【思い出味紀行】大阪市福島区野田、「大富士」(閉店)[ハンバーグ定食]前編 | Jinkhairのバイカーへの道

Jinkhairのバイカーへの道

こちらは香川県坂出市にある理容室「Jinkhair(ジンクヘアー)」のブログです。店主が好きな「80年代HR&HMのアルバム紹介、ライブレポ」や「カメラ」「バイク」のことなど、日々の出来事などを気ままに書いております。

ご好評いただいている?【思い出味紀行】シリーズですが、思い出のお店もすでになく、再訪も難しいことからシリーズの存続も危うい状況にあります(笑)

そこで、もう閉店してしまったお店、味わうことのできなくなった料理も記憶の中で可能な限り再現し、また当時の思い出、出来事も織り交ぜて振り返ってみようと思います。

新シリーズは時系列をバラバラにするのではなく、大阪での一番古い思い出から、薄れゆく古い記憶を探りながらの作業になりました。

 

中学2年までは優等生、髪の毛のことなど全く興味もなく近所の散髪屋で「坊ちゃん刈り」にしてもらって何ら不満はなかった僕。

そこの散髪屋で「プレイボーイ」を読むのが唯一の楽しみでした(笑)

そんな僕が中三の時ちょっと不良っぽい「中ちゃん」というクラスメイトと仲良くなったのが、僕のその後の人生を大きく変えるきっかけとなったのです。

その「中ちゃん」は大変なおしゃれで矢沢永吉ファン!エーちゃん張りのリーゼントにいつもカッコよく決めていました。

そんな彼に影響されて坊ちゃん刈りの僕も髪の毛をいじるのに目覚めたわけです。

部屋で親の目を気にしながら鏡の前で一時間でも二時間でも自分の髪をいじってたのを思い出します。

しかし髪質が柔らかくどんなに頑張っても中ちゃんのようなリーゼントにはなりませんでした。

ま、でもそれはそのくらいの年齢の男の子なら誰でも経験するもの。

だけど生来凝り性の僕はそのうち将来これを自分の職業にすることを考え始めていたのです。

 

高校一年生の時にはすでに理美容師になることを決めていて、せっかく普通科進学校に入学したものの全く勉強をせず、ちゃらぽらんな高校生活を送っていた僕。

ついには担任の先生に「ここはみんな進学するために勉強しに来とるんや、勉強する気ないんやったら他のもんに迷惑やから、すぐに学校辞めて散髪屋に見習いに行け!」と言われる始末。

後日談ですがそんな厳しい担任の先生でしたが、こうも言ってくれました「小比賀君が店を出したら一番に行くきんな!」と。そして「一番」ではなかったけど今は大切なお客様です。

こうして、温情で何とか進級して迎えた3年の秋、そんな僕も進路をはっきりさせる時期が来た。

先生から「ここから理容学校に行ったっていう前例がないきん、自分で探しな」と渡されたのはリクルートの分厚い専門、専修学校の案内本。

その中から何校か選んで資料請求し自分で決めろ、というわけです。

地元にも理美容学校はありましたが、やはり都会に出て行きたい。

東京は遠いから大阪か・・・。

そんな理由から大阪の理美容学校を何校かピックアップします。

そこで新たな問題が持ち上がりました。

つまり「理容」にするのか「美容」にするのか?という選択です。

その頃は今ほど美容室全盛ではなく、男性は理容室で、女性は美容室で、また男性は理容師に女性は美容師にっていう、もちろん例外はありましたがそういう認識がまだあったように思います。

もともとメンズヘアに興味があって志望したわけですから美容師選択の可能性は薄かったのですが、当時から何となく「おしゃれ」な印象はありました。

でも美容師になるのは母の反対もありました。「何故?」と聞くと「若い男が美容室で働いていると有閑マダムに誘惑される」からだそう(笑)

安心してください、あなたの息子、そんなにイケメンではありません(笑)

父親は僕の進路にには反対、というか気に入らなかったようです。父親は学歴もそこそこありましたので、そんな自分の息子が「散髪屋」なんて、という思いもあったのでしょう。でも僕は全くそれに耳を貸しませんでした。

 

そんなこんなで大阪の「高津理容美容専門学校」がよさそうということで入学の手続きなどを進めます。

入学試験や面接を経てめでたく入学が決まりましたが、ここで新たな問題が・・・。

この高津理容美容専門学校という学校はとても校則が厳しいことで有名で、例えば生徒が「タバコ」を吸っていたことが分かれば即退学になります。

そのくらい厳しい学校ですから、生活が乱れるのを防ぐため、地方から出てくる生徒のアパート等での一人暮らしを認めていないのです。(女子寮はありましたが、男子寮はなかった)

ではどうするかというと、遠くても自宅から通うか、近くに親戚等の家がある場合はそこから、それもない場合は「委託生」制度と言って学校の紹介する理容店に住み込みで働き、そこから通いなさい。ということです。

当時港区の朝潮橋に親戚はいたものの居候するわけにもいかず、学校の紹介するお店に就職することになりました。

いくつかの中から選びたいところでしたが、僕の始動が遅かったため選択肢はあまりなく、「理容いとう」という大阪に4店舗ほど店を持つ中堅のお店を紹介されたのです。

面接に訪れたのはその本店、大阪市福島区野田、中央市場に向かう細い路地にそのお店はありました。

この辺は戦時中、空襲を免れたせいで戦前の長屋造りの家がそのまま残る古い住宅街。焼け残ったのが逆に災いし再開発が遅れているが昔から中央卸売市場を中心に栄えた街だという。

撮影日時2010年1月 左の川上化学の新社屋の向こうに並んだ建物の中でシャッターの降りた部分がお店があった所。

 

当時、大坂の地理に明るかった祖父と母親の三人で初めてお店を見たときはなんだか古ぼけた散髪屋さんだなぁ、これなら地元でいつも行ってる散髪屋さんの方がずっと今風だぞって思いながら、お店の二階で皆が「先生」と呼ぶ創業者のおじいさんの話を聞くことになりました。

内容は全く覚えてないんですが、何やら「苦労」とか「努力」とか、そういった話に祖父がいたく感動して泣いていたのを思い出します。

僕の方はというと他人事のように何となく話を聞いていたんですが、結局その店に就職することが決まって帰ってきました。

 

そうやって同級生が受験に大変な時期をのんびりと過ごした僕でしたが何とか卒業を許され、いよいよ大阪に旅立つ時がやってまいりました。

あれは昭和58年3月14日の月曜日、友人数人が一足先に旅立つ僕を高松の連絡船の埠頭まで見送りに来てくれました。

大阪に着きますと皆が「マネージャー」と呼ぶ創業者の息子さんが迎えに来てくれてたと記憶しています。

そうしてこれから住むことになるあの野田の本店に再びやってきたのです。

その日は月曜日とあってお店は定休日。

お店は暗く誰もいません。

一階のお店の上に部屋がいくつかあり、そこが寮になっているのだそう。

お店を抜け、奥に入ると土間のようなスペースがあり、そこで靴を脱いで上がると食堂になっていて、オレンジ色の大きなテーブルが置いてある。

そこから2階に上がる狭い階段の上に物干しざおが10数本かかっていて、お店で使うのであろうタオルが無数に干されている。そのタオルをかいくぐるように狭い階段をギシギシ上る、なにせ戦前からの建物である。

2階はいくつもの部屋があって、北側の一番広い畳の部屋、10畳くらいであろうか、すでにそこで暮らしている先輩の物であふれ、壁には当時のアイドルのポスターが張られ、洗濯物が吊るされている。何インチなのか?iPadより画面の小さいテレビが一台。畳、ふすまは黄ばみ、後で聞いたが夜になると天井をネズミが走り回るのだそう。

 

僕はその部屋の約4分の一のスペースを与えられた。

布団を敷いて身の回りの物を置けるだけである。

エアコンなどもちろんない。

入店して間もない頃か、撮影したままで現像せず長いこと放置していたせいでこのように変色してしまった。

 

これらの写真は2年目か3年目くらいの頃、眉毛が太い(笑)

すでにHR、HMに目覚めていたのかアイアンメイデンやヴァンヘイレンのポスターが見える。

 

事前に送って置いた荷物が届いているというので荷ほどくことに。

事前に荷物は最小限にと言われていたことが納得できた。

ここで2人の先輩と初めて対面、一人は一つ上のK村さん。もう一人は2年目だが中卒で年齢は2つ下のW田君。

このお二人に理容伊藤の「掟」について色々レクチャーを受ける。

聞くと、この野田本店の店長で寮長の「H嶋」さんという人がいて、昔メッチャ悪くて今でも切れたらとにかく怖いから絶対怒らさないように。この人の前で決してタバコを吸ってはならない、もし吸えばぶっ飛ばされる、とか、H嶋さんの洗濯物も後輩がしなくてはならないなど、とか・・・。

H嶋さん、一体どんな怖い人なんだろう?

H嶋さんは今理容の技術講習に行ってて夕方ごろ帰るという。

 

こうして、これまで中流家庭の長男としてエアコン付きの一人部屋を与えられ、何不自由なく暮らしてきた田舎のお坊ちゃまの僕、気楽な専門学校生活を送るはずが、何を間違ったのか戦前から残る建物の、未だ昭和初期の徒弟制度の残る理容店の大部屋に放り込まれる事になったのである。

 

一体自分はどうなってしまうんだろう?

こんなところで、しかも怖い先輩に囲まれて・・・。

今日からここで寝泊まりしなくてはならない、明日からはさっそくお店での仕事が始まる。今までバイトすらしたことないのに大丈夫なのか。

 

俺の、自分の選択は正しかったのだろうか?

 

そうこうしてるうちにH嶋さんが講習から帰ってきたようだ!

お坊ちゃまの運命はいかに!

 

 

 

「ハンバーグ定食」はまだかいなぁ~(笑)

 

続く・・・