「家庭画報」

 

電子版の紹介が

テーマは「生きる意味について」対談で

この時の羽生結弦選手は、とても穏やかで柔らかく素敵な表情をされていたことが、とても印象的でした。

まるで、妬みや嫉みの界隈からは全く違う次元に存在する人だと、やっぱり感じてしまうのです。

 

対談の一部で記憶に残ったやり取りは・・・

 

塩沼大阿闍梨:「我々にも、1000間や一日48キロ歩くなどの目安はありますが、それはあくまでも内面磨きのために必要な修行期間」

 

これに対して

 

羽生君「体力トレーニングや筋力トレーニングをしているときは、ある意味、行に近い感覚なのかもしれません。プロフィギュアスケーターになって”表現”というものをより強く考え始めるようになってから、ひたすら自分に向き合う時間が増えたように思います。やっぱり、自分は何者なのか、生とはなんだろうということを突き詰めて考えて、自分の芯ができ始めないと思い描く表現ができないんだなと痛感したんです。

逃げ場もないほどに追い込まれないと、見えてこない境地もあるのではないでしょうか」

 

そしてこの極めたともいえる言葉

ここに在る意味を

私である意味と共に『生きる』  羽生結弦

 

 

覚悟と姿勢が色紙に込められた言葉は、重いです。

 

 

復興支援での羽生結弦さんの行動など通して感じる、今の彼を支えている根源が

 

ここにあると再確認させられたように思います。。

 

 

 

羽生結弦選手を信じる、日本そして世界中のファンの多くが自分たちが出来ること

 

をしたいと支援活動を始めて、それは渦潮の如く深く広がっていると実感する。

 

羽生結弦君の意志は、行動は直接見えない時もある。

 

けれど、見えずとも、こうして紡いで継続して、繋がっていることは確かです。

 

このような現象は、羽生結弦選手の思い描く理想です。

 

 

道の選択に迷った時、 「羽生君ならどうするんだろう」と思うことがある。

 

「迷った時には、厳しい道を行け」

 

歴史に残る偉人達は、皆口を揃えて言いました。

 

羽生結弦選手も「ストイックに己に向き合うことで、研ぎ澄まされて見えてくるものがある」を貫いています。

 

 

 

 

チャリティー演技会で

 

地元新聞の記者が「いつも以上に地面に上半身をつけていらっしゃったように見えた」と尋ねた。すると羽生さんが照れたように微笑み、返す。

「この地方に大きな被害があった、ここの周辺の地面が大きく揺れたということもあって『静まって欲しいな』という気持ちで滑りましたと。