イスラエル滞在も9日目を迎える今日はエルサレムのホテルからスタートし、ダビデの町に行きました。
ダビデの町が何かを説明するには、エルサレムの歴史を語らねばなりません。
出エジプトを果たしたモーゼのあとをヨシュアがついで、カナンの地にユダヤ人が入ってきたのが紀元前13世紀ごろとされています。
そしてサウルがユダヤの王として君臨し、二代目の王になったダビデがユダヤ人の国の首都をエルサレムに築いたのが、紀元前1000年頃のこと。
今日訪問したのは、紀元前1000年頃ダビデでが築いたとされる町のあとで、今はエルサレムの旧市街の外の場所になります。
どういうことかというと、ダビデのあとには、バビロン捕囚や先日話したユダヤ戦争があり紀元70年にはユダヤ人はエルサレムを追われ、さらにそのあと、ローマ帝国、イスラム勢力、十字軍、オスマントルコなどどんどん支配者が変わる中で町の形が変わるんです。
同じエルサレムでも2枚の絵は全然違う。
ずっと城壁内に残るのは、ダビデのあとのソロモン王が築いた神殿の場所です。この神殿は紀元前1世紀にローマ支配下でヘロデ王によっても改修されましたが、ユダヤ戦争で破壊されました。今残るのは神殿の壁の一部で、それが昨日訪問した「嘆きの壁」なんです。
「嘆きの壁」でユダヤ人が祈ることの一部は、ダビデやソロモンの時代のようなユダヤ人国家の繁栄なんです。
すっかりエルサレム通になりましたが、こうした歴史を理解しないと、史跡を訪問してもロマンがありませんのでf^_^;
ダビデの町を探索し1番印象深かったのはやはり水路網です。1週間イスラエルに滞在し、この砂漠の国で水が如何に大切かを理解しました。
エルサレムがなぜ発展し、聖地になったか!それはやはり水があったからなんだと思います。今でも地下に水は流れていて、私も少し飲んできました。
シロアムの池では、赤塚さんからイエスが盲目の人の目を治したエピソードも拝聴しました。
こうして一回エルサレム近郊を探索しておけば、聖書に書かれたストリーがイメージできるようになります。
今日2つ目は、イスラエルのホロコーストヒストリーミュージアムを訪問しました。
4年前にアメリカのホロコーストミュージアム、昨年にはポーランドのアウシュビッツを訪問していますが、今回はまた少し違う感情をうけとりました。
個人の感覚ですが、アメリカやポーランドの展示と比べると、それほどどきつくなく、文字よりも映像や写真でホロコーストを伝えようとしている印象です。
*参考
昨年のアウシュビッツの訪問記
展示の最後にはイスラエル建国の様子もありました。
国が無いということは、いざとなった時に誰も守ってくれないということです。軍も持たない無抵抗な民族に対するジェノサイドの現実を日本の平和ボケした人々はどう捉えるのかと、いつも思います。
ホロコーストはイスラエル建国の正当化の一つにもなっていることを、再認識しました。
他に考えたことを箇条書きで!
・世界中でナチスドイツ(時には日本も一緒に)が凶悪犯扱いされていますが、ナチスドイツが生まれた背景は全く描かれていない。
・ホロコースト記念館はいろんな国にあるが、15世紀〜20世紀の西洋列強が世界で行なった虐殺を記す歴史記念館を私は知らない。
虐殺や人権の歴史を学ぶならこちらも必要なのではないか?日本が作るか?
・ホロコーストについても若干の誇張があるようにも思うが、それは日本人からはなかなか言えない。これと同じように、南京虐殺や慰安婦の記念館を世界中に作られたら、印象操作や言論封圧で日本には大損害になるだろう。
最後のポイントは、「園の墓」
こちらは聖墳墓教会とは別にイエスの墓とされる場所です。
キリスト復活のお話を聞きました。
今日は寝不足だったためか、ホロコースト記念館に行ったからか、お墓で敬意が足りなかったからか、たまった疲労が怒濤のように押し寄せてきて、ホテルにもどると立てなくなるほどでした。
いよいよ明日帰国の途につきますので、今日は簡単にしておきます。