「五輪」
このワードは、羽生君をずっと応援している身としては、懐かしいとかそんな郷愁漂うものではなく、プロ転向した今現在でも全神経が覚醒するような感覚がある。
4年間の重さに思いを馳せてみる。
五輪の空気って不思議だ。
ルールも知らない競技でも、やっぱり応援する気持ちに力が入る。
思わず大きな声で「よっしー!!」と叫んだり、時に祈ったりする。
涙腺も緩くなってしまう。
選手の皆さんの頑張りには、やっぱり感動してしまう。凄いな。
さて、見事メダルに輝いた選手たちの報道が相次いでいます。
そのなかでも、どうしても兄妹で語られてきた柔道の阿部一二三選手と詩選手。
共に、金メダル。兄弟で金メダルとメディアは煽ってましたね。
でも・・・!
だよね。わかる。
胸が締めつけられるこの言葉
「金メダル言うけど、そんな簡単じゃないし、プレッシャーが凄かった」
一二三君流石すぎる🥇
— 水谷隼🏓Jun Mizutani (@Mizutani__Jun) July 28, 2024
試合後のミックスゾーンで
「金メダリストとして過ごしたこの3年間どんな思いでしたか?」と質問したところ
「めちゃくちゃ辛かったです。みんな金メダル金メダルいうけどそんな簡単じゃないし、プレッシャーがすごかった。練習がとにかく辛かった」とのことでした。…
毎日の五輪報道。
メダルが何個とかそんなワードが飛び交うけれど、表彰台に立った人も、メダルを期待されていた人も、それぞれのドラマがある。忘れないようにしたいと思う。
五輪に出場すること自体、そこまでの道のりの過酷さを体験し、知っている者にしてみれば「金メダル」って言葉をそう容易く口にしてほしくないとの心情にせめて寄り添いたいと思う。
選手たちは、羽生選手の思考をどう捉える?
やっぱり
どうしても羽生君の姿が重なります。羽生君は、幼少期から自身を視る力「俯瞰力」があった。
だからこその「冷静さ」は、勿論今現在も健在で、
むしろ更に精度を上げて凄みを放っていると強く感じる。
五輪に出場してメダルが取れた選手たち、更に言えば金メダルを取った選手の中に、羽生君の選手時代を参考にする選手はいるだろうなと想像する。
羽生君の勝敗とその時に口にした言葉に、自分の指標や判断基準として取り込もうとする選手は少なくないと思う。
羽生君の取材でよく聞くのが・・・
勝利した時は勿論だけれど、負けた時(羽生君の場合は2位でも負け…)の方が貴重な話しが聞けると、記者は口を揃えて語ってましたね。
五輪ではないけれど、羽生君が2015年世界選手権で2位になった時の言葉を思い出す。
まさに激動のシーズンで羽生君自身も「あれを経験したからもう怖いことは無い」と苦笑いしていたね。
言葉通り試練と「壁」だった日々。人生、これ以上のアップダウンは無いだろうと、まるでアニメの世界を地でいくジェットコースター張りのシーズンでした。
年末に手術して焦燥感から早めにリンクに上がったと聞きました。
そこで捻挫して迎えた世界選手権が、2位!
「捻挫した」ことに彼は触れず、敗因についての分析をシンプルに表現していました。
『今回、会場の空気感とかライバルに囲まれた環境とかにあまりにも影響されすぎる自分がいたな、と思います。ピーキングも若干早かったけれど、ピークじゃなくても跳べるモノは跳べる。ミスをしたのは、試合会場での行動や心境にズレがあったから。ただ、今シーズンのすべてのマイナス要素を、マイナスだけで考えないで常にプラスに考えてきた。それはこの性格のお陰だって思います。』
Number「羽生結弦・不屈の魂」
当時、若干20歳。独特な思考だけど、らしいと感じて安堵する。
本当に、ずっとこの思考は変わっていない。
彼は、喜び(ハビが優勝したこと)の部分と悔しさを同時に味わえたと答えている。
“陰”の部分を“陽に”好転させることができるのは、この性格のお陰と言う。
彼のこの感性はまさに天命。
闘う者として神から命を授かったのだろうと思ってしまう。
『母の首にメダルをかけて「ありがとう」と伝えた。子供の頃から欠かしたことのない儀式だ。〝銀メダルじゃ、やだな”冗談めかして母が言う。本当はメダルの色など気にしていない。』
敢えて口にした言葉は、羽生君親子にとって最も光を灯す言葉、力が宿るエール
なのだろうと思う。
見守り続けるお母様の言葉が本当に深い。
この一言で、羽生選手は決意を新たにしたことでしょう。
思い出すと今でも胸が痛むし、同時に自分はすごい人を応援していると再確認してしまうのです。
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