【思い出味紀行】大阪市福島区野田、「大富士」(閉店)[ハンバーグ定食]後編 | Jinkhairのバイカーへの道

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こちらは香川県坂出市にある理容室「Jinkhair(ジンクヘアー)」のブログです。店主が好きな「80年代HR&HMのアルバム紹介、ライブレポ」や「カメラ」「バイク」のことなど、日々の出来事などを気ままに書いております。

高校を卒業し大阪の理容店で住み込みで働くことになった僕。

まだ18歳になる前の昭和58年3月14日(僕の誕生日は3月19日)の事、初めて大阪に出て来た日、先輩に連れて来てもらった「大富士」という洋食屋さんのハンバーグ定食。

その味が今さらながら思い出されて、その思い出を探るようにインターネットで改めて「大富士」の事を調べると意外なことが分かったのです。

大阪にいたころから「大富士」という屋号の店が他にあるのは知っていたのですが、その関係性については不明のままお店のこと自体すっかり忘れていたのです。

 

「大富士」の名を見つけたのはご存知「食べログ」でした。

このサイトは本当に便利で、お店の情報(場所、営業時間、メニュー、価格、評判)等を居ながらに知ることが出来、全く知らない場所のお店もこれを元に下調べをして選ぶことが出来たりしていつも重宝しております。

そしてこのサイトで興味深いのが「ユーザー」と呼ばれるレヴュアーの存在。

このサイトでは行ったお店の事を誰でも登録さえすれば、自分の主観、写真、文章で自由に評価することが出来るのです。

中には一人で何千軒というお店をレヴューしている猛者もいて、殆どライフワークになっているんじゃないかなって思います。

僕は行ったお店を一つ一つレヴューするなんて到底できませんが、彼らのおかげで行った事もないお店の事を知ることが出来るのですからありがたいことです。

 

この「食べログ」のユーザーさんの中で「urya-momen」さんという方いらっしゃってこの方も大阪を中心に寿司屋、麺類、居酒屋等のレヴューを2000軒以上残されています。

この方も「大富士」に関して僕と同じ疑問を抱かれたそうですが、行動力が凄い!

ネットでは満足な答えが得られないとみるや、十三の「大富士」に一週間通いつめ、ご主人に顔を覚えてもらった上で、その疑問をぶつけたのです。

以下抜粋です

(urya-momenさんにサイトの紹介、一部引用の許可は取っております)

 

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金曜日・・・いよいよご主人に
 私の疑問をぶつける時がやってきた
 料理を食べ終わり・・・
 ご主人の手が空いたタイミングを見計らい
 お会計に行く・・・そして・・・


 もめん「すいません、ちょっとお聞きしたい
     ことがあるんですが・・・」

 ご主人「あっ・・・ちょっと待ってください
     おつり分からなくなるから
     え~っと・・・いくらだっけ?」

 もめん「あっ、すいません(^^;」

 ご主人「はい・・・なんでしょう???」

 もめん「この豚のマークを使った
     大富士さんという名前の
     とんかつ屋さん
     一杯ありますけど
     各店は何か関係があるんですか?」

 ご主人「ああっ、今はもうやってませんが
     元々は心斎橋の八幡筋に店があって
     今ある店はそこの暖簾分けなんです
     店は俺の父親がやってたんですよ
     ここと、立花、堺、東大阪は
     俺の兄弟がやってるんです」

 もめん「あっ・・・だから箸袋に
     十三、立花、堺、東大阪の
     4店舗だけ載ってるんですね」

 ご主人「そうなんです」

 もめん「九州の天草にもお店ありますよね?
     天草も暖簾分けなんですか?」

 ご主人「天草の店のことまで
     知ってるんですかぁ・・・
     よく知ってますねぇ
     あそこ(天草)は孫弟子が
     やってるんですけどね
     どの店も小さな店ですが
     天草だけは観光バスも停められる
     大きな店なんですよね」

 

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本文にあるように心斎橋の八幡筋に先代が創業した「大富士」がありました。ずいぶん昔に閉店してしまったのですが、その子供や弟子、孫弟子などが各地でその屋号を引き継ぎ味を守っているというのです。

その数は・・・・。

   ①十三
   ②立花
   ③堺
   ④東大阪
   ⑤門真(閉店)
   ⑥茨木
   ⑦住吉
   ⑧北堀江
   ⑨緑橋
   ⑩天草(熊本)
   ⑪熊本

閉店した門真店を除くと現在10店舗。

ほとんどは大阪を中心とした地域に点在しているが、2店舗だけ遠い熊本にあるという。

なんとurya-momenさんはこれらすべての店を制覇するという偉業を成し遂げたのです!

大阪近郊だけならまだしも遠く離れた熊本の2店舗まで出張のついでに足を延ばしたとは言えその行動力には本当に頭が下がります。

 

その全店制覇の顛末については以下のリンクからご覧ください。

 

大富士という「とんかつ屋」さんが一杯ある謎を追う

 

野田の「大富士」もこれらのお店と同じようにお弟子さんのお店だったのかもしれません。

が、しかし、これらのレヴューを読んで僕が引っ掛かったのは、本来

「大富士」はトンカツをメインにした洋食屋さんで「ハンバーグ」はメニューにあるものの決して主役とは言えない。

しかし、僕は野田の「大富士」ではハンバーグしか食べたことはなく、他のメニューも全く記憶にない。

ハンバーグ専門店でもなかろうから、他のメニューもあったのかもしれませんが他に覚えてるのは「ビッグハンバーグ定食」くらい(笑)

ついでに言えば「大富士」のトレードマークの「豚」のマークも覚えがない。

大阪で他の「大富士」さんを見つけた時感じた違和感は実はこれだったのだ。

 

もしかして野田の「大富士」は他の「大富士」と一線を画す「ハンバーグ」に特化したお店だったのか?

それともただ僕らが「ハンバーグの店」と決めつけ、他のメニューが目に入らなかったのか。

それはそれこそurya-momenさんのように、現存する「大富士」さんに訪れて直接尋ねなくてはわからない謎であろう

 

それにしても「大富士」のことだけではなく、昔の事を知っている人がどんどん少なくなっている。

 

僕が理容師人生をスタートさせた「(有)理美容いとう」という会社はもうすでにない。

「先生」夫婦はもうずいぶん前に亡くなり、2代目の「マネージャー」が後を継いだが、その後全店舗が閉店し、人手に渡った。

最盛期8店舗、従業員数40名以上を誇ったこの会社。

そんな会社が何故消滅してしまったのか?

会社が傾いたきっかけは2代目の「マネージャー」がフラッグシップとなる店を作ろうとJRの吹田駅ビルの2階にこれまでにない大型店を出店した事。

それが失敗してしまった。

負債がかさみ、所有していた店舗、抵当もすべて失った。

 

全店舗を閉鎖後、別に小さな店を細々とされていたマネージャー夫婦でしたが、その後店をたたみ、どこかに移住していったという。どこに行ったのかは誰も知りません。

 

大富士はその後、息子や弟子、孫弟子がその屋号を守り、味を伝承しているが、僕らの修業した店は多くの出身者を出しながらこの世から完全に消えてしまった。

 

下の写真を見てもらいたい。

これは2010年の1月に訪れた際に撮影したもの。

すでに野田本店は閉店し、その名残が伺えるのみである。

シャッターの降りている部分が当初お店があった場所で、その2階が僕らの住んだ男子寮。

右隣は以前は別のご家族が住んでおられたが、ご家族の転居の際買い取り、2階、3階をマネージャー夫婦の住居と女子寮にした。

その後左の店舗の建物は借家であったから家主に返し、右隣に店舗を移したと聞いた。なので右の方がガラス張りで店舗の名残を残している。

最盛期この男子寮、女子寮合わせて10~15人の若い男女が生活していたであろうか?

毎日が修学旅行、プライバシーゼロ。

みんな仲良くて、いつもワイワイ楽しく暮らしていた。

しかし、そこは血気盛んな若者の集まり、当然ながら、いろんなことが起きた。

喧嘩、抜け出し、逃亡、恋愛、窃盗事件。

夜遅くまで、練習したり、騒ぎ、語らい、そして恋もした。

 

日曜の晩には遅くまで麻雀もしたな。

夏にはみんなで海水浴、冬はスキーと色々出かけたりもした。

階段を駆け上る音や物音、声がうるさいと左隣に住む老夫婦の山田さんにはよく怒られた。何せ長屋造りで壁がくっついている上、こっちは若いもんが10人以上だもん(笑)

そいつらが夜遅くまで騒ぐんだから、そりゃたまらんかったやろな。

その山田さんもご主人がなくなり、その後、おばあちゃんも施設で亡くなったと聞いた。

 

僕は後にワンルームマンションを借りるまで、ここに実に5年間住みました。

その当時の楽しかったこと、苦しみ、悩み、それらすべてのものがここで繰り広げられ、詰まっているのだ。

目をつぶれば当時のお店の中、寮の部屋の隅々まで鮮明に思い出すことができる。

正に僕の青春時代、理容師の原点ともいえる場所なのです。

 

それは僕だけではない。ここで生活した者すべてが抱く郷愁の心ではないか。

では、それらの者が最後の写真をどういう気持ちで見たらいいのだろうか?

 

 

         

これはGoogleのストリートヴューで見た現在の様子。

一枚目の写真とほぼ同じ角度でとらえている。

一番左に見えるのはY野さんの鉄筋3階建てのお家。

その右、山田さん宅から右4軒分の家がバッサリと取り壊され、後には瀟洒な家が並んで4軒建っているのがわかる。

 

ここに僕は直接行ったわけではない。

でも、もしここに実際訪れて、そしてこの家の人に、もし出くわしたら、どうしても聞いてみたいことがある。

 

「ここには何十年も続いた散髪屋さんがあって、何代もの何十人もの若者がここで生活し、いろんなドラマが繰り広げられていたんですよ。あなたはそれを知っていますか?」と。