追記
【少し自分の気持ちを追記しました。
何故、このニュースに心萎えた知人に寄り添いきれなかったのか?考えてみました。】
知人からラインが入った。
昨日、今日と二日間同じ内容の感想でした。
最近、メディアでよく報道されていた「事件」についてでした。
その事件の犯人が分かったということです。
そのことでひどく気持ちが落ち込んでしまっている、仏壇に手を合わせたり、髪を短くカットしたりしているというのです。
事件の犠牲者が「子供」ということもひどく響いたのでしょう。
もし、私もその事件をリアルタイムで追っていたなら、辛かっただろうことは想像できる。「犠牲者が子供」ということは、我慢ならない。大概は大人のエゴで子供が犠牲になる。それが許せなかっただろうと、思うのです。
私はその事件について一切知らなかったのです。
正しく言えば画面程度は見たかもしれない。
けれど、あえてそれ以上は追っていないのです。
「子供が犠牲者の事件」というだけで、「見ない・聞かない・入れない」心理が強く働く。
自動的に扉を閉めて、逃げを選ぶ。
今回も、ニュースもワイドショーも見ていませんでしたから、ほとんど知らないに等しかったのです。
ずいぶんメディアが力を入れているな、そんな感想はありました。
だからこそ、避けたのです。
執拗に報道し続ける意図は?
これを朝から晩まで、見聞きしていたら、私だって落ち込んだり悲しみに暮れていたかもしれない。想像するだけでもいたたまれない。
だから、見れなかった。そんな心理。
メディアでは、何故このようなニュースをずっと執拗に報道するのでしょうか。
視聴率?
薄っぺらな。
犠牲になった子供さんや親御さんへの配慮はされていたのだろうか。
犯人より犠牲になった人の個人情報が世間に知られる理不尽さ。
守秘義務はどうだったのだろうか。
昨日、私があげたブログもこのもどかしさを感じるからでもありました。
また、執拗な報道の裏も知りたくない。
朝から晩まで残酷な事件の情報をつぶさに入れ込む日々…、私は耐えられない。
だからか、知人の「萎える」という彼女の気持ちに寄り添いきれなかった。
私の場合は、むしろ怒りの方が大きくなりすぎただろう。
僕は、皆さんにとっての写し鏡(月?)でありたい
公演の余韻が未だ抜けきれない。
気になるのは、あの球体と白い美術館。
あの最後に羽生君(少年)が、痛みと共に吸い込まれていく「傷ついた球体」は、
地球なのだろうか?月なのだろうか?
または、形無き意識や精神の世界を言ってる?
白の世界、それも美術館は誕生前の「魂」の段階を指すのだろうか。
漠然と思うが、分からないままだ。
もちろん、「4TH white…」で完成形なのでしょうから、焦る必要はないのですが。
わたしは、あの映像を見た時に羽生君のこの言葉を思い出しました。
(よく思い出す言葉の一つなんだけどね)
「皆さんにとっての写し鏡でありたいなあという風に、僕は 表現者としては思っています。 この人すごく頑張っているなと思ってくださっているのであれば、それは多分 皆さん自身がすごく頑張っている姿が自分に投影されていると私は思うんです。 祈り 慈愛 慈しみを込めて それを自分から感じてくださるのであれば、皆さんの心に優しい気持ちがあってそれが写っているんだな・・・ とそんなスケートをしたいなと思っています」羽生結弦選手
羽生結弦さんらしい言葉と想いです。
鏡というワードが印象的です。
鏡は、映し出す役割。
何を?
皆さん問う存在を。
『月は自らが発光しないことを知っており、
自らを鏡のようにして
太陽の光を 私たちに送ってくれます。
月の心とは、
隣人を密やかに影で支えることができる
陰徳の心の菩提心 。
そして私は見えるものだけでなく
見えないものを 思うようになりました。
隠れたところで心を尽くす者になる。
私の内なる月の心を表してください。』
(高橋佳子氏)
この「月の心」「自らを鏡のように」は、そのまま羽生君に当てて考えていくと、ピタッとはまるような、腑に落ちるという感じがするんです。
以前、『僕は皆さんにとって「月」でありたい』とも話していましたね。
「菩提心」陰徳の心
羽生君と同じ周波数で共鳴出来ているファンの皆さんは、きっと観えないものを想う心が芽生えてて、内なる月の心を表そうと、そのようにありたいと「祈り」の心が生れている。現地では勿論、放送で、配信で映画館でエールを送るファンの皆さんの気持ちが溢れて、羽生君に届き、それをまた私達に届けて下さるこの循環を嬉しく思います。

羽生結弦という人は、これ以上のことは、人としても不可能だろう、そう思っても仕方ないほどのレベルの壁を毎回打ち破って来る人。
自分に「甘さ」「許す」ことをしない人だ。
それどころか、あろうことかまだ進化しているという。
今、急激な変化をしている最中だ、と話している。
全ての事・物・事象に対する向き合い方が真っ直ぐで、ピーンと張った「絃」のように生きていく人だと痛感するのみ。
片や、私の方は講演の後は毎回同じなのだけれど、今回も未だ抜け出せない脳内ループにはまっている
そう…感動や余韻の力で、脳内REPLAYしている映像と音楽
私がぼんやりしている間に、羽生君はまた空を飛んでいるんだな、一足飛びに。
羽生君の時間軸は、過去現在未来が震撼するほどに速そうだ。
表現者として飽くなき進化を遂げ続けるわけで、やっぱり簡単には止まることを自身に許さないし、使命感が彼を突き動かし、空さえ飛んでしまうのでしょう。
以前話していたシェイ・リー・ボーンさんの言葉を繰り返し思い出します。
「彼は自分に一番厳しい批評家」で、「決して自分を許さないのよ」と。
あぁ~置いていかれそうだ




かっこいいから、また載せちゃうね。
いつもお読みいただきありがとうございます。