昨日発売の週間プレーボーイ(記事は一番最後に記載)にも記事が取り上げられた藤井市長の裁判の初公判が本日行われました。






17日の17時半からはニコニコ生放送でインタビューもあります。


被告人陳述


陳述書

 検察官が読まれた公訴事実では、私が、中林から現金を受け取ったとされていますが、そのような事実は一切ありません。 
受託収賄、事前収賄、公職にある者等のあっせん行為による利得等の処罰に関する法律違反、いずれについても、私は無罪です。
 中林から、浄水プラントの導入について請託を受けたとされていますが、私は、浄水プラントは美濃加茂市にとって有意義な事業であると考え、市議会議員として導入に向けての活動をしていたもので、中林に依頼を受けたから動いたのではありません。
 2010年10月に私が市議会議員に当選した約半年後に東日本大震災が発生しました。震災直後の現地は厳戒態勢でしたが、議員として被災地の支援を行うと同時に災害の現場を知っておく必要があると考え、地元国会議員の先生に嘆願し、発災約2週間後に福島県に入ることができました。その後も、繰り返し地元の人たちとボランティアで東北に行きました。その経験から、いかに地域が災害に脆弱であるかに気付きました。また、震災以来、災害対策に市民の関心が高まっており、その対策を通して、行政や政治への関心を高めることや、ライフスタイルの見直しを訴えていくことができると考え、防災・災害対策を議員活動の柱の一つとしていました。
 そのような中で、災害直後に必要不可欠な「水」の課題を解決することができる浄水プラントの事業は魅力的に感じました。他の事業や事例も調べましたが、「市に負担がない」事業は、積極的な財政改革を行ってきた美濃加茂市であっても、用いることができると考えました。
 地方議員が、地元の御用聞きばかり行い、議会では一般論や抽象論を議論しているだけでは、市民の人たちから認められないことは当然です。私は、勉強会等にも積極的に参加していましたが、事業者の考えを直接聞くということも必要に応じて行っていました。また、現在の市役所は、人員削減、残業禁止等で既存の事業で手一杯になっています。そこに抽象的な提案を出しても何も解決しません。その現状を考えると、市議会議員として、市役所に対して、市の役に立つ事業を具体的に提案することも必要なことだと思います。
 そのような活動自体が疑惑を受けることにつながるのであれば、市議会議員として地方政治家や地方行政の現状を踏まえた政治活動はできません。新技術の導入をはじめ、地域独自の政策にブレーキをかけることとなり、地方・国の活性化を想う政治家や行政職員の活動を大きく妨げることになります。私はそのことを最も危惧します。
私が、市議会議員として、美濃加茂市民のことを考えて行った活動に関して、中林から賄賂を受け取ったなどという全く事実無根の疑いをかけられたことで、美濃加茂市民に多大な迷惑をかけたことは誠に残念です。
裁判官の方々には、しっかりと真実を見極めていただきたいと思います。




裁判における弁護人の冒頭陳述



平成26年(わ)第1494号 
受託収賄等被告事件
被告人 藤 井 浩 人

弁 護 人 冒 頭 陳 述

平成26年9月17日

名古屋地方裁判所 刑事第6部 御中
主任弁護人 郷 原 信 郎
弁護人 神 谷 明 文
弁護人 山 内  順 
弁護人 新 倉 栄 子
弁護人 上 原 千可子
弁護人 渡 邊 海 太

 弁護人が、証拠により証明しようとする事実は以下のとおりである。

第1 本件公訴事実の不存在に関する事実
1 賄賂授受の現場には同席者が存在し、授受を目撃していない
  被告人の知人で、中林を被告人に紹介したBは、本件各公訴事実記載の会食にすべて同席していたこと、その場で席を外しておらず、現金の授受は見ていないことを一貫して供述しており、席を外していない理由についても極めて合理的な説明を行っている。
  同人の供述を前提にすると、平成25年4月2日昼のガスト美濃加茂店及び25日夜の山家住吉店での会食の際に被告人に現金を渡した事実は存在し得ないものである。 

2 被告人には自由に使える現金があり、金員受領の動機がない
   検察官は「同時期の被告人の資金繰りが楽ではなかったこと」ことを、被告人が本件各公訴事実の賄賂を受け取ったことの間接事実として主張しているが、以下に述べるように、被告人の手元には、自由に使える多額の現金があったものであり、検察官の主張は、被告人の金員受領の動機を裏付けるものではなく、また、この時期に被告人が塾の経費支払の銀行口座に現金入金した事実があったとしても、その直前に予定外の現金収入があったことの裏付けとなるものではない。
被告人は、数年前、自動車を購入した際、高校時代に通っていた塾の塾長から100万円程度の借金をしたところ、それを同塾の講師のAが肩代わりしたことから、同Aに60万円程度の借入金があった。
Aは、被告人の市議会議員の給与が安いことを知っていたので、その貸付金の返済は急がないと被告人に伝えていたが、被告人は、返済のための金銭を少しずつ貯めていた。
市議になって1年程度たったころには、その返済のための現金が30万~40万円程度貯まったので、そのころから、被告人は、ときおり借入金の一部を返済しようとしてAに電話やメールで連絡をとっていた。
平成25年春にもその旨を連絡したが、Aから「全額貯まってからでいい」と言われたので、その金はそのまま手元に置いておき、市長選挙に立候補した際の出費に一部流用するなどした。そして、市長に就任した後、給与収入も増えたことから返済資金を貯めることができ、平成26年4月に、Aに全額を返済した。
また、被告人の自宅近くに住む伯父は、被告人が市議会議員に就任した後、急に金が必要になった際に持ち出して使えるように、同人の自宅の冷蔵庫に、被告人が自由に持ち出せるよう20万円~30万円の現金を入れておき、そのことを被告人に伝えていた。被告人は、実際にその金を持ち出すことはなかったが、現金が必要な時はいつでも持ち出して借用することが可能であった。
しかも、毎年、年度当初は、塾の入学金・年会費が入ることから、被告人が使うことができる現金が、他の時期と比較して多かったものである。
   これらの事実から、平成25年4月頃、被告人の手元には、緊急に出費する必要があれば、それに充てることができる現金が手元に30~40万円あったことに加え、伯父が自宅に用意してくれていた現金を、必要があればいつでも持ち出して使うことが可能だったこと、年度当初で現金収入が多かったことなどから、被告人の手元には自由に使える多額の現金があったものである。

 3 市議会での被告人の質疑に対する市当局の答弁には何ら特異性はない
   検察官は、市議会議員が議会の質疑で市当局に何らかの対応を求める発言をすることが、再質問をされることを避けようとする市当局の対応に大きな影響を与えることを前提に、平成25年3月14日の定例市議会での質疑で、当時市議会議員であった被告人が災害対策に関して新技術の導入の検討を求めたことで、同市の関係部局が浄水プラントの導入を検討せざるを得なくなったかのように主張し、被告人の議会での質疑を、中林から被告人への市議会議員の職務に関する請託に基づく行為のように位置付けている。
しかし、美濃加茂市において、市議会議員が一般質問や質疑を行った場合、答弁案の作成や議会での答弁にあたって、関係部署は、美濃加茂市民の代表である議員からの質問であることを十分認識し、真摯に対応するのは当然であるが、議会会期中になされる一般質問や質疑は毎回かなりの数であり、単に、質問がなされたからと言って、これがただちに市政の運営に反映されるものではなく、提案された事業などを実現することを担保するものでもない。また、発言通告書は、議会での質疑予定日のほんの数日前に提出されることが多く、質疑への答弁自体は関係部署の役割であり、市長まで上がっているものではないので、具体的答弁を行う関係部署としても、多くは「研究します。」とか「検討します。」といった答弁にならざるを得ない。
当該質疑について、その後、議会で再質問をされることも多いが、それは、制度上当然に予想されるものであり、関係部署としても、「再質問の可能性」を過度に負担として捉えているわけではない。
上記のような美濃加茂市における市議会での質疑への市の関係部局の一般的対応を踏まえれば、被告人の質疑に対する市当局の答弁が何ら特異なものではないことは明らかであり、被告人の市議会での発言を、中林の請託に基づく市議会議員の職務行為と解する余地はない。

第2 贈賄者供述の信用性の欠如~闇取引の疑い等
1 贈賄者に係る起訴されざる重大な犯罪の嫌疑
中林は、公文書等偽造・同行使、詐欺の事実で勾留中に贈賄の自白を行ったものである。中林が行った融資詐欺は、関係機関の代表者印等を偽造、受注証明書、契約書等の公文書、私文書を偽造して、多くの地方自治体、医療機関等から浄水装置を受注し、その代金が入金予定であるように装い、送金元の名義を偽って受注先から自社の口座に代金が入金されたように仮装するなどして、銀行、信用金庫など10の金融機関から、借り換え分も含め総額3億7850万円を騙取していたものであり、およそ1億4000万円が未返済となっているものである。また、その融資の多くがP信用保証協会、Q信用保証協会等の信用保証付融資であった。
なお、上記3億7850万円というのは、中林が供述調書で事実を概括的に認めている融資詐欺の金額であり、それ以外に、公訴事実第2記載の被告人、中林、Bの3人の会食の直前に、中林が、美濃加茂市からの雨水浄化設備を受注したように偽って「Y」と称する会社経由でZ信用金庫から受けた3000万円が含まれておらず、同融資を含めれば、融資詐欺の総額は4億円を超え、未返済額も1億7000万円に上るものと考えられる。
しかも、上記の融資詐欺には、美濃加茂市の小中学校への雨水浄化設備の設置に関して、真実は、中林が、同市小中学校への設置に向けて営業活動を行っているに過ぎないのに、既に、美濃加茂市において設置が決定され、工事が発注されているように偽って、X銀行今池支店から4000万円(平成25年6月21日に2300万円、8月16日に1700万円)の融資を受けた事件が含まれている。
   
 2 当該嫌疑に係る捜査経緯の不自然さ等
   中林は、平成26年2月6日に、1000万円の融資詐欺で逮捕された後、3月5日に、1100万円の融資詐欺で再逮捕されているが、逮捕当日及び翌日に短い調書が作成された後は、同月7日から14日までの8日間は、供述調書が全く作成されておらず、勾留満期の15日から勾留延長後の20日までの間に警察官調書、21日には検察官調書が作成されている。
そして、26日に起訴された後、28日に、3億7850万円の融資詐欺全体を概括的に認める供述調書が作成され、それが詐欺関係の供述調書の最後となっている。
   一方、中林は、同月16日と17日に、中林が被告人に対する20万円の賄賂を渡したことを認める上申書を作成し、27日には、平成25年4月上旬に10万円、同月下旬に20万円の賄賂を被告人に渡した事実を具体的に述べる警察官調書が作成されている。
   すなわち、中林が総額約4億円の融資詐欺について概括的に自白をしているにもかかわらず、その捜査は、そのうち僅か2100万円の被害額の融資詐欺だけで打ち切られ、そのような捜査の終結とほぼ同時期に中林が本件贈賄の自白を行ったものである。融資詐欺捜査の打ち切りが贈賄自白の重要な動機となったことが合理的に推認できる。
 しかも、中林が市議会議員であった被告人に接近して美濃加茂市に雨水浄化設備の導入を働きかけていた事実と、既に設置が決まったかのような偽造書類を提出して融資を受けたこととの間には何らかの関連があるはずであり、贈賄に至る経緯の中で融資に関する話が出てくるのが当然であるにもかかわらず、一切そのような話が出てこないのは明らかに不自然であり、そこには、融資詐欺に関連する事実関係を本件の調書から排除しようとする取調官側の意図が窺われる。

 3 中林の贈賄供述の決定的な欠陥
上記のような不合理な捜査経緯によって引き出された中林の贈賄自白は、その内容においても決定的な欠陥がある。
すなわち、上記3月27日の自白調書では、公訴事実第1のガスト美濃加茂店での会食は中林と被告人の二人だけで、Bは同席していなかった旨供述していたが、その後、4月下旬に至り、同店の伝票により、利用人数が2人ではなく3人であったことが判明し、中林の供述が客観的証拠と符合しないことが明らかになった。
しかも、中林は、当初から、「賄賂を渡すのはBには知られたくなかった」と述べていたのであり、賄賂を渡すための同会食に、わざわざBを同席させた理由に加え、Bに見られないように被告人に現金を渡した具体的状況の説明が必要となった。
その時点で、なぜか、中林の取調べは警察官から検察官の手に移り、5月1日に、詳細な検察官調書が作成されるのであるが、ここでは、3月27日の警察官調書での自白内容には触れられておらず、供述の変遷の理由も全く述べていない。
当初の自白では、同会食は、被告人に賄賂を渡すことが目的で、渡す資料は「意味のないもの」だったと述べていたのが、同席者のBに被告人に資料を渡すと説明したと述べたこととの関係で、被告人に渡す資料が「意味のあるもの」でなければならなくなった。その「意味のある資料」が何であるのかについての中林の供述はなく、それが特定されたのは、本件起訴の3日前の7月12日の検察官調書であった。
被告人に現金を渡すのをBに見られないようしたことについての中林の説明も、上記5月1日の検察官調書では、「Bさんが席を外したとき、私は、藤井さんに対し、準備してきた賄賂のお金を差し上げました。」としか記載されておらず、中林が本件で逮捕された後も、その点について具体的に述べる供述はなかった。 
結局、7月12日付けの検察官調書で、その点について、「Bが自分と被告人の分の飲み物をドリンクバーに取りに行って席を外した際に、被告人に現金を渡した」と具体的に特定された。
同調書では、被告人に現金を渡した方法について、「被告人とテーブルをはさんで向かい合って座っていた中林が、現金10万円を入れた封筒をテーブルの上に出して、封筒から資料を挟んだクリアファイルを半分くらい引き出し、資料だけが見える表側を見せ、次に、封筒ごと裏返して、資料の後ろ側に挟んだ現金10万円を入れた銀行の封筒を見せたうえで、クリアファイルを封筒の中に戻し、被告人に小声で『これ少ないですけど、足しにしてください』と言いながら現金10万円を入れた封筒を差し出し、被告人が『すみません。助かります』と言って封筒を受け取った。」とされているが、中林、被告人らが着席していたテーブルとドリンクバーは僅か3メートル程度しか離れておらず、仮にBが席を立ったとしても、振り向けば中林と被告人とのやり取りが容易に見える位置だったのであり、Bがドリンクバーに立っている間に、上記のような方法で被告人に現金を渡すことは不可能である。
しかし、そのような現場の状況については、起訴までに実況見分すら行われておらず、公判前整理手続が開始された後に、弁護人の指摘を受けてようやく実況見分が行われ、上記のような現場の状況が初めて客観的に証拠化され、中林供述が現場の状況と整合しないことが明らかになったものである。

4 Bに対する警察・検察の取調経緯
前記のように、その供述内容が本件贈収賄の嫌疑自体に極めて重大な影響を与えるBに対して、警察は、平成26年6月24日午前7時に任意同行を求め愛知県警本部で取調べを開始した。それは、警察が被告人に任意同行を求めて本件の任意取調べを開始したのとほぼ同時刻であった。
   取調べ警察官は、最初に、「会食の場で、中林が藤井に金を渡すところを見たか、その話を、中林か藤井から聞いたか」と質問し、Bが否定すると、「それじゃ、席を外していたので金を渡したことはわからなかった、ということで、取りあえずの調書をとっておく」と言ってあたかも、Bが中林と被告人との金のやり取りを見たかどうかが取調べの主目的であるかのように思わせて、「席を外していたので金を渡したことはわからなかった」旨の供述調書を作成し、Bに署名させた。
   そして、その後の取調べは「席を外していたこと、又はその可能性」を明確に認めさせることに集中し、朝から夕方まで長時間にわたって、体調も考慮せず、恫喝的な取調べが行われ、Bは、最後には、持病で痙攣を起こし、意識を喪失するまで追い込まれたが、それでも「席を外していない」との供述を維持した。
   一方、検察庁での最初の取調べは6月26日に行われ、「中林が藤井に金を渡したという供述をしていると聞きましたが、私はその場面を見た記憶がありません」という内容に加えて、「仮に、中林が藤井にお金を渡しているとするなら、私がトイレや電話などで席を外した際に渡しているのではないかと思います。」と記載した供述調書が作成され、Bに署名させた。この調書の記載は、「『中林がお金を渡していた』と仮定すれば理屈としてはそういうことになる」という意味であることは明らかだったが、この同調書の「私がトイレや電話などで席を外した際に」との記述は、その後、被告人の保釈請求に対する検察官意見等では「Bが検察官の取調べで席を外したことを認めたことを示す調書として用いられ、本件公判でも同趣旨で証拠請求された。
そして、Bが弁護士による抗議文を提出して警察の取調べを拒否し、取調べ検察官の了解を得てインターネット番組に出演し、「会食の場では席を外していない」旨世の中に明言するようになった後は、一転して、基本的にBの供述するとおりの内容の調書が作成されるようになった。
それ以降の検察官調書では、問答形式で、取調べ当初から一貫して述べている「席を外していない」旨の供述と、6月26日の検察官調書での「私がトイレや電話などで席を外した際に渡しているのではないかと思います。」との記載を対比し両者の違いを指摘することで、この点について被告人に有利な方向に供述を変更したように歪曲して、B供述の信用性を否定しようとしている。
  
第3 本件贈収賄が警察・検察に作り上げられた犯罪であること
  弁護人は、上記の各事実を証拠によって立証することにより、本件贈収賄の嫌疑の根拠とされた中林供述が全く信用できないことだけではなく、本件各公訴事実が、警察、検察によって作り上げられた犯罪であることを明らかにする。
中林の贈賄自白は、約4億円にも上る悪質極まりない融資詐欺の捜査が、ごく一部だけの立件、起訴で終結するのとほぼ同時期に行われたものであり、警察・検察の明示的な約束があったか否かはともかく、中林の贈賄自白が、自らの犯罪の捜査・処理に関する有利な取扱いへの期待に動機づけられてして行われたものであることが強く疑われる。
  そのような経過で行われた自白については、慎重な裏付け捜査によって信用性についての吟味を行うのが当然であるが、本件で行われたことは、中林に供述内容を変更させ、新たに明らかになった客観的事実との辻褄を合わせることであった。
しかも、中林の供述に基づいて被告人を逮捕するのであれば、中林の贈賄供述の信用性を判断する上で決定的に重要な、会食の場の同席者のBを事前に取調べて、Bの供述内容を確認し、中林供述と相反するのであれば、両者の供述信用性について徹底した裏付け捜査を行うことが不可欠であった。
ところが、Bに対して、警察が行ったのは、被告人の任意同行とほぼ同時に、被疑者のような扱いで任意取調べを開始し、捜査側の意図を隠したまま「席を外していたので金を渡したことはわからなかった」旨の供述調書に署名させることであった。
そして、その後、席を外した状況等について警察の意に沿う調書をとるため連日、長時間にわたって、恫喝的、虐待的な取調べが行われ、その取調べについて抗議を受け、Bの取調べは検察官の手に移った。
しかし、検察官も、B供述を正面から受け止めようとはせず、当初の取調べでB調書の言葉尻をとらえて、同人が一貫して述べている「席を外していない」との供述を、あたかも被告人に有利に変遷したものであるかのような内容の問答形式のB調書を作成することであった。
本件に関して、警察・検察が行ったのは、融資詐欺の勾留中に中林が行った贈賄自白を何とか維持し、被告人の逮捕、起訴に持ち込むための辻褄合せとして、証拠上の体裁を整えようとすることだけであり、そこには、中林供述が果たして真実なのかという点を慎重に判断しようとする姿勢も、中林の融資詐欺も含めて事案の真相を解明しようとする姿勢も全くなかったと言わざるを得ない。
   まさに、本件は、警察・検察によって作り上げられた犯罪なのである。  












本日初公判、全国最年少市長・藤井浩人が激白!「『自白しないと美濃加茂市を焼け野原にする』と言われました」

週プレNEWS 9月17日(水)6時0分配信


全国最年少市長の藤井浩人氏が、警察の「メチャクチャな取り調べ」の実態を明かす!
全国最年少市長として話題になった藤井浩人(ひろと)・美濃加茂(みのかも)市長(30歳)が、市議会議員時代に浄水装置の導入をめぐって計30万円の賄賂(わいろ)を受け取ったとして逮捕・起訴された事件の初公判が本日、名古屋地裁で開かれる。

公判でも一貫して無罪を主張するという藤井市長に、ジャーナリストの江川紹子氏が直撃インタビューを行なった。

■コーヒー一杯にも気をつけていた

―捜査の動きはいつ頃から感じていましたか。

藤井 今考えると、兆候はゴールデンウイーク明け頃。少し前に防災と教育の担当課長が警察から呼ばれたと聞いて、僕も事情を聞かれることがあるのかな、と。そうしたら、5月半ば、何かのパーティの席で、ある国会議員の秘書の方から「いろいろ疑いをかけられていたけど、嵐は過ぎ去ったからよかったね」と言われたんです。「30万円」という金額は、このときに教えてもらって初めて知りました。

「今後は気をつけたほうがいい」と注意されたんですが、僕のほうは「気をつけるも何も、一体なんのことだろう……」という気持ち。6月に入るとマスコミが動き始めて、なんだか気持ちが悪いな、と。

―では、中林氏のことで疑われているとは知らなかった?

藤井 それは記者が教えてくれました。ただ、記者からいろいろ聞かれても、忘れていることも多くて……。(中林氏との)会食は4回あったらしいんですが、はっきり覚えていたのは2回。(10万円を渡されたとされる)ガストでの昼食は、完全に忘れていました。

庁内の担当者からも話を聞いて、事実確認や記憶の統一を図るべきだったのでしょうが、なんの対策もしないまま、僕自身が警察に引っ張られてしまったんです。弁護士にも、逮捕の1週間くらい前に一度、30分ほど相談しただけ。まさか逮捕される事態になるとは、予想もしていませんでした。

―どういう経緯で中林氏と接触するようになったのですか。

藤井 東日本大震災の被災地に何度か足を運んで、災害時の水対策の必要性を実感しました。飲料水だけでなく、手を洗うなど衛生面での水も大事なんだな、と。その後、名古屋の市議の方たちと話をしたときに、プールの水を浄化して災害時に役立てる浄水事業の研究をしている人がいると聞いて、話を聞きたいと思いました。

それで中林氏を紹介され、会って資料をもらいました。災害はいつ起きるかわからないですし、学校現場にそういう装置を置くことで、子供たちに対して防災意識の啓発にもなると考えたんです。

―中林氏の印象は?

藤井 口数は多くなく、汗をかいて働く中小企業の社長さんという感じ。食事はいつも割り勘でした、僕はコーヒー一杯、ランチ一食もごちそうにならないよう気をつけていたし、向こうも「議員にもお立場があるでしょう」と、無理におごろうとはしなかった。

―そういうところで、彼を信用した?

藤井 信用したというより、事業の提案内容に惹(ひ)かれました。市内の中学校のプールに浄水プラントを設置し、実証実験をやるというもので、費用は業者持ち。市としては、お金がかからずに試すことができる。

実際、藻が張ったプールの水は底が見えるまできれいになり、プラントの能力は悪くなかった。こういう好条件に目が行きすぎて、中林氏が信用できる人物かどうかについては、ちょっと置き去りになった反省はあります。

―当時、藤井さんは市議会議員。市長になって、この浄水装置についてはどうしましたか?

藤井 担当課長に任せていました。本格的に導入するなら入札になりますし、そういうことはうちの市は厳しくやってきた歴史がありますので。

■自分が罪をかぶれば、という思いもよぎった

―ところが、浄水装置の導入に関わったのは30万円の賄賂をもらったため、という容疑がかかり、任意同行されました。

藤井 取調室に入るなり、「お金をもらった話、はっきり事実を言ってください」と言われました。僕が「そういうことはありません」と答えた瞬間、(刑事は)持っていたクリップボードをバーンと机に叩きつけて、ふたりがかりで耳元で怒鳴(どな)り始めた。

―なんと?

藤井 「早く自白しろ!」「いいかげんにしろ!」「市長のくせにウソをつくな!」……それが3時間くらい続きました。ドラマとかだと、取り調べは怖い人と優しい人が交互に怒鳴ったり、優しい言葉をかけたりする、というイメージがあったんですが、両方怖かったので、これはまずい……と(苦笑)。僕は右耳が弱くて、耳元で怒鳴られると「キーン」となっちゃうので、これはもうすごい圧力でした。

―その後、逮捕されたわけですが、どんな気持ちでしたか。

藤井 逮捕状を見せられ、賄賂とされる30万円は、10万と20万に分けて2回ももらったことにされているのを知りました。本当にムチャクチャだと思いました。手錠をかけられたときの気持ちは忘れられません。信じられないというか、なんでこんなことになったのかな、という困惑。怒りより、戸惑いですね。訳がわからなくて……。

―中林氏が“自白”しているのも知らなかった?

藤井 はい。取り調べで「中林氏本人に聞いてもらえばわかる」と言ったんですよ。そうしたら、「中林は泣く泣く、藤井さんのことを話したんだ。その気持ちになんで応えないんだ」と言われ、「なんだ、それ!?」と驚いた。「ああ、そういうことになったのか……」と。そんなふうに、徐々に何が起きているのかを認識していきました。

―藤井さんのお父さんは岐阜県警の警察官でしたね。

藤井 ずっと現場の警察官で、くそまじめな人です。おやじからはずっと、「悪いことはするな」「人に迷惑をかけるな」と言われて育ちました。些細(ささい)なこと、例えば弟の髪の毛にガムをつけるようないたずらも、ボコボコに叱られました。

でも、進路を選ぶときは、全面的に子供自身に任せてくれる。市議会議員選挙に出たときも、親戚一同大反対なのに、おやじは「警察官だから手伝えないが、やりたいことをやればいい」と言ってくれました。子供の頃から、おやじを見て「警察は悪いやつと戦う仕事なんだ」「おやじは警察官だからすごいんだ」と誇りに思っていました。



―その警察が、自分を攻撃し始めたことをどう感じましたか。

藤井 ショックでした。警察への信頼があったので、マスコミの人がいくら騒いでも、やってないことで捕まるとは思ってもいなかった。信頼しすぎていたのかもしれない。耳元で怒鳴られたのは初日だけですが、その後の取り調べでも、頭から賄賂をもらったという前提でしか話をしないので、まったく話が噛(か)み合わないんですよ。

僕が若いということで、「こんなハナタレ市長を選んだ市民の気が知れない」と言われました。それと、さんざん「市長をいつ辞めるのか」と聞かれましたね。「辞めません」と言っても、「どうなったら辞めるんですか?」「リーダーとして、有罪になる可能性も考えないといけないんじゃないか」と……。

―逮捕されて、身に覚えのない罪を認めてしまう人も少なくないですが。

藤井 僕も、最初の頃は市民の方々がどう思っているのか全然わからなくて不安でした。ひょっとしたら総スカンを食ってるかなとか、支援者が孤立していたらどうしようとか……。

それを見透かすように、(刑事は)「あれだけ報道されれば、美濃加茂市の人たちも藤井さんから離れていくよね」とチクチクついてくる。「藤井さんは選挙でいろんな人を巻き込んでいるんだから、全員を呼んで徹底的に聞きますよ。経営者の方々も多いですよね。そういう人たちへの影響も考えたほうがいい」と言われたときには、僕もひるみました。

「早く自白しないと、美濃加茂市を焼け野原にする」とも言われた。支援してくれた人たちが迷惑を被(こうむ)るのは申し訳ない、自分が罪をかぶったら(捜査は)終わるのかな、という思いがよぎりました。

でも、そういうときに弁護士を通じて、「地元は一丸となっているから大丈夫だ」という支援者からのメッセージが伝わってきました。1万5000人もの市民の署名もいただきました。これだけの署名を集めてくれた人の汗とか、信じてくれる人の気持ちや市に対する思いを、僕が弱い気持ちになって折るわけにはいかない。これからはどんなにプレッシャーをかけられても、強くあろう、事実を貫こうと決意しました。起訴後にも、早期釈放を求めて新たに集められた2万1150名の署名が支えになりました。





■否認事件は警察も可視化するべき

―一方で、議会からは問責決議も出ましたね。

藤井 はい。市民からの苦情の電話もありました。(市職員が)メモに残してくれたので、その内容は全部読んでいます。

―逮捕・勾留(こうりゅう)で、市政への影響は出ましたか。

藤井 めちゃくちゃ出てますね。市政60周年の式典も延期しましたし、高校生や大学生と一緒に取り組む夏のイベントなど、新しい事業はかなり中止せざるを得なかった。

―若い人との関わりを大事にしていますね。

藤井 僕は、大学院生のときに東南アジアに行って、現地の若者の意識の高さや子供たちのハングリー精神、吸収力に衝撃を受けて、教育を通してそういうことを日本の子供たちに伝えたいと思ったんです。それで、決まっていた就職を断って、学生時代にアルバイトをしていた学習塾に就職しました。

授業の前に話題のニュースを取り上げて、勉強への興味につながるように話していたんですが、4年前の夏期講習のとき、生徒から「政治の悪口を言うなら、先生が政治家になればいいじゃん」と言われたんですね。自分が世の中の問題に真っ向から向き合っていないと、グサッとつかれた感じ。それで、その秋の市議選に立候補したんです。

自分たちの町は自分たちで変えられる。ひとりひとりが行政に関心を持って、変えていくことが民主主義。市長になってからも、それを実践するつもりでやってきました。でも、検察でそういう話をすると、「そんな気持ちがあった藤井さんはどこへ行ってしまったんですか」「正直に話せば、その頃の藤井さんに戻れる」とか言われてしまう……(苦笑)。

―警察の取り調べでは録音も録画もなし。一方で、検察では終始、録音録画されていたようですが、取り調べの仕方に違いはありましたか。

藤井 全然違いました。検察官は発言が少なく、怒鳴ったりもしない。可視化されているからでしょうね。ただ、そんななかでも、僕が熱を出したときには「小学生が登校拒否しているようなもの」とか言われてしまいましたが……。警察も、せめて否認している事件は可視化したほうがいいと思います。

―取り調べ期間が過ぎても、40日ほど勾留が続きました。

藤井 取り調べが終わったとき、これからは一冊でもたくさんの本を読もうと思いました。(郵便不正事件に巻き込まれた現厚生労働事務次官の)村木厚子さんも、(512日間勾留された元外交官の)佐藤優(まさる)さんも、拘束されていた期間をその後の人生の糧(かて)にしています。僕も今の時間をムダにしないようにしよう、と。本は40日間で70冊以上読みました。

―途中で警察の留置場から拘置所(こうちしょ)に移りました。どちらがマシでした?

藤井 拘置所のほうがご飯がおいしかったし、雑貨類を入れてもらえた分マシでしたが、中でやることは同じ。本や資料を読んで、少しの時間、筋トレをする。出てくるまでの間に15~16%あった体脂肪率が8%になって、6kg痩せました。

留置場も、担当の警察官たちは本当に親身になってくれて、僕の体調が悪いときは、検事からの電話を断って病院に連れていってくれたりしました。拘置所の刑務官の対応もしっかりしていて、ありがたかった。うちの市役所もそうですけど、現場の人は一生懸命やっているんですよね。指示をしたり仕事を回す側の人間がもっとがんばらなきゃいけない。それも、(逮捕・勾留中に)学べましたね。

―保釈されて、すぐ公務に復帰。これから裁判が始まります。

藤井 復帰してから、市民の皆さんに温かい言葉をずいぶんかけていただきました。裁判でしっかり無罪をとって、今まで以上に市民に尽くしていかなければいけない。そう思っています。

●藤井浩人(ふじい・ひろと)市長
1984年生まれ、岐阜県美濃加茂市出身。名古屋工業大学大学院中退後、学習塾塾長を経て、2010年10月に美濃加茂市議会議員選にトップ当選。13年6月、前市長の病気による辞職に伴う同市長選に立候補し、自民党推薦の元市副議長を破り、「全国最年少市長」(当時28歳)として就任

■取材・文/江川紹子(えがわ・しょうこ)
早稲田大学政治経済学部卒業。神奈川新聞社会部記者を経てフリージャーナリストに。新宗教、司法・冤罪の問題などに取り組む。最新刊は聞き手・構成を務めた『私は負けない 「郵便不正事件」はこうして作られた』(村木厚子著・中央公論新社)