三河武士の聖地となった家康誕生の城🏯


岡崎城の駐車場からの眺めは発掘調査に基づいて再建された東隅櫓が見えます。手前の砂場みたいな場所が菅生曲輪で、堺の向こう側に東曲輪があり、写真を見て右側に枡形門があるらしいのですが、今回は近くまで行っては確認していません。


岡崎城公園になった現在は、ここ菅生曲輪は現在多目的広場として使用しているようです。


注意さてさて今回、アメブロ時間をなかなか取れず少し書いては下書きしてるものだから、気付いたらつい長くなりましたの城に興味の無い方は写真見ながら読み飛ばしてくださいね<(_ _)>

その場にあった説明文や、資料を参考にしていますが間違えていたらごめんなさい🙏


地図を見ると天守を囲んで乙川(菅生川)、伊賀川に挟まれ、更に幅の広い龍城掘青海堀があり、守りを固めています。


この水堀は龍城堀りという名前が付いてました。

水堀沿いには城南亭葵松庵茶屋があり水堀を見ながら過ごせそうですが、今回は遠目で見ただけです。


地図で確認すると龍城堀りの沿いにあるのは辰巳櫓巽閣という無料休憩場になっているようです。


辰巳櫓をぐるりと回ってみたら、あら結構横に長いのね(*´艸`)

案内書を見たら、ここって本丸みたい。

つまり本丸の真横に辰巳櫓があったんですね(´・ω・`)


本丸

岡崎城の中心部で、松平清康( 家康の祖父)が城主の時に社が建てられていたことから「八番曲輪」とも呼ばれます。城から北東方向の甲山から延びる丘陵の先端に位置し、西は矢作川、南は菅生川(現在の乙川)に囲まれた天然の要塞となっています。

江戸時代には天守のほか、月見櫓や辰巳櫓など多くの建物が建っていました。

本丸を巽閣として利用しているの?


庭園へ近づくと傾斜を上手く使ったバランスの良い日本庭園🌳


天守の横には龍城(たつき)神社⛩現在は天守の真横に置かれてますが、明治9年にここに配置されたようですね。


龍城神社

徳川家康公本多忠勝公を御祭神として お祀りする岡崎市の中心の神社で、絵馬諸願成就や開運守護のご利益があると信仰されてるようです。


岡崎城の龍神伝説  🐉


西郷頼嗣という人がはじめてこの地に城をつくったとき、井戸に棲む龍が一人の乙女の姿になって現われ、「私はこの地に永らく棲む龍神です。私を守り神としてまつれば、この城をずっと守護し、栄えさせましょう」と告げました。

その時、井戸の水が天高く吹き出し、その水をあびた龍神はたちまち姿を消したそうです。これに驚いた西郷は、龍神をまつり、城の名を「龍ヶ城」と呼ぶことにしました。

それからおよそ100年後。

一人の男児がこの岡崎城で誕生しました。すると、城の上に黒雲が渦巻き、風を呼んで黄金の龍が現れたのです。この男児こそ、のちに江戸幕府を開いた徳川家康でした。



徳川家康公は産まれた時から龍神に守られていたのかなぁー🤔


御朱印も頂きました😋



岡崎城天守の手前に遺訓碑が置かれています。大きな亀趺(きふ)「亀の形の台座」の上に徳川家康公の遺訓が彫られていました。

なんて書いてあるか…その場ではちゃんと読まななかったので、AIに聞いてみました


最近、歴史を少しづつお勉強していて、色んな武将を調べるようなったら性格的な部分や行動……推しの武将って意味で、武田信玄上杉謙信も魅力的だけど、私の推しの武将は徳川家康公かなーと感じ初めています😊


これから天守の中へ入って行きます( * ॑꒳ ॑*)こちらは土足OKグッ


1617年徳川家康の祖父松平清康がここを本拠としかいちくを行いました。付櫓井戸櫓がついた、三重三階地下一階天守です。

ここは明治時代に壊されましたので、現存天守ではなく 1959年に再建したものです。

天守を支える石垣は岡崎産の花崗岩が使われていて1592年~1596年頃の古い「野面積み」が残っているようです。石垣の上の方は新しい感じに見えるのですが、下の方は歴史を感じますね🙂


北・東面には巨大な鏡石が入る城内で最も古い石垣である。天守台の石垣の内部は、地階として石塩に囲まれた穴蔵となっている。


鯱瓦の展示を見ると、鯱と言うより狛犬っぽく見えるのは顔の印象?当時の瓦師の作品の特徴なんですかね〜?

所々壊れていますが、天守建時に青銅製鯱を製作する際、モデルの1つになったそうです。


登城用軍足

徳川家康が開いた江戸時代も天下泰平の世となり、戦が行われなくなりました。すると武士たちは日々武芸に励みながらも、武家の備えとしての甲冑や刀剣は実用の道具から武士階級の象徴として重視された。藩主一代ごとに新調された武具は、鎧着初めや正月の具足祝いの儀式で飾られました。


五万石の石高でありながら名門譜代大名が入城した大城郭 岡崎城は、城下に住んだ商工業者により支えられた。これは歴代城主のまちづくりの工夫のたまものでもある。

江戸を結ぶ東海道と、倉州へと向かう足助街道を総構え内に取り込んだことで、物資・文化の交流拠点となった。さらに矢作川菅生(岩所)の舟運とつなげ、広い商圏をもつことで、産業を発展させた。こうして岡崎城下は城下町、宿場町、門前町として繁栄した。


岡崎城下は産業が発展して城下町にも活気が溢れていたのですね( ˙꒳​˙ )その中に八丁味噌のカクキューの事も書かれてました(*^^*)見学後だったので、載せちゃお♡


早くから火器に着目していた徳川家康は、稲富直家を鉄砲隊の指南役とした。このとき伝わった稲富流火術の流れをくむ稲留流の花火が三河で広がった。江戸幕府が開かれ、火薬の生産と貯蔵が家康生誕の地である三河に限定される中、花火は庶民の間で祭礼の奉納用として用いられ、人々の娯楽として発展した。文化年間(1804-18)から菅生神社天王祭に奉納された金魚花火は、金町の研せんが改良し、岡崎独特の花火として知られました🎇


随分と昔から花火の娯楽があったことに驚きましたが、金魚花火って名前の通り、姿も可愛いですね♡


岡崎城は5階まであります

1階  天守台穴蔵と心礎・用材の展示

2階  家康が生まれた城 岡崎城の成り立ちと造りの紹介

3階  庶民の活気 岡崎城下町 暮らしと文化の資料の展示

4階  岡崎城シアターで江戸時代の城下町の映像で楽しめます

5階  展望室 天守からの眺めで東西南北見渡せます


天守の最上階には、重ねスタンプが順番に並んで置かれてました(*^^*)あちこち歩いて回らなくて、ちゃんと完成するから、良いので嬉しいですね。


そして天守からの眺め東西南北です。網目がありますが、どこまで見渡せるのかが分かりますニコニコ


天守をじっくりと満喫した後は、城内の散策です。


本丸北側には清海堀という空堀がありました。

ゆるやかな曲線の空堀で、幅は狭く短い堀だけど、中世の遺構がよく残っていると100名城の本に書いてありました(ฅ'ω'ฅ)


本丸持仏堂曲輪を隔てる堀で岡崎城の最初の築城者である西郷頼嗣の法名「清海入道」に因み名付けられました。

城内でも古い時代に構築されたと考えられる曲線的な堀です。本丸側は急斜面の土塁のままですが、対面側は後の改修により石垣が築かれたもので、築城の変遷がみられます。


近くで見ると、幅もあり深さもありました。それにしても本当に綺麗に整備されてますね🙂お堀の中は歩きやすそうに見えますが上がるのは大変そう(✘д✘๑;) ³₃


持仏堂曲輪跡 

阿弥陀仏を安置していた場所だったようです


太鼓門

二の丸から持仏堂曲輪に通じる櫓門で現在は石垣を残すのみです。

江戸時代には械下に時を知らせる太鼓が置かれていたことから太鼓門と呼ばれています。岡崎械下の出入口(龍番片、表量後片)の関閉時封を知らせるため。毎日この場所で太鼓を打っていました。



三河武士の館の前で人が集まってるな〜と何だろう?と思ったらおもてなし武将隊かな?自己紹介の後、少しお話したあと歌って踊っていました(*^^*)

ファンらしき姿も沢山いらっしゃいましたよ〜


本多忠勝像を発見(☆∀☆)家康館の近くだったので見つけることができたのですが、四天王全員の像は無いのかなー?と調べてみたら岡崎城公園内の何処かに全員居るそうなんです。

そうとは知らずに探さずに帰ってきてしまいました💦

『生涯無傷』と伝えられる猛将の本多忠勝公

57回もの戦に参加しながらもかすり傷1つおったことが無かったと言われてました。本当ならとても凄いですよね!

居城は我が県の千葉県の大多喜城🏯です╰⁠(⁠*⁠´⁠︶⁠`⁠*⁠)⁠╯


毎時00分と30分になるとからくり時計が動くそうで、こちらもからくり時計と知らずに見なかった😖⤵写真を見たらあと5分だったのね〜😭知ると後悔しちゃいますね💦

ここはなかなか良いアングルで記念写真が撮れるフォトスポットです(*^^*)


武将隊を横目で見ながら、私たちは家康館へ入ります❣️

文字が天井からぶら下がってます。あれ?これって見た事あるけどなんだったかな?と調べてみることに。

『厭離穢土 欣求浄土』

辛く苦しい穢れた世を離れ、清らかな極楽浄土へ行く事を熱望する。

これは徳川家康の座右の銘で、戦国時代のはたじるしでした。

『天下は一人の天下にあらず 天下は天下の天下なり』

権力は個人の所有物ではなく、万民の為に存在するという思考。家康が二代将軍秀忠に伝えたとされています。



徳川家康と本多忠勝、榊原義政、井伊直政の甲冑のレプリカ展示もありました(ฅ'ω'ฅ)写真が暗くて残念😭


三河武士の館 家康館では、家康のご先祖さまの事から岡崎などに残っている家康にまつわる話の紹介、回廊コーナーやシアターなどがあります。


体験コーナーには火縄銃や長槍などの模型が設置されていて手に取り重さや長さを体感出来たり、兜などを身に付け馬に跨り記念写真も撮れるけどこれは子供用かな?

家康が19歳の時の桶狭間の戦いで着用していた金陀美軍足と59歳の時の関ヶ原の戦いで着用していた歯朶具足のレプリカの展示はこちらにもありました。


ジオラマシアターはストーリーが丁寧なので、全て見るのは時間が必要そうだったので、少しだけ見て次に進んでしまいましたm(_ _)m


家康館を出たあとに徳川家康像を見ると、何故か神々しいイメージになりますね。


こちらはフォトスポットが沢山用意されていて、人が入らなくても素敵な感じだわ〜(ღ*ˇ ˇ*)。o♡


家康の騎馬像は…水の中とはいえなんで馬の脚作らず石の上に置いたんだろう?ちょっと残念(´・ω・`)


背後に天守もありフォトスポットとして最高の、竹千代と呼ばれていた頃と大人になってからの徳川家康と一緒に座れる天下人家康ベンチ


岡崎城 二の丸跡地は能楽堂になっていました。


厳かな雰囲気がありますね


二の丸能楽堂と家康館の間には「三方ケ原の戦い」で武田信玄に大敗し、命からがら浜松城に戻った際に、家康はその惨めな姿を絵師に描かせたそうです。

敗戦の経験を忘れず慢心を戒め、家康の忍耐と謙虚さを表した家康しかめ像



お城ファンで無くても、公園を散歩してる気分を盛り上げる演出も所々に見られる岡崎城公園。

近所に住んでいたら、何度も来てしまうだろうなぁ🤔岡崎市って魅力的ですね〜💕︎


空堀も沢山あり、内側には野面積みは敵の侵入を防ぐ意味もあり、なるべく垂直にする為でもあるんですよね。


岡崎城公園をぐるりと回って再び辰巳櫓まで戻ってきました。

辰巳櫓台下石垣は城内でも最も完成度の高い石垣だそうですよ。特に隅角の造りは「江戸切り」は幕府が権威を示すために築いた江戸城、大阪城、名古屋城などで見られる職人の高い技術と手間のかかる工法です。

岡崎城はとても広くて、見所も盛りだくさん!とても1度では堪能出来ない城でした。

ちゃんと見てきたつもりでいましたが、こうやってブログにしてみると…産湯の井戸や、四天王像、竹千代橋、、大手門、お土産屋さんさえも見れてなかった( ◜. ̫.◝ )オカザえもんグッズ見たかったなぁ〜


それでも長くなりましたが最後まで見てくれた方、ありがとうございますm(_ _)m


少しづつ歴史を勉強しているうちに、今まで飛ばしていた所も気になるようになってしまい、だんだんと細かくなってしまってます。

分けてアップしたら良いんじゃない?と言われそうですが、一城一話にしたい気持ちもあり長くなり、こんなレポートのようなブログ誰が読むんだよ!と自分に自分がツッコミ入れています(笑)I'm sorry.