静岡県1泊2日の旅、2日目の最後の観光はこの日2回目のお城見学🏯です。

『浜松城』は残念ながら日本100名城では無く日本100名城」なんですね〜ニヤニヤ汗

今まで、日本100名城のみを攻めていましたが、今回はパパちゃんが私に「百名城じゃ無いんだけどさ浜松城はどう?」と聞いてくれて、大河ドラマ『どうする家康』を見てしまったが為、スタンプなんて関係なく行くべき❣️という事で、コースに組み込んでくれましたが、既にこの日は午前中からたっぷり歩いてる。

🏯掛川城へ行き*⋆✈エアパークへ行き、帰る時間も長いから、考えると3か所目はパパちゃん疲れちゃうだろうから無理しなくて大丈夫だよ!と言いましたが、エアパークから比較的近いんだよ!と連れて行ってくれました。


この日、朝食を沢山食べたので、2人ともお昼ご飯要らないね!と言う事で、昼食タイムは無しウインク



駐車場から④中央芝生広場を横目に歩き、⑤日本庭園もあるねーと確認のみして進みます。

日本庭園を過ぎると直ぐ両サイドに石垣が現れます(*^^*)

先ずは右側の石垣。人が上に立っていたので、登れる様子ですが、今回は見るだけにしておきます。


道幅は車がすれ違えるくらいかな?

浜松城の石垣は野面積みで、石をほとんど加工しないで積み上げ、隙間には背後から銅石を入れ石が動かないように固定して、さらにその隙間に砂利を入れ水はけを良くする方法を用いているため、雨風に強い作りになっています。


永禄11年(1568)、三河から東進し、今川領の制圧を開始した徳川家康。家康は、駿府に攻め込んできた武田信玄の侵攻に備え、遠州一帯を見渡せる三方ヶ原の丘に着目しました。天下を盗るためには、まず信玄を倒さなければならないと判断した家康は、元亀元年(1570)、岡崎城を長男の信康に譲り、三方原台地の東南端に浜松城を築城、駿遠経営の拠点としました。(浜松城のご案内より)


徳川家康は29歳から45歳の17年を浜松城で凄しましたが、その頃には天守は作られていなかったようです。

家康が土を盛って土塁を築いた城を、高石垣を備え、天守の建つ城に大改修をしたのは天正18年(1590)に城主となった豊臣秀吉の重臣 堀尾吉晴でした。


浜松城の石垣に使用されてるのは、浜名湖北岸の山々から切り出された、珪石、石灰岩、結晶片岩で、少し明るいオレンジの入った色味なので、こちらの石垣も何となく明るいイメージですね。

お城と青空は最高ですね(*`ω´)bこの日、雨予報でしたが、天気予報が外れてとってもラッキーでした(*^^*)✌️


最近、石垣を上る人が居るらしく、こんな看板を立てなくてはいけなくなり、大切に復元しているのにえー?なんで石垣を上ろうなんて思うのか…常識外れでちょっと腹立たしい気持ちになります。本当にヤメテ!


それでは天守の中へ進みましょう!


天守の入り口はなんだかミュージアムのようですね〜あまり時代は感じ無いなぁ。


正面に書かれている文章をちょっと写しましょう。


「浜松で出会う 情熱的な家康の姿」

1570(完亀元)年、徳川家康は岡崎から浜松へと拠点を移し浜松城を築城した。浜松城在城中には三方ヶ原の戦いをはじめ、武田氏との攻防、築山殿の殺害、長男信康の自刃など苦難として語られる出来事が多い。一方で若さにあふれた勇猛果敢な家康と出会える貴重な城でもある。1582(天正10)年の武田氏減亡後には、三河・遠江・駿河・甲斐・信濃の5か国を領有する大名へと成長し、活躍の場を全国へと広げていった。

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等、浜松城の色んなことが入り口の壁に書かれています。


徳川家康の甲冑が飾られています。


左側は家康の若い頃のもので、桶狭間の戦いなどに身に付けていた金陀美具足


右側は関ヶ原の戦いを直前に控えた時期に七福神の柱である大黒天を再現されたものを作らせたと言われた伊予黒系威胴丸具足

成長が分かるほど、甲冑の大きさも少し違いますね。


家康が31歳の時、武田信玄との三方ケ原の合戦に浜松城から出陣する時に残した言葉がだったそうです。

「我もし浜松を去らば、刀を踏み折りて 武士を止むべし」

家康の覚悟が誰でも分かる言葉ですね。


甲冑は他にも展示されていて、左側は三葉葵の家紋が入っています。

右側は、本多家に伝わった甲冑。


家康には正室(築山殿)と後室(朝日殿)に加え、16人の側室がいて、子は11男、5女の16人いたとされます。


徳川家康の三男の秀忠の甲冑を再現したもの。

浜松城は10家22代と城主が変わっています。

松平一門の家系をはじめ、名門の家柄が多く、各家とも一代から三代と短く、転入出が多いが、みんな出世しているようで、この城は出世城と呼ばれるようになったそうです。


中へ入って、色々見て思ったのは、やっぱりお城のイメージが少ない…階段は本当にお城っぽく無いだなぁ💦


復元されたと言うよりお城の形の博物館って感じだなぁ🤔

天守の上からの景観も三葉葵の模様が描かれた広場って感じなのです。

徳川家康の若い頃の銅像があったので、後で見に行こう(o・・o)/~


もう少し引き気味に見渡すと天守門も、良く見えます。


天守の最上階の天井が歴代城主の家紋が嵌め込まれてます。


天守の横に、櫓を作ったようです。


江戸時代の城郭建築は、短期間で建築できるシンプルさと、戦闘に耐えられる堅固さを兼ね備えています。


中にビデオが流れていて、作成に高校生が携わっているようでした。ちゃんと覚えてなくて、調べたんですが、資料が無かったので、違っていたらごめんなさい。


櫓側から見た天守閣


天守門


若い頃の家康公の銅像です。


出世大名の家康くんと、出世法師の直虎ちゃん。


期間限定だった為今は終了していますが、浜松大河ドラマ館「どうする家康 浜松 大河ドラマ館」にも立ち寄って来ました(^-^)


大河ドラマで使用されたセットの展示があるようです。


それぞれ、どのシーンで使われていたとかの説明を見ながら、シーンを思い出したりして、なかなか楽しい😁


茶々様の衣装👘 パネルの説明を読みながら、これを着ていた北川景子さんの迫力満点の演技を思い返します。


どうする家康の人物相関図。

これは見ている時に欲しかっなぁ🤔ここに載ってる人物は全部パネルで1人づつ紹介されていました。


個人的に全部撮って来ちゃいましたが、載せるとどえらくいっぱいになるので、割愛します。


個人的に服部半蔵(山田孝之)のキャラ好きでしたニコニコ


井伊直政のコーナーも!


もちろん、家康と瀬名のコーナーもありました。


等身大パネルで記念撮影も出来ます!

私もちゃっかり家康の横で撮って来ました😊


そろそろ千葉県へ帰る時が来ました。

とても充実した静岡県1泊2日の旅でした。


途中、足柄サービスエリア(上り)でラーメンの夕食です!


🏠帰宅は10時過ぎましたが、パパちゃん曰く、案外早く帰れたと言ってました。

今回チョイスした自宅のお土産はこんなです。


今年も贅沢にお祝いして貰えて、私は幸せ者だ〜♡

友人からのお祝いメールやプレゼント🎁も、本当に心に染みます照れハート

本当にありがとうございました⸜(*ˊᗜˋ*)⸝🙏💓