昨年の出雲研修でお世話になった大村真吾さんに誘っていただき、南米はペルーにきています。


ペルーまではアメリカ経由で20時間以上かかりました。


初日は成田からヒューストン、ヒューストンからリマに飛び、リマで仮眠をとって、


今度は国内線でインカ帝国の首都があったとされるクスコに飛びました。

クスコの標高は3300メール。

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クスコではサクサイワマンと呼ばれるインカ帝国時代の遺跡を訪問したのち、

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車で70キロ移動して、

オリャンタイタンボというこちらもインカ帝国時代の遺跡を探索。

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石の建築技術が素晴らしく、

神が作ったという伝説もまんざらではないように感じました。


オリャンタイタンボからは、

電車に乗り換えさらに1時間半走ると

マチュピチュの麓のマチュピチュ村につきます。

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日本からほとんど眠らずで

3000メートル級の高地を移動したので、

さすがに高山病っぽくなり、この日はノックダウンでした。




そして2日目は朝6時のバスで

マチュピチュに登ります。


マチュピチュ村からマチュピチュまではバスで25分。

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標高2800メートルの地に、

インカの遺跡マチュピチュがひらけていました。


雨季にもかかわらず、この日は

ガイドも驚くほどの晴天でマチュピチュ4時間かけて探索しました。


要塞とも宗教施設とも言われるマチュピチュはスペインにより直接の破壊を受けたわけではなく、


帝国の滅亡により、用をなさなくなり人がいなくなり廃墟からしたと考えられています(諸説あります)。

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存在が広く知られるようになったのは1911年にアメリカ人のハイランビンガムにより発見されてからですが、地元の人に聞いて行っただけなんで、発見と言えるか微妙です。


私がマチュピチュで一番驚いたのは

無数の段々畑です。

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山の急斜面にこれだけの畑を作るとは!

日本の棚田の上をいきます。


マチュピチュ見学後は

かつてのインカ道跡を歩いて下山。


元気なつもりだったんですが、、、


この疲れが翌日にでて

3日目は胃腸風邪の様な状態。


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なんとか騙し騙し、マチュピチュ博物館にはいきましたが、、、


午後のクスコまでの移動は

超グロッキーでした。


それでも1日で持ち直して、

4日目に挑みます。


4日目はクスコからチチカカ湖のあるプーノまで約400キロのバス移動。


途中には

スペイン時代の教会


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インカ時代のラクチ遺跡


標高4335メートルのララヤ峠


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紀元前400年ごろから1000年ほど栄えたプラカ文化の博物館

に立ち寄りました。


夜はプーノで宿泊し、

後半はチチカカ湖からスタートです。


ここまでが旅の前半の概要です。



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