
1番着替えた回数が多かったのは、
新橋演舞場の『幕末純情伝』
最初は踊りのシーンなので、黒留袖っぽい着物、それからタキシード、ボロボロの着物、龍角散のお掃除部隊のための軍服みたいな服、白レオタード、花嫁衣裳、タキシードと順に着替えていきます。
それぞれに着替える時間も場所もあったので、
新橋演舞場の楽屋のある3階までの往復がきつかっただけで、着替えは大変ではありませんでしたが、
『蒲田行進曲~城崎非情編』では、
ラストシーンの着物からカーテンコールのタキシードまで、着替え時間が20秒と非常に厳しく、
本番中は、衣裳さんが1人つきっきりで、早替えを手伝ってくれていました。
ラストが中村屋の若旦那と小夜子のシーンで、袖にはけるとすぐにカーテンコールです。
楽屋まで戻る時間もなく、袖に着替えスペースを作ってもらって、
着物の下にタキシャツを仕込んでおいて、手早く着替えさせてもらいます。
それでも、ゲネプロは間に合わず、
つか先生からも自分の名前の番に間に合わなければ、あとからゆっくり出ればいいから
と言っていただいていたのですが、
ここは衣裳さんのプロ根性で、なんとか初日からは間に合いました。
日々、早替えに2人とも慣れて、千秋楽には、名前が呼ばれる前に、袖にスタンバイすることができるまでになりました。
『風を見た女』でも、ラスト着替えがあって、
これも短い時間でしたが、衣裳さんの見事な手さばきで、毎回出演者コールには間に合っていました。
しかも、出の前に、顔がぐちゃぐちゃで、汗と鼻水をふいてから出ていたのですが、
数日後には、楽屋でティッシュをもってスタンバイしてくれていて、感動しました。
『ステロイド』では、生着替えがありました。
ジャージから、ワンピースへ舞台上で生着替え。
ジャージの下に黒い短パンをはいていたのですが、1度ベージュの短パンをはいたら、
私が短パンをはき忘れたのかと思って、共演者たちを慌てさせるという出来事があったので、
それ以降は、黒い短パンにしました。
研究生の時の公演や、顔見世公演は、
衣裳なし、照明なしというものが多く、
衣裳ありの公演をしてみたいものだと思っていましたが、
最近になって、あのときの衣裳なしの意味がようやくわかるようになりました。
シンプルイズザベストです。