渋沢栄一記念館へ行き、煮ほうとうを食べた後に旧渋沢邸「中の家」なかんち にも立ち寄りました。


入場料無料で公開してる旧渋沢邸「中の家」


渋沢はこの地の開拓者一族であり、主屋を囲むように副屋、土蔵、正門、東門のある養蚕農家屋敷の形を留めています。


先ずは主屋に入りますと直ぐに『晴天を衝け』のセットがありました(*^^*)


大河ドラマ観てなかったので、ここでご飯作ってたのかしらねーと話ながら眺めたら、「これセットなんですよ〜」と言われました(,,- -,, )恥ずかしい


大河ドラマで着用していた衣装の展示やパネルを見ながら、吉沢亮が渋沢栄一って格好良すぎじゃない?と思ったりしたけど、大河ドラマを見てみたい気持ちになりましたが、どこかで見れないのかなぁ?


撮影で着ていた着物は藍色地染めで、着古るして見えるようにエイジング加工したそうです。

晴天を衝けの大河ドラマ館もあるみたいですね。


『近代日本経済の父』と称される渋沢栄一のアンドロイド・シアターがありました。

ここでは、帰郷した80歳代の栄一アンドロイドと映像を組み合わせて栄一が語ります。


ストーリーは4つあり、ミニチュア模型に手をかざすと始まります。
血洗島や仲間たちとの思い出話の他に血洗島の鎮守社である諏訪神社の祭礼で少年時代踊った獅子舞の話、藍玉の番付を作った話、焼き討ちの計画フランスに渡ったきっかけなどが聞くことが出来ます。


家の中を歩いて、廊下や庭などを見ながら、色んな所に素敵ポイント見付けて喜ぶ私たち(∩´∀`∩)💕


なかなか行かないと思うので、このYouTubeはとてもわかりやすいので良かったら合わせて見てみてください。

煉瓦カマドとか大黒柱とか色々撮らなかった所が、このYouTubeで見れます❣️結構面白く見れます(*^^*)


渋沢家は藍玉だけで現在の相場で言うと年商10億あったとされています。

栄一は幼少の頃から父に付いて歩いた藍の買い付けを見て育ったが、14歳の頃、父にそろそろ家業に心を入れなさいと、祖父に付いて買い付けを勉強するように言われるが、年老いた祖父と一緒に行動するのが嫌で、一人でやらせてくれと頼んだそうです。

栄一が22歳の時、藍玉製造者から仕入れる藍玉のは品質を調査し、相撲番付を真似て「今年の藍作りの大関、関脇、小結、前頭」などとランク付けし、製造者を招いてご馳走する時の席順をきめ、製造者たちの競争心をあおることで、藍玉の品質は向上したと言われてます。


子供時代から、素晴らしい商才を開花させていたのですね👏(・_・)スバラシイ


新しいお札のパネルがあったので、これも載せておきます(*`・ω・)ゞ
新デザインのお札は見る方向に合わせて顔が動く('ω'三'ω')凄い工夫ですよねー‼️


新しいお札のデザインと古いお札の比較もされてました。


東京電力とりそな銀行を手掛けるきっかけをわかりやすい漫画で説明されてました。

渋沢栄一さんの関わった企業などは膨大で、日本の経済の父と呼ばれるのも納得ですね。


庭には幼少の頃の栄一像も置かれてました(*^^*)

他にも蔵とか藍玉の作業場?とか色々ありましたが、最後に正面からの主屋の写真で、中の家を出て移動します。


地図を見ながら諏訪神社へも足を伸ばしました。


諏訪神社は中の家から歩いて15分ほどの場所。

幼少の頃、獅子舞を踊ったという⛩神社は迷わずに来れました。

 

ものすごく天気の良い日だったので、写真は暗いのばかりで残念😢


社務所などはなく、御朱印とかもありませんが、パンフレットに御朱印は刷られてましたが、これは切り取って御朱印帳に貼ろうかどうしようか…悩む(-.-;)ツルツルなんだよね


バスの時間までだいぶあるので、バス停1個分歩いて、「尾高淳忠生家」まで歩いて見ることにしたけど、ここも軽く道に迷いながらも、無事到着!数少ないバス;🚌;の時間をキチンと見ておいて行動せねば‼️


尾高淳忠は教育者として自宅で塾を開き近隣の子供たちに学問を教えていました。後に官営富岡製糸場の初代場長も務めました。


渋沢栄一は人を魅了し、協力をとりつけるのが得意な人物であったようですが、偉人になるか罪人「国家転覆を目論んで外国人を斬殺した人物」になるか運命の分かれ道があったようです。



高崎城襲撃と横浜の焼き討ち計画


この攘夷計画を淳忠と共に70人のメンバーを集め、ここ尾高家の2階で密議が行なわれ、血判状を作成したそうです。

しかし尾高淳忠の弟である長七郎「暴挙を起こそうという計画は大間違いである」と論破され、攘夷計画を取りやめることになりましたが、これは🇯🇵日本国としても運命の分かれ道だったかもしれませんね。


1万円札の顔に選ばれた人なのに随分と物騒な過激な過去があるのね?と思い、ちょっと調べてみたら、詳しいきっかけは書いてませんでしたが、焼き討ちを止めた経緯は書かれていました。

東洋経済オンライン

ここには徳川代15将軍 徳川慶喜との出会いまでが書かれてました。


尾高家の煉瓦造土蔵  とても大きな蔵ですが、写真で伝わるかな?


バスの時間がまだあったので、かなり疲れてる私たちは中で座らせて頂いてる間、実際使用されていた竈を見ながら管理者の方のお話を聞いて来ました。


少しゆとりを持って、バス停に戻りベンチに座って待ってる間も、四人ともヘトヘトで、予定していた『七ツ梅酒造跡』に立ち寄るのを止めて帰る事に決定❗️


途中下車を中止して真っ直ぐ深谷駅に戻りました。

深谷の日帰り旅の思い出に1人づつ記念撮影📷💭💓

ここ、深谷駅で使用されてる煉瓦も東京駅で使用されてる煉瓦も渋沢栄一が設立した日本煉瓦製造が生産したものなので同じ煉瓦なんですよね❣️


調べれば調べる程、色んな日本の経済に渋沢栄一さんが関わっていることを知り、1万円札の顔の偉大さを感じましたお札


20年毎に次のお札の顔の方は変わるのですが、歴史を調べて次のお札の顔の予想をするのも楽しいかもしれませんね。


駅のコンビニで少しお買い物をして電車に乗り込んだら、ちょうど学生の帰宅時間に被ったせいか、混んでいて💦隣がグリーン席だったので、お金出しても座りたい状態だったので隣の駅でグリーン席に移り、涼しい快適を手に入れ、ようやく笑顔( *´﹀` *)


大人の日帰り旅、なかなかハードでしたが、終わって振り返ると楽しかったかな〜♡

身体が動くうちにまたみんなで何処か行きたいニコニコひらめき指差し目がハート❣️