東北に来ています。
仙台は相変わらず大勢の人たちが出入りする。それだけでうれしくなる。
山々の桜、土手のタンポポ、庭を明るくする芝桜、紫が粋な木蓮、密度が濃いです。各家々の庭の綺麗さも目を引く。
さっき、夜空を見上げてみたら、星が本当にくっきりハッキリ見えるんです。
目が慣れてくるとさらに細かい星も見届けることができる‼️
星座に詳しい兄が星座を教えてくれました。
◆前回の記事の続きです。
羽生さんの
背中の文字
死を忘れるな。
だからこそ、生きよ。
私はやがて終わる。だから今、燃えよ。
終わりと向き合う者だけが、生を抱きしめられる。
たとえ創られた存在であっても、
今、私は確かに「生きている」。
やがて消えゆくとしても――
それでも、生きるのだ。
文章をまた反芻しています。
自分の経験と照らし合わせて考えてみようと思います。
特に「終わりと向き合う者だけが、今を生きる」の部分と、全体的に感じる「生きることへの覚悟」に私が思うこと。
ザックリですが…。
身近かな人を失った悲しみも、哀しみも消えはしません。
思い出になり、少しずつ記憶が夢のような映像となっては、優しく微笑みかけてくれるような感じになります。
ただ、同じ失うでも毎日一緒にいた人、それが突然だったら…。
また、話は少し変わってきます。
かけがえのない人との日々は、数年間は思い出すと辛くなるばかりでした。
私は夫と予期もせず失ってしまいました。本当に何の前触れもなく夫との生活にピリオドを打たれてしまいました。
あの瞬間は悪い夢を見ている!もうそれしかないのです。説明も何もないただ淡々と事が進みあっという間にセレモニーも終えていました。
それからというもの、仲良さそうなご夫婦連れを見るにつけ、チクリと胸の奥が痛みます。
当初は傷つくほどの痛み。
毎回、視線をそらしたものでした。
永遠とは言わないが、少なくとも数年間は続くと思っていた日常でした。
もう、どんなに手を伸ばしても存在しないのですから、そんな事到底理解できませんでした。
あの日の朝、普通に会話を交わして、普通に仕事場に向かった私達だったはずです。いつもと同じだと思っていた日々が一瞬で消えることがある!
それからというもの「命」を考えざるを得なかった。
こうしていても、いつこの日常が突然消えるかもしれない恐怖を払拭できないまま過ごしている。
明日かもしれない。
数年後かもしれない。
事故かもしれない。
天災かもしれない。
命には限りがあるという、きっと当たり前とされる概念を植え付けられたあの日が、私にとっては考え方の基準になってしまった。
だから、目の前のことを大切に育もう‼️もう、それしかないのですよね。
生きている自分ができることは。
羽生結弦さんはいつも事あるごとに
この幸せはいつ消えるかわからない、命を、大切な人との日々を、全力で守ってほしいと、言います。
切なる思いです。
背中のメッセージは、「読む人の数だけとらえ方があるのですよ。時々思い出して下さい。
それぞれのタイミングで深くも浅くも、そして時には、刺さることもあるかもしれないけれど…」
そんな気持ちが

