山寺を出発し、山形駅へ戻ったあとに、徒歩で移動しながら次に向かったのは、山形県山形市にある🏯百名城「山形城」別名「霞ヶ城」

現在の『霞城公園』です。

山形駅から徒歩10分程で、現在の霞城公園が現れます。昔は山形駅辺りもお城の敷地内だったようです。

城は虎口付近を除き、土塁と水堀で守りを固めた平城と言うのが見どころのようです。


土塁は屈折箇所を多くし、防御力を高くする役割をしていて、水堀の広さにも拘りがあったようです。


235haの巨大な土地は国内5番目の広さで、奥羽地方では最大とされています。


山形城は天守はなく、ほぼ正方形の本丸を中心に二の丸が同心円状に取り囲む巨大な輪郭式の城。

水堀の深さ7mと土塁の高さ3m、水堀幅38mと、城内からの射程距離も考慮したつくりになっています。


外枡形の虎口は1箇所だけで、石垣で頑固にしています。

明治29年に二の丸に歩兵32連隊を設置する為に本丸の石垣や堀は埋め立て、現在は市民のための施設や公園の姿に変わっていったようです。


「本丸一文字門」の復元は発掘調査と同じ木材を使用し、橋脚、高欄はスギ、橋板はクリ、桁、梁はマツを使用。


橋の幅は5.5m、長さ21.8mあるそうです。


山形城址本丸一文字石垣復元事業は「壮大なロマン」とし、今現在も復元は進行中。


東大手橋方向へ向かうと、見えてくる景観です。


近づいて行くと、馬に乗った武将らしきシルエットが現れてきました。


豊臣政権の五大老の最上義光は関ヶ原の戦いで徳川家康に57万石の領地を認められ大名人となったとか… 

歴史は疎いので、間違えてましたらごめんなさい。


11代城主の最上義光は山形県の繁栄と人々の為に、川が浅くて流れも速く、船で通る事も困難な危険であった最上川注意三難所である基点、三ヶ瀬、はやぶさ瀬を人々の交通手段を便利にさせるために、全国から石切職人を集めて、開削し、船路を完成させたとされています。

今では「最上川舟下り 義経ロマン観光」なんてネーミングの縁結びのパワースポットにもなっているようです。(なんで縁結びなんだろう?)

最上川へは時間が取れず行けておりません。



「東大手門の櫓」


全体的にまだ新しい感じですね〜

こちらの東大手門の梁は昭和62年に当時使用していたとされる希少な二面無節の檜を台湾から手に入れる事が出来たそうです。梁は私と同じ年なんだわね。


門を潜ると東大手橋があります。

こちらは橋脚を用いず石垣から方杖で支える方法を用いてます。

高欄間21尺、スパン48(尺と広々とした橋です。


こちらは水堀ですね。


そして東大手門は奥羽本線を走る電車の中から見えるんですよぉー。


東大手門の櫓が公開されていたので、こちらで百名城スタンプも押して来ました(^-^)


お天気が良いと、お城も映えしますね〜🏯♡


中には最上義光公の実物大に近い絵と特徴が御出迎えです。1546年1月生まれって書いてある!

なんと!平均身長が157cmと言われる戦国時代だと言うのに身長が180~190cmもあったのではないかと言われる程大きな方だったようですね。


三十八間総覆輪筋兜が最上家に伝来された兜

資料や紹介ビデオなとを見たあとは、山形駅の方へ戻りますが、来る途中に洋館があったので、近くまで行ってみました。


なんかとも素敵な建物じゃないですか〜♡


こちらも見学が出来たので、中へ入ってきましたよー(^-^)ここは国指定重要文化財『山形市郷土館』なんですね✨山形市郷土館



このシャレオツな建物!なんと明治時代に病院として使われていたんです。


お部屋毎に何の部屋か学校みたいに表札が付いてました。例えばこちらは薬を調合する部屋💊



2階までは行けるようなので登ってみます。


2階から見える中庭がまたお洒落ですよね。建物が円形になってるので、何となく安心感があります。


往診のため先生を運ぶ為の人力車‼️これに乗って患者さんの元へ行ったんですね〜。


外科手術の為の道具とか色々と展示されていました。

医療器具の始まりのような感じなのかな?時間もあまりないので、ざっくりと見て来ました。


視力検査は絵だったんですね〜


予定外でしたがこちらも立ち寄れて良かったなぁ〜。

1日目の山形県観光は、山寺⇒山形城⇒山形市郷土館の3箇所行けました照れ

この後は山形駅17:35発の奥羽本線に乗り、旅館へ向かいます。

Part3に続きます(*^^*)