今日から三日間、国境の島 壱岐で
イシキカイカク大学のメンバーと
合宿です。
テーマは、日本の歴史と地方の現状を学ぶこと。つまりフィールドスタディです。
初日の今日は、博多港に集合し、
フェリーに2時間乗って壱岐に到着。
最初に行ったのは牡蠣小屋。
地方の美味しいものを頂くことも
大切なフィールドスタディです(笑)
次に行ったのは
日本のモンサンミッシェルと言われる
【小島神社】⛩
日本初の日本遺産でもあります。
二つ目の神社は
猿田彦をお祀りする【男嶽神社】⛩
こちらは宮司の吉野さんに
ご案内をお願いしました。
「おんたけ」と名のつく場所は、
禁足地が多く、こちらの神社も明治までは
誰でも入れる場所ではなかったそうです。
(人が入りすぎると場が荒れるので、
本当は禁足地は残した方がいい)
今壱岐には別の場所に
月読神社がありますが、
元々月読命を祀っていたのが、
こちらの神社だったそうです。
面白い話を聞きました。
元々伊勢の神宮があったとされる
伊勢の二見浦が「朝日の二見浦」と称せられるのに対し「夕日の二見ヶ浦」として有名なのは福岡の糸島市にある二見浦。
この二つを繋いだラインの西にあるのが
こちらの男嶽神社だそうです。
つまり、太陽の神、天照から
夜の神、月の神、月読にバトンタッチされるのが、最西のこの壱岐ではなかったのか、
というお話です。
こんな話をしてくれる吉野宮司は
天児屋命から数えて78代目の子孫という
ことで、14代目の先祖であった押見宿禰という方が壱岐から松尾大社に
月読命を移し、そこから伊勢に移されたと聞きました。
壱岐には月読神社が神社がありますが、
大元はこちらだと私は感じました。
男嶽神社の磐座はなんと触っていいのですが、メンバーが触ると何人かの手に電気のような痺れがあるほど、特別な振動があります。
恋愛から出産まで、
皆さんいろいろな願をかけにこられ、
お礼参りには猿の石像を奉納されるのが、
今の習わしになっています。
男嶽神社を後にし、
月読神社を参拝して、締めは猿岩を見てきました。
壱岐と猿は御縁が深いようです。
猿岩の近くには、昭和8年につくられた
砲台の跡もあります。
壱岐が国防の拠点であったことの証しです。
夕方からは、壱岐の歴史を調べられているガイドの伊佐藤由紀子さんに、縄文から現代にいたる壱岐の歴史について講義をしていただきました。
初日は講義で翌日は現地を案内頂くのが、私からの要望です。
講義のあとは、地元の議員さんや商業者、メディア、神職の方々と食事をしながらの意見交換会。
対馬でもかつてやりましたが、
また違う課題や可能性を感じ、
我々が淡路ですすめるプロジェクトについても伝えることができました。
私が注目したのは
こちらの取り組み
全国20箇所ほどで、されているそうなので、
また是非学びたいと思いました。
2日目に続きます。