壱岐合宿2日目は歴史の勉強です。


歴史の古い順に簡単に紹介します。


壱岐には弥生時代の三大遺跡の一つ

原の辻遺跡があります。


吉野ヶ里遺跡や登呂遺跡ほどメジャーでは

ないですが、古くから壱岐が重要な交易拠点だったことがよくわかります。


近くには、一支国博物館があり、

原の辻遺跡の詳しい資料が展示されています。



映像もありわかりやすいんですが、、、


解説を聞いていると完全に

「魏志倭人伝」史観で日本が

半島などより文化レベルが

遅れた国として話されます。


思わず、解説ガイドの方に

突っ込みをいれてしまいました。



こちらは神功皇后が三韓征伐の際に

立ち寄り勝利を祈願したいう聖母宮。


加藤清正らも参拝し、寄進しています。




笹塚遺跡などは、誰でも簡単に入れるのですが、巨石でしっかり作られた部屋には舌をまきます。

これを作れた技術って素晴らしいですよね。


古墳時代には朝鮮半島にも、

日本式の古墳がたくさん残っています。

つまり、半島に日本の政治勢力が及んでいたということですね。



しかし、7世紀の白村江の戦いでの敗退は致命的でした。このあたりで日本の勢力は減退し、防戦に回ることになります。


壱岐にも防人がいましたし、このころの狼煙台のあとが岳の辻に復元されてます。



となりの龍光大神も良い神社でした。




9世紀には空海も壱岐に来たといわれています。空海にゆかりがあるという玉泉寺にも参拝してきました。

壱岐八十八ヶ所参りの一つになっています。



時代は進んで元寇の千人塚。



壱岐も二回攻められて、2回目は島民がほぼ皆殺しにされています。


当時は今以上にのんびりした島だったと思います。


そこに数万の軍勢が襲ってくる

迎え撃つのは100名程度のサムライ。


よく戦えたと思います。


皆さんはそんな状況で戦えますか。


私は壱岐対馬の皆さんの勇気を讃える

元寇博物館を国立で対馬あたりに建てて

欲しいと思っています。



16世紀には秀吉が壱岐対馬を超えて、

半島から明に攻め込みました。


その時作った城跡も残っていますが、

名護屋城や半島にある順天倭城に比べると規模は劣ります。


江戸時代になると朝鮮通信使を迎えたのは、

壱岐の勝本町のあたりだったとのこと。


幕府の命令で仕方なくやってたわけですが、、、


通信使の接待にはかなり苦労があったそうです。




江戸時代には、松尾芭蕉の弟子の河合曽良が壱岐にやってきて、壱岐で亡くなり、彼のお墓もあります。



明治時代には対馬海峡でバルチック艦隊との海戦がありました。


対馬海峡は要所なので、昭和8年には砲台も設置していました。




このように壱岐島を回ると弥生から現代までの歴史をいろいろと振り返れるんです。



歴史のポイントを回る間に

市役所に行き、白川市長ともお話させていただきました。



壱岐の魅力や可能性についてお伝えし、

今後繋がりが深まればと思います。


また、ランチは壱岐の名物でもある

ウニ丼の定食。



これを食べるだけでも壱岐に来る甲斐があると思います。


さらに隙間をぬって、

麦焼酎の酒蔵も見学しました。



壱岐は麦焼酎発祥の地で今でも

7つの酒蔵があるんです。




研修の後は、鬼の足跡と猿岩をまわり、

島のサンセットを堪能しました。



二日間、かなりしっかり勉強したので、

最終日は壱岐の魅力を堪能してもらいました。


島の北端の辰の島に渡り、

遊覧とトレッキングと海水浴をし、



島の南端の錦浜で、

バーベキューにマリンスポーツ。




今回もたくさんの方の協力で

素晴らしい合宿ができました。


準備を手伝っていただいた鬼塚さん

ガイドをしてくださった伊佐藤さんには

特にお礼をお伝えしたいと思います。


ゲストで来てくださった

茂木先生とカズヤくんにも感謝。


皆さん、ありがとうございました。