~それ見たことか!~④【憩室炎入院日誌】 | Jinkhairのバイカーへの道

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こちらは香川県坂出市にある理容室「Jinkhair(ジンクヘアー)」のブログです。店主が好きな「80年代HR&HMのアルバム紹介、ライブレポ」や「カメラ」「バイク」のことなど、日々の出来事などを気ままに書いております。

めぼしい転院先にすべて断わられ、宙ぶらりんになってしまった私、もうこうなったら、これ以上ここにいるわけにはいかない。

数日前より金曜日までにT病院から色好い返事がなければ月曜日(12日)には退院させてくれと頼んでいた。土曜日、日曜日、そして指折り数えて待ちわびた今日、その月曜日がやってきた!
今日の朝、医師と私、妻の三人で今後の事について話し合う事になっている。
医師は当然簡単には許可しないだろう、しかし私の心は決まっている。
私は話し合いの前にちょうど40日振りにパジャマから入院時に着てきた外出着に着替えた。
 
あの若い医師を信頼しきれない理由は色々あるが、今はそれは言うまい。
ただ、当初1週間程度と言っていた入院が、炎症を抑えるのに3週間かかり、更に転院先探しに2週間かけたが全て断られた。
色々事情はあれど、これが結果なら、先の見えない今、他の道を探らないとどうしようもない。
 
その間にでも私の心は追い詰められていた。
そりゃ、思いもよらずこんな長い間病院に留め置かれてまともな精神状態でいられる訳がない。
「拘禁反応」までとはいかないが確実に私の心は病んでいた。
何でもない事で涙が溢れたかと思うと、「死んだ方がマシや…」と自暴自棄な気持ちになったり、この点滴台を振り回して何もかもぶち壊してやろうかと狂暴な怒りに身体が熱くなったり…。
 
そうやって身体の不調に加えて、焦りや様々な感情が錯綜して眠れないので、夜は「ソセゴン」という一部麻薬に似た成分も含まれるので連用、常用は出来ないとされる鎮痛剤の点滴と睡眠導入剤の飲み薬を処方して貰って何とか眠るのが習慣になっている。
 
そんな忌々しい毎日も今日で終わりだ!
やっと自由に今日なれるんだ!
 
しかし、それを確実にするには念には念を入れなければならない。
私は上着のポケットにハサミをソッと忍ばせた。
 
約束の9時前に私はパソコンやモバイル機器などの大事なモノだけを手提げ袋に詰めて看護師と共に1階の外来に降りた。
勿論未だに首からのCV(点滴)と点滴台は繋がれたままだ。
妻も下で待っていた。
私達夫婦だけではなく看護師とソーシャルワーカーの4人で医師の話を聞くらしい。
ここで約束の時間に来たのに何故か40分程待たされる。
あぁ、イライラする…
やっと呼ばれて医師の話を聞く。
そしてこれまで通りの話を延々と聞く。
「今は絶食と抗生剤で炎症は抑えられているがそれを止めれば再発の恐れが高く、一旦再発すれば落ち着くのに長く日にちがかかる」
「今の落ち着いた状態でないと手術は出来ないから転院先が決まるまでこのままで待機していた方がいい」
ごもっとも、ごもっとも、しかし炎症を抑えるのに3週間以上もかかったのは途中ちょっと良くなったときに中途半端に食事を再開させたあんたのミスもあったんじゃないの?
それに転院先が決まるまでって、目ぼしいところ全部断わられているのに一体いつまで待てって言うの?
俺だって俺の生活、仕事、人生があるんだ!
 
私のイライラが頂点に達した。
「もういいですって! もううんざりなんですよ、もう他所(よそ)に行くって言うてるんやからええやないですか!この後どうなってもなんも言わんからもう出して下さい!」
私は胸内ポケットに隠したハサミを握りしめた。
私はイザとなればこのハサミで点滴のチューブを切って逃げようと思っていたのだ。勿論実際そこまでしないでも、そのくらいの覚悟で来てるんだぞっていうことを示したかったのだ。
だから外出着に着替えて、財布も鍵も大事なものは全て持ってここに降りて来たのだ。
 
今振り返ってみると「60前のいい歳のオッサンが何と幼稚な事を!」と恥ずかしく思うが、その時の私はそれだけ追い詰められていたのだと思う。
 
それからしばらく、やや穏やかではないやり取りの後、無事首のCVを抜いて貰ってやっと自由の身になれた。
看護師に手伝って貰ってバタバタと部屋を片付けていよいよ退院となった。
1ヶ月も居ると荷物も増える。
 
40日間過ごした個室。もうここには帰りたくない(笑)
 
会計を終えて荷物を妻の車に積み込む。
40日振りの日射しがまぶしい。
解放感はあるがそれほど晴れやかな気分というわけでもない。
朝から色々あったんで疲れたのか…
昼前だったがどこにも寄らずに帰宅。
久しぶりの我が家ではあるが疲れもあるのか、特に何も感慨はない。
荷物の整理をする元気もなく座り込む。
当初は帰ったらゆっくり風呂に入ろう、とかうどんを柔らかく茹でて鍋焼うどんみたいにして食べてやろうか?等と考えていたが、食欲もなく、しんどいので飲み物だけ持って上(寝室)で寝ることに。
念のために熱を計って見る…
38.5度!
ええっ!なんで!
ここ2週間くらい全く熱なんてなかったのに、退院したその日にこんなに出るってどう言うこと?
 
これはまずい!
熱を下げねば!
 
ロキソニンを飲み、布団にもぐり込む。
点滴のチューブがない解放感はあるが、心は不安で一杯だ。
「これで熱が下がってくれればいいんだけど…」
最悪の事態さえ起こらなければ…
 
こうしてせっかくの退院を果たすも、不安の夜を過ごすことになったのである。
 
                                    つづく