納得しました。

だから日本人は平和ボケなんですね。

これ絶対に改正せねばなりません。



平成26年5月15日(木)産經新聞

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軍事研究の禁止を最近 になって明文化した東京大学「国家(基本)戦略」を確立し、体系的に戦略を整備せよ

2013.11.26(火)  樋口 譲次 

 今さらながら、驚かされることがある。東京大学の情報理工学系研究科には、「東京大学は、第2次世界大戦およびそれ以前の不幸な歴史に鑑み、一切の例外なく、軍事研究を禁止する」との内規が存在するようだ。

軍事研究を禁止している東京大学

 しかも、つい最近の平成23(2011)年3月に「科学研究ガイドライン」によって定められたもので、軍事研究の禁止を明文化したのは同科だけであるが、従来「他の学部でも共通の理解だ」(東大広報課)というのである(「国民の憲法」産経新聞出版、平成25年7月3日)。

 実は、このような軍事研究忌避の姿勢は、戦後日本の大学には共通したことのようであるが、東大の軍事アレルギーはその典型だ。そして、諸外国では常識的かつ組織立って行われている産官学による国家安全保障・防衛や戦略に関する共同研究を頑なに拒んでいるのである。

 敗戦に伴う米国の占領政策の究極の目的は、日本の「非軍事(非武装)化と弱体化」にあった。

 占領軍は、戦前・戦中の我が国を全面的に否定するとともに、戦争の責任は日本という「国」、なかでも軍・軍人にあって、日本国民は「無実で、無知な犠牲者」であるとのマインドコントロールを徹底し、国・軍と国民とを離間・対立させる構図を作り上げた。そして、執拗に「軍事・戦略=悪」の意識を定着させた。

 このようにして、戦後70年近く、我が国全体に及んだ「軍事の空白」によって、国民は当然のこと、国の指導的立場にある政治家そして「学問の自由」の下、我が国の学術研究をリードすべき高等教育機関までもが軍事・戦略音痴へと陥り、その病巣は除去できないまま慢性的な症状を呈し、現在に至ってもなお我が国を蝕み続けている。

 では、軍事を完全に排除して、中国の巨大な軍事力を背景とした覇権的拡張や北朝鮮の核ミサイルなどの差し迫った現実の脅威に対し、一体どのようにして我が国の生存と安全を確保しようというのであろうか――。

 このような、屈折した国内事情や厳しさを増す国際安全保障環境を背景としつつ、それを克服すべく、第2次安倍内閣は「国家安全保障会議(NSC)」の設置と「国家安全保障戦略(NSS)」の策定を進めている。

 「戦略なき国家」日本にも、ようやく、スマートパワーとしての戦略が芽生えつつあり、意義ある大きな一歩を踏み出そうとしているように感じられる。

国家戦略不在を露呈した前民主党政権(名ばかりの「国家戦略室」)

 民主党が政権に就いた平成21(2009)年9月18日、総理直属の機関として内閣官房に国家戦略担当大臣(国務大臣)が統括する「国家戦略室」が設置された。この国家戦略室は、その後、政府の政策決定過程における政治主導の方針を確立するために、「国家戦略局」に格上げされることになっていた。

 平成22(2010)年9月7日、我が国固有の領土である尖閣諸島の周辺で、中国漁船による警戒中の海上保安庁・巡視船に対する体当たり衝突事案が発生し、これに端を発する一連の事態が生起した。中国から仕掛けられた我が国の領海(領土)・主権に対する極めて意図的かつ野蛮な挑戦に対して、国民は、我が国政府による危機管理の成り行きを固唾を呑んで見守った。

 しかしながら、結果は、国益を大きく損ない、国民の失望と怒りを買って、「外交上の歴史的敗北」や「外交史に長く残る汚点」との批判を招いた。民主党政権は、政治主導を高々と掲げながら、国家戦略を持ち合わせておらず、戦略的な問題解決の準備ができていないと断言せざるを得ない惨状を露呈したのであった。

 政権交代とともに、国家戦略室を設置したものの、国家戦略がないのはなぜか――、この問いは多くの国民が発した素朴な疑問に違いない。そして、我が国の戦略性を高めるには一体どうしたらよいのか――、これもまた大きな課題として国民の意識を覚醒させたのではなかったろうか。

 では、当時の国家戦略室は、どのような任務を帯びていたのであろうか――。

  国家戦略室は、「税財政の骨格」を決め、「経済運営の基本方針」を立てることを主任務とし、その他、年金制度や社会保険・税に関わる番号制度に関する検討など内閣の重要政策に関する基本的な方針等の策定に取り組むこととされていた。

 先の自民党政権下では、内閣府に「経済財政諮問会議」が設置され、「骨太の方針」を定め、それに基づいて日本経済の進路と戦略(新中期方針)、日本21世紀ビジョン、グローバル戦略、経済成長戦略大綱などについて検討し、政策に反映された。また、「総合科学技術会議」では「知的財産戦略について」、またIT戦略本部ではe-Japan戦略が練られた。

 民主党政権下で新設された国家戦略室は、「戦略なき国家」と揶揄される我が国において、国家戦略を立て、戦略的政策決定と問題解決(戦略的アプローチ)の新しい仕組みを構築するのではないかとの期待を抱かせたのは間違いなかろう。しかしながら、その任務は前述のとおりであり、対外向けの組織の英語標記も National Policy Unit となっていた。

 つまり、国家戦略室は、主として経済財政政策を取り扱っていたに過ぎないのである。いかに我が国が「経済第一主義」を採っているからとはいえ(実は、経済以外に有効な対外手段を持ち合わせていないが)、これをもって国家戦略(National Strategy)であると内外に宣明するのはいささか憚られたのではないか。

 民主党政権の目玉として作られたこの機関は、実態において自民党政権下の経済財政諮問会議などと何ら変わらない、むしろそれ以下というのがその正体であり、真に国家戦略の強化を望む国民の期待は、大きく裏切られたと言えよう。

 なお、玄葉光一郎・国家戦略担当大臣は、平成21(2009)年10月19日、記者会見を行った。
 その中で、国家戦略室について、重要政策の企画立案や総合調整を行う機能に加え、内政・外交の幅広い分野で総理大臣に政策提言を行うシンクタンクの役割を担わせるなどの機能強化を図るため、国家戦略室を「局」に格上げするための関連法案を第176回臨時国会で成立させたい旨を表明した。

 政府のこの動きは、尖閣事案の教訓などを踏まえたものであったかは定かでないが、結局、不発に終わり、我が国の戦略強化の途は、再び閉ざされてしまった。

「戦略なき国家」日本にも戦略の芽生え(NSCとNSSの策定)
 第1次安倍晋三内閣で構想されていた国家安全保障会議(日本版NSC)は、第2次安倍内閣において実現の方向に向かっている。

 外交・安全保障政策の新たな司令塔となる国家安全保障会議を設置するための関連法案が平成25(2013)年10月25日、衆院本会議で審議入りした。政府・与党は、法案を早期に成立させ、NSCを年内に発足させることを目指している。

 同時に、政府は、10月21日、「安全保障と防衛力に関する懇談会」を開き、外交・安全保障政策の指針となる「国家安全保障戦略(NSS)」の概要をまとめた。

 「積極的平和主義」を柱とするこの国家安全保障戦略は、「防衛計画の大綱」の上位文書となるもので、年内にその最終案を作り、新たな防衛大綱と併せて閣議決定する運びとなっている。

 国家安全保障会議は、「我が国の安全保障に関する重要事項を審議する機関」であり、国家安全保障戦略もその重要審議事項に含まれる。

  経済戦略に類するものについては、自民党および民主党政権を通じて従来策定されてきたが、外交と防衛を一体化させた国家安全保障(国防)戦略が案出されるのは戦後初めてである。「戦略なき国家」日本でも、ようやく戦略が芽生えつつあるように感じられる。

「国家(基本)戦略」を確立し、体系的に戦略を整備せよ
 国家戦略(大戦略)とは、「中長期的な国際情勢・安全保障環境の中で、特に戦略対象国との闘争・競争などにおいて、すべての国力を総合発揮して国益の達成という目標に導く方策(measures/art)である」と定義されよう。

 この方策、すなわち戦略は、(1)目的性(合目的性)、(2)相対性、(3)総合一体性そして(4)中長期性(先見洞察性)を具備するものでなければならない。これらが、いわゆる戦略の基本的属性である。
 国家戦略の構築には、それに目的を付与する国益(ナショナルインタレスト)が明確でなければならず、国益は国家像(国柄)あるいは国家目標を基準として定まるものである。

 そして、国家戦略は国益の達成という目標に導く方策であり、国家戦略にはその遂行に影響を及ぼす中長期的な国際情勢・安全保障環境というフィールドの中で、我が国の国益達成を左右する相手、すなわち戦略対象国が存在する。その意味において、戦略は常に相対的である。

 また、国家戦略は、政治・外交戦略、経済戦略(資源戦略などを含む)、国家安全保障(国防)・軍事戦略、心理戦略、民間防衛戦略などから構成され、平時から、危機時そして有事を包含する体系的かつ総合的な概念である。

 同時に、戦略には、全体を俯瞰して問題の所在を探り当て、枝葉末節ではなく根幹となる解決策を案出し、組織横断の体制を敷いて総合一体的に推進する態勢が求められる。

 他方、戦略を構築し、実行・実現するに際して、その手段となるものが「国力(Nation's Power)」である。

 国力は、軍事力、経済力、外交力を基本要素とし、その国の政治的価値、文化や理念、あるいはその国のイニシアティブで創られた世界システム(例えば米国主導による国連やIMF=国際通貨基金の創設)などを含めた総合力として捉えられている。

 米国ハーバード大学のジョセフ・S・ナイ教授が提唱しているハードパワーとソフトパワーの区分によれば、軍事力と経済力が前者、外交力その他が後者に分類される。

 また、同教授は、著書『スマート・パワー』(日本経済新聞出版社、2011年)の中で、人口、国土、天然資源、経済力、軍事力、社会の安定などを力の資源(要素)と捉え、力の資源を生かして、自分(その国)が望む結果を得るという意味での力の実現には、しっかりと組み立てられた戦略と巧みな指導、すなわちスマートパワーが必要であると説いている。

 つまり、ハードパワーとソフトパワーなどから構成される国力をもって、国家目標の達成に向けて国益を増進するためには、「しっかりと組み立てられた戦略と巧みな指導」、言うなればスマートパワーとしての戦略構築及び運用・指導能力が不可欠ということになる。戦略は、決して「悪」ではなく、国益達成のためのスマートパワーなのである。


 上記を前提として、今後我が国が、その戦略能力を高め、さらなる発展と充実を図るためには、次の課題を解決することが求められよう。

  第1は、占領軍によって押しつけられた受け入れ難い現行憲法下の国家像を廃棄し、我が国本来の目指すべき国家像(国柄)を確立したうえで、国益を明確に定義すること。

 第2は、経済に偏重した歪な国力造成の方向を修正し、外交、経済、軍事などの面における「均衡のとれた国力」を整備増進すること。

 第3は、日米安保中心主義を改め、「自分の国は自分の力で守る」を基本とした自助自立の体制を確立すること。

 第4は、国家目標の達成を目指し、国益を明示してその追求のための基本的・総合的な指針や方策を示す「国家(基本)戦略」を策定するとともに、それを基に作られる外交戦略、経済戦略(資源戦略等を含む)、国家安全保障(国防)・軍事戦略、心理戦略、民間防衛戦略などその他の戦略を体系的に整備すること。

 安倍首相が、1番目に「国家安全保障戦略」の策定に着手したのは極めて適切であると評価されよう。

 なぜならば、国家あっての国民であり、国家の生存と安全が確保されてはじめてその繁栄ならびに国民の福祉と幸福を増進することができるからである。つまり、国家の存立を図ることが国家の基本的使命であり、最優先の課題であるからに他ならない。

 その意味で、安倍政権は、戦後体制の困難を克服しつつ、極めて大きな戦略的発展の第一歩を踏み出したと言えよう。

 しかし、前記課題の根源である憲法改正は、容易には進展せず、相当の年月を要するであろう。その中で、安倍首相の卓越したリーダーシップの下、ようやく我が国においても戦略が創出され、その運用・指導の下に国家運営がなされようとしている。

 この動きについては、全面的に支持・支援したい。そして、今後、我が国政府が、可能なところから積極的に課題の解決に取り組み、始まったばかりの戦略的アプローチを大きな体系として発展させ、戦略本来の目的である国益の増進と国家目標・国家像の追求のためのスマート・パワーとして定着させることを大いに期待したいものである。