1月の中旬頃、友人のきょうちゃんのダンスの発表会を見に行く事になったのですが、始まり時間が遅い時間だったので、その前に遊びに行こう(๑•̀ㅂ•́)و✧と『ゴッホアライブ』へ行ってきました。


場所は浜松駅から羽田空港へ向かうモノレールの天王洲アイル駅にある寺田倉庫なんですが、ホームに入って来た電車に乗り込んだら、降りるはずの天王洲アイルを通過し、他の駅も次々と通過して行く……💦どうやら特急?に乗ってしまったようだ😭羽田空港 第3ターミナル駅まで来てしまい💦結局、早めに到着するはずの私は遅刻するという失態。

どうも、私には乗る前に確認するという初歩的な行動が欠けているようです😭


6駅も戻らないといけない😭おかげで30分の遅刻となりました。


やらかした私を責めることなく待っていてくれた、みやちゃんとやえちゃん…ありがとう笑い泣き


チケットの手配は私がしているので、電子チケットは私が出さないといけないのに、気持ちが焦ってるから手間取る😂それでも無事にチケットを表示出来てゴッホの世界観体験へレッツゴー‹‹\( ˙▿˙ )/››



オランダ南部の農村地域のスンデルト 1853年3月30日プロテスタントの牧師の息子として産まれたフィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホ


ゴッホは中学を中退した16歳の時、叔父の画商グーピル商会で仕事を始め、美術の世界の商業的な側面に深く関わることになる。グーピル商会に勤めた6年の間に絵画への変わらぬ情熱を育む。


20代初期自らの進路を決める事に躍起になり神学の勉強に励んだが上手くいかず精神不安定になり、グーピル商会を解雇される。


その後、福音伝道師の職に付くが、自らの仕事に熱心になり過ぎて解雇される。


1880年27歳に芸術へ向かい、独学で画家となる。


10年間で930点の油絵と1100点の素描とスケッチの二千点の作品を残している。



ゴッホの作品はオランダ時代パリ時代、アルル時代、サン=レミ時代、オーヴェール=シュル=オワーズ時代フィンセントの5つの変化があります。


【オランダ時代】は様式的には暗く、その後に煌めくような様式とは対照的な作品が多い。


今回のゴッホアライブで、私は作品を見付けることが出来ませんでしたが、ネットで調べると見る事が出来ますね。


【パリ時代】1886年~1887年は印象派時代のパリの活気に刺激され有名にする独自の様式に変化し始め、色彩は明るくなる。


浮世絵に大きく影響を受けたのもこの時代。

南仏で過ごした日々は人生で最も幸せな時代だったが、生活苦により、精神的に異常をきたしてしまい次第に下降していく。


【アルル時代】1888年~1889年

経済難からジヌー夫妻のカフェの2階に住むようになり、黄色い家の生活が始まる。

画家同士が同じ部屋に住みお互いに学び取る生活を夢見ていゴッホは2年前に知り合った友人ゴーギャンとの共同生活をこの部屋で過ごした。




『ヒマワリ』

友人のゴーギャンを待つ間、ゴッホは🌻15本のひまわりを花瓶に挿し描き始める。描かれるひまわりは少しづつ本数が減っていきます。弟テオに宛てた手紙にはひまわりは自分自身であると書き綴っていたそうです。


『星月夜』『ローヌ川の星月夜』『夜のカフェテラス』

妹に宛てた手紙には昼より夜の方が豊かな色彩に満ちているように感じられると書き綴っていたそうです。




私は、ゴッホの夜の世界がとても好きなので、この空間は夢のようでした♡本当に素敵です✨



スクリーンに映し出される絵は次々と変わり、2000点のゴッホの作品を堪能する事が出来ました。


星月夜を立体に表現していました。とても神秘的でした。


アルル時代の作品はゴッホの作品でも有名な物が多く感じられます。それは友人ゴーギャンとの共同生活が影響しているのでしょうか。



友人ゴーギャンとアトリエの共有が始まりましたが、年上で自分の意見をしっかりと持つゴーギャンと口論になった時に耳をからかわれたから、ゴッホは自らの左耳を切断してしまう。耳切り事件の説は色々あるので、真相は推測でしかないようですが、ゴッホの性格が現れてる事件です。


死んだようにベットに倒れていた所を警察に発見され精神病院に収容される事になる。


【オーヴェール=シュル=オワーズ時代】1890年 虚無感は心に残る彼の作品が数々に明白に反映されており、彼の最後の日々がいかに苦しみに満ちたものであったかがわかる。



【自画像】キャリアを通して描かれた自画像の数々。5つの変化をはさむ形で登場し悩み多き芸術家の移り変わりと感情を映し出されています。



『オーヴェール=シュル=オワーズの協会』

到着後間もない頃に描かれた作品


『ガシェ医師の肖像』

ファン・ゴッホは、ガシェ医師かわ気に入っていて、出会った2週間後にこの絵を描いている。


1890の春まではファン・ゴッホの体調は回復していた事で、療養院を退院していたこともあって、色彩豊かな明るい花の造作に取り掛かった。

一部ではありますが、ゴッホアライブの雰囲気をご覧下さい。

こんな感じで、ファン・ゴッホの作品をナレーションと曲と共に多面に映し出されています。



1890年7月27日、ファン・ゴッホは弟テオへの完成することのない手紙を書き始めた。書いてる途中で、町を超えて麦畑まで歩いて行き、そこで自らを撃った。震える足取りで何とか部屋に戻った彼をガシェ医師が見つけた時はまだ息があった。7月29日ファン・ゴッホは弟の腕の中で息を引き取った。悲劇は続き、その6ヶ月後、テオも病のためこの世を去った。

二人の亡骸はオーヴェール=シュル=オワーズに隣合って埋葬された。


『カラスの飛ぶ麦畑』

ファン・ゴッホの最後の作品の1つであり、深く悩める心を映し出されている。そこにはどうしようも無い悲しみと言い知れぬ孤独が現れている。



フィンセント・ファン・ゴッホの37歳という短い人生でしたが、生きている間に描か売れていれば、今はどのような知名度だったのでしょう。

画家は亡くなってから売れるイメージがあるんですが、何故なんでしょうね。


出口付近にはたくさんの🌻🌻🌻🌻🌻ヒマワリ🌻🌻🌻🌻🌻のフォトスポット♡


【ゴッホアライブ】行って良かったです❣️


ゴッホの世界観を体感した後は、遅めのランチタイム🍽

ヒマワりのデザインのキーマカレー🍛星月夜のイメージのドリンクで余韻に浸りながらのランチ🍽


ここには、夜のカフェテラスのフォトスポットもあり、楽しく撮影してきました😊



ご飯食べたし、時間早いけど移動しようか!って事で、移動開始です。


駅へ向かう途中に巨大ゴミ箱発見(☆∀☆)

ゴミも見てるだけで「あ!これは!」みたいな発見があって面白かった爆笑


天王洲アイル駅からりんかい線に乗り、大井町駅経由で鶴見駅へ向かい、時間までお茶したりして過ごします。


きょうちゃんのダンスは同じ歳とは思えないキレキレで、これからも応援したいって思いました☺️


私は発表会が終わったら、そのまま帰宅しましたが、みやちゃんとやえちゃんは横浜へ移動し1泊してから、翌日明るくなってからの帰宅でした。


みんなお疲れ様でした〜٩(ˊᗜˋ*)و花束、きょうちゃん喜んでもらえたみたいで良かった♡


1週間後、また一緒に遊ぶんですけどねー😊それは次回に!