「出た杭は打たれる」
その続きの言葉
≪出すぎると誰かが気がついて抜いてくれる≫!
これは、まだ若き日の羽生君が言い放った言葉と記憶しています。
巧い!
「出過ぎると誰かが気がついて抜いてくれる」(細かい言葉は違ってるかもしれませんが、ざっくりと)
巧い!(笑)と当時思ったのですが、あらためて今現在のプロアスリート羽生結弦に照らし合わせてみると合点がいくのです。
彼の才能に魅せられて、我先と杭を抜いてくれた人々。
羽生結弦という人間ほど、味があって面白みがあって、正直で、何かをやってくれる期待感がさせる事を成す若者は知らない。
そんな杭なら誰だって奥に潜んでいるだろう≪杭の先≫を観たいはずです。
出過ぎた杭の行方は・・・
今見ている羽生結弦君の未来は、誰も想像すらできません。
なぜかというと、昨年プロ転向後の姿さえ想像すらできなかったのですから。
何かすごいことをしてくれるに違いないとは思っていましたが、結局想像できないほど斜め上ばかりでした。
これからもきっと、ジェットコースターよろしくスリル満点の日々なのでしょう。楽しみで仕方ない。年取るのも悪くない
「脳はネガティブな感情に快楽を覚えてしまうもの」(スイッチインタビュー)自分にとっての「練習のあり方」を説明する時の哲学的言語の選択に惹かれる。
『「そもそも(自分は)すごい理論武装している。感覚人間だからこそ、感覚に自信を持ちたい。」だから理論武装するんですよ。緊張した時にどうするか、負けた後にどうするか、悔しい後にどうするか。全部言葉にして、理論として固めて、感覚を確かめたい。そういうところがまた強さに変わってくると思う。」2019、オータムクラシック優勝後取材」で自らの演技を振り返って。「ありがとうございます。おかげで分析できました」と質問した記者に感謝の言葉を述べた。』(羽生結弦の言葉 宝島社)
この言葉と思考を知った時、痺れました。
私の脳は一瞬停止状態になりました
演技直後のインタビューひとつとっても、羽生君にしてみれば自分の思考を整理する機会として生かしきっているのですから(笑)
もう、頭の中を覗かせてもらいたいジンジンです。
理論武装の片鱗は、小学生の頃から既にありましたよね。
「自分で考えて、答えを出す」ゆづ少年。
練習が嫌で嫌で仕方なかった(試合は好きだった)
ゆづる少年は、「野球やりたい!」とパパンかな?ママンかな?に言ったその時の
エピソードは有名ですね
親御さんのお返事は軽く「やりたくないなら辞めたら」←(多分だけど…お母様よね?)
嫌なら時間もお金もかける必要なし!と一蹴されたわけです
いやぁ~なかなか言えないです。親の自分も真剣になって深みにはまりそうな気もします。
そこで、ゆづ少年はスケートと向き合い、自分にとってスケートとは何か?
ここまでかけてきたスケートの大切さを思うのです。
特にスケートリンクが一時閉鎖した後は、あの大嫌いだった練習の大切さをしみじみ思い、試合だけじゃなくて練習も「好き」になっていく。
この過程が堪らなく好きなんですね。
「僕はスケートが好きだからそれでいいと思っているんだ」学校帰りにランドセルを背負ってスケートリンクに走っていく結弦少年がキラキラしていました。映画のワンシーンのように。
遊びたい盛りでも、ちゃんと自分がしたいことを理解して、誰かに言われて仕方なくではない、納得して・責任をもって行動している。
そう、この頃から「理論武装」の片鱗が確かに根付いていました。
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あぁ~、こちらの記事の感想も書きたいのだけれど、とにかく情報が次々と来る