今回は龍馬プロジェクト中国ブロックの研修で、隠岐の島の隠岐の島町と海士町を視察しました。

 

まず、初日は隠岐の島町。

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ここは竹島を持つ町なので、竹島問題中心に調査してきました。

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 最初の訪問地は「久見竹島歴史館」。竹島に関する資料の収集を目的に今年の5月にオープンしたばかりの施設です。ここでは、隠岐の島町総務課竹島対策室の忌部さんが竹島問題についてお話をしてくださいました。

 

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竹島問題の起源は、昭和27年1月に李承晩が、李承晩ラインをひいて竹島を韓国領だといい始めたことですが、ラインがひかれたのちも昭和29年頃までは、島民が竹島で漁をしていた記録があります。今、隠岐の島町で取り組んでいるのは、過去の竹島での漁の記録などの収集保存だとのこと。


領有権を司法の場などで争うときは、そうした過去の領有の実態が大切なのですが、実効支配をされてしまっているので、過去の領有や漁の実態を知る方がどんどん亡くなっていっているのが現状なのです。

 

聞き取りの結果いろいろなことが分かってきています。

 

当時、隠岐の島から竹島までは動力船で12時間よって一回行ったら2~3週間滞在してアワビやサザエの採取やアシカの捕獲などをやっていました。
とったアシカは、動物園や水族館などにも売っていたそうです。

 

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当時の漁獲高の資料もありますし、島の様子のスケッチ、朝日新聞が竹島での漁の様子を取材してまとめた新聞の記事なども町で保存されていました。

 

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施設ができてから、韓国政府の関係者が調査に来たそうですが、「まずいな~」という感じで帰っていったそうです。
韓国側にはおそらくそんな資料は残っていないのでしょう。


今後の町としての取り組みは
・国に領土権の確立や漁業の安定操業の確保を訴えていくこと
・町の内外に竹島にかかわる情報の教育活動を推進していくこと
・竹島にかかわる資料の収集とアーカイブの作成
を考えられています。

 

町からは国に何度も要望書を出しているとのことですが、国から正式な回答は一回もなかったといいますから、今後の動向は国民の意識で変えていく必要があると感じました。



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歴史館の後は、郷土資料館とその隣にある水若酢神社を訪問。
水若酢神社は延喜式にも記録される由緒ある神社で、古くから隠岐の島が日本にとって重要な場所であったことの証でもあると感じました。
たくさんの神社を訪問し、どんな神社があるかによってその地域の特性などがわかるようになってきました。


夕方は、先月まで町長をされていた松田和久氏と漁協の代表理事の濱田利長氏にお越しいただき、竹島問題についてヒアリングしました。

 

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まず、濱田氏からは漁業の現状をお聞きしましたが、韓国の漁師は、日韓で定める竹島周辺の暫定水域(日韓が共同で漁ができる場所)で、無茶な漁をして困るとのことでした。


例えば、共有地なのに定置の漁具を設置し、日本側が漁に入っても底引き網などができず、仮にそれをやって韓国側の漁具が破損したりすれば、損害賠償をしないといけないとか、小さい魚も乱獲するので海洋資源がなくなっていっているとのこと。

 

さらに、暫定水域で魚が取れないと韓国側の漁師は日本の排他的経済水域(EEZ)にまで入ってきて漁をし、日本の巡視船などが行くと暫定水域に逃げ込んでしまうといった様子だとのこと。

国家間で取り決めがあるのですが、韓国側の漁船の監督は韓国政府に任されているため、日本からは強く取り締まりがしにくいとのことでした。

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また松田氏からは、驚きの話を聞きました。
私は、隠岐の島の人々は、李承晩ラインがひかれてから漁業区域を制限され、時には韓国側に拿捕されて亡くなる方もいて、大変な思いをされてきたのだろうと推察していまいた。

 

しかし、松田氏曰く、島民が韓国側に捕まったことはなく、鳥取や九州の漁師が連れていかれたとのこと。なぜなら、漁といっても様々な手法があり、暫定水域あたりで大規模な漁をするのは九州などの漁師だそうです。

 

そして、それより驚いたのは、今70歳の松田氏が若いころは、隠岐の島の人々は誰も竹島の問題など知らなかったということです。
日韓で今の排他的経済水域が決められたのは、昭和53年だとのことですが、その当時でもまだ竹島問題の関心は薄かったとのこと。
なぜなら、先ほども書いたように、隠岐の島の人々にとってのメインの漁場は竹島近海ではなかったからなんです。

 

ではいつ頃からどうして隠岐の島で関心が高まったのかというと、平成に入ってからできっかけは離島振興の問題だったといいます。


松田氏は合併前の旧西郷町の町長時代に、離島振興の要望を国に上げる活動をしておられ、実際に平成15年11月15日には隠岐の島に離島振興を進めたい方々を集め1200名規模の集会も開いておられます。

 

そしてこの運動の中で、隠岐の島の日本の中での重要性を訴えるために「竹島問題」を強く訴えるようにした、というのが実際のところであったようです。


この頃から隠岐の島でも竹島問題がだいぶメジャーになり、その流れで平成17年3月に島根県議会で、2月22日を竹島の日と定めたわけです。

 

そして竹島問題を全国区の課題に広めたのが、2012年8月10日の李明博韓国大統領の竹島上陸であったといいます。
それまで、ローカルなメディアしか取り上げなかった竹島の問題を、全国のメディアが取り上げるようになり、竹島問題が多くの国民に知ってもらえるようになってよかったと言っておられました。

 

イメージと実際は違うものです。
現地に行ってみて初めてわかることがあります。

 

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松田氏、濱田氏ともに、竹島の領土問題は将来的には決着させたいが、戦争でもしないとすぐには解決しない問題だと捉えておられました。


今一番政府に求めるのは、暫定水域での漁業権の保護で、韓国政府と新たなルール設定をしてほしいともおっしゃってました。

 

私や同席した仲間は、歴史に学び、慰安婦の問題を見てもわかるが、韓国とは約束しても守られる保証なんてないから、友好や新しいルール設定をしてもあまり意味がない。
韓国は強い相手になびくお国柄なので、スワップなどで相手が泣きつくポイントを見つけて、圧力をかけて言うことを聞かさないとダメだと忠告だけさせてもらいました。

 

また、島根県民としては、隣の鳥取県も一緒に声をあげて欲しいと口をそろえて言っておられました。
どうもしかし、韓国と鳥取の政治家との間で、裏取引があったような話もあり、それがなかなか実現しないのではないかという話も出ていました。

 

対馬でもそうでしたが、本音は土地問題や領土問題よりも、離島の方々は日々の経済を回すことが第一課題で、対馬であれば韓国人の観光客にお金を落としてもらうことが一番の狙いになり、隠岐の島においては、領有権よりも漁場の確保や経済振興が大切なのだろうという印象を持ちました。

 

離島の経済は厳しいですからね。そこに住んでいない私たちが、「お金より、土地や領土だろう!」と叫んでも、それは我々のエゴであり、まず島の皆さんの暮らしを支えることを考えねば、領土を守ろうという意識にも慣れない現実があるのでしょう。

 

多くのことを教えてもらいました。

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そして夜は隠岐青年会議所の皆さんとの意見交流会。
皆さん初対面でしたが、同世代どおしすぐに打ち解けて、島の実情について詳しく教えてくださいました。

 

私なりにこれまで学んできた地域振興策や貨幣経済の課題などをお話したら、すごく喜んでくださり、その場で龍馬プロジェクトに入ってくださる方も現れました。

 

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さらに、2次会3次会と続き、ユニークな隠岐の夜を堪能させていただきました。

 

1日の感想として、やはり離島での生活は大変なので、我々よそ者はあまりイデオロギーばかり主張せず、先に離島での生活をいかにサポートしてあげれるかを、できることからやっていくべきと再認識しました。

 

隠岐の島町の皆さんには、たくさんのお時間と情報を頂いたことに心から感謝しております。ありがとうございました。