もし、自分があの時代の青年だったら、、、
もし、自分の子供たちの世代で再び戦争がおこったら、、
そんなことを考えながら映画をみました。
我々には想像の世界ですが、
それをリアルに生き抜いた方々がまだ生きていらっしゃる。
しっかり話を聞いておかねばなりません。
特攻を美化するつもりはない。だが若いパイロットたちが日本を守りたい一心で戦ったことは語り継ぎたい…映画『永遠の0』の特攻パイロットは実在した(上)
2014.1.11 12:00
映画「永遠の0」のワンシーン。ゼロ戦が忠実に再現されている=(C)2013「永遠の0」製作委員会
「まるで本物の空中戦の最中にいるようでした」。発行部数300万部を超える百田尚樹さんのベストセラー小説を映画化した『永遠の0(ゼロ)』(山崎貴監督)が全国で封切られた。主人公のゼロ戦パイロット、宮部久蔵の壮絶な生き様を描く戦争ドラマ。冒頭の言葉は、元ゼロ戦操縦士、笠井智一さん(87)=兵庫県伊丹市在住=の映画を見た感想だ。さらに笠井さんはこう証言した。「宮部のような伝説のパイロットは確かにいた…」と。
■圧巻の操縦シーン
《宮部久蔵(岡田准一)は高い操縦技術を持ち、歴戦のパイロットたちからも一目置かれる存在だった。一方で、あまりにも「生きて帰ること」に執着していたため、臆病者だというレッテルを貼られていた…》
「小説を読んだ当初、私は宮部のようなゼロ戦パイロットはいないと思っていました。当時のゼロ戦パイロットは生死と隣り合わせの状況で、皆、いつも死を覚悟していましたから。でも、小説を読み終えて考えが変わりました。なぜ宮部は生還することにこだわったのか。それは、日本を守るため、自分が生き残って戦い続けるためだったからです」
第二次大戦中、グアムやサイパンなど南洋を転戦、特攻隊の掩護を何度も務め、生死をくぐり抜けてきた笠井さんの言葉は重い。
笠井さんは映画での空中戦のCG映像のリアルさに加え、操縦場面の描き方にも感心していた。
過去の航空映画について笠井さんは「パイロットが前方だけを見て操縦している場面が多かったが、これは間違いです」と指摘。「実際は前方3割、7割は斜め後方を見ながら操縦します。敵機をいち早く発見するためです」と説明する。『永遠の0』で宮部を演じる岡田さんはこの笠井さんのアドバイスを忠実に守り、操縦シーンでは絶えず周囲に視線を向けながら操縦桿を操っている。
■マフラーはおしゃれのためではない
また、パイロットの装備についても、「忠実に再現されていましたね」と笠井さんは評価する。
岡田さんたちゼロ戦パイロットを演じた俳優は、首に絹の白いマフラーを巻いている。「“これはおしゃれのためですか”と聞く人もいますが違います」と笠井さんは苦笑しながら否定した。
「飛行中にエンジンや風防が被弾すれば、顔に油や炎がふりかかってくる。絹のマフラーを巻き付けておくことで、これを防ぐのです。絹は燃え難いから、やけどを防ぎ、首や顔を守ってくれる。装備にはちゃんとした理由があるんです。若い頃、パイロットのマフラー姿が格好良い、と女性たちから言われましたが、おしゃれのためではないのです」と笠井さんは説明する。
■ゼロ戦乗りが「逃げる」などあり得ない
では、宮部のようなゼロ戦パイロットを笠井さんは、どう見たのか。
「ゼロ戦乗りが空中戦の最中に敵機から逃げるなんてありえない。小説を読んでこうも思いましたが、思い返すと、私も、ゼロ戦の馬力をはるかに上回る米戦闘機グラマンヘルキャット6機に囲まれたとき、体勢を立て直すために、戦闘空域から離脱し、山陰に避難したことがあります。あれは逃げたことになるのかなと…。でも、もしあのまま戦っていいたら無駄死にしていましたね。宮部は決して恐くて逃げていたわけではないのです」
小説『永遠の0』の冒頭の特攻シーンは緊迫感に満ち、息をのむ。
《1機のゼロ戦が、レーダーをかいくぐって敵艦に近づくため、海面すれすれの超低空で飛び、接近後、艦砲射撃をかわすため、一気に対空砲の死角となる艦橋の真上に急上昇。そして敵艦上空で再び反転、急降下する…》
南洋上で笠井さんはゼロ戦に搭乗、特攻機の掩護につき、米艦隊に近づいていた。米軍機との空中戦が始まり、一機のゼロ戦が米軍攻撃機に体当たりしていった。さらに被弾したもう一機のゼロ戦が、海上へ浮上してきた敵潜水艦目がけて急降下していく…。「どちらも見事な特攻でした。そのときは悲しいとは考えなかった。次は俺が行くぞ」と笠井さんは決心したという。
■確かに「宮部」を見た!
そして、笠井さんは信じられない光景を目撃する。敵艦に近づき特攻寸前だった一機のゼロ戦が、突然、大きく反転、そのまま上空へと軌道を変えた。笠井さんは、「何だ、あの飛び方は?」と驚いた瞬間。そのゼロ戦は上空で再び反転、敵艦目がけて急降下したのだ。
基地に戻った笠井さんに、ともに生還した部隊長が興奮しながら、こう語ったという。
「笠井、あのゼロ戦を見たか。一度、特攻したかに見えた状況から、機体を反転させて、再度突入した。あんな操縦ができる強い精神力と技量を持ったパイロットはそうはいないぞ」と。
笠井さんは決して特攻を美化していない。
「戦争で若者が死ぬのは悲しいことです。二度と戦争を起こしてはなりません。ただ、あの時代、若いパイロットたちは皆、日本を、日本人を守りたいという一心だけで命懸けで戦っていたのです。その思いだけは語り伝えたいのです」
被弾、僚機は真横に来てパイロットは手を振り別れの合図の後、炎を上げて墜落していった…映画『永遠の0』の特攻パイロットは実在した(下)
2014.1.13 12:00
映画「永遠の0」のワンシーン。空戦の迫力は圧巻だ=(C)2013「永遠の0」製作委員会
昭和12年、霞ヶ浦海軍航空隊に配属。飛行練習生時代の城武夫さん=城さん提供
全国ロードショー公開中の映画『永遠の0(ゼロ)』(山崎貴監督)では、主人公のゼロ戦パイロット、宮部久蔵(岡田准一さん)の人生とともに、第二次世界大戦の戦史の忠実に沿いながら物語は綴られていく。
■搭乗員にも極秘裏に進められた日米開戦
昭和16年12月8日未明、
日本は米国に宣戦布告。米ハワイ・オアフ島の真珠湾の米海軍基地に先制攻撃を仕掛ける…。
映画ではこの真珠湾攻撃の場面がCGなどを駆使し、臨場感あふれる迫力あるシーンとして描かれる。岡田さん演じる宮部久蔵は空母「赤城」に乗って参戦。奇襲に成功し、歓喜の声をあげる搭乗員たちを前に、常に冷静な宮部が「日本海軍にも被害が出ている。圧倒的な勝利とは言えない」と分析する場面は印象的だ。
現在94歳の城武夫さん=香川県在住=は、97式艦上攻撃機の元搭乗員。空母「飛龍」に乗って真珠湾攻撃に参加した一人だ。
昭和16年8月、極秘裏に鹿児島に召集された城さんたち搭乗員は日々、厳しい魚雷の攻撃訓練を続けていた。海面スレスレの超低空から魚雷を投下する訓練だった。「なぜこんな低空から魚雷攻撃をするのか? 理由は知らされなかったが、大変重要な作戦が行われるのだと感じました」
11月に入り、北海道・択捉島単冠(ヒトカップ)湾へ移動。「そこには空母が集結しており、いよいよ開戦か」と城さんは思った。そしてハワイへの出航直前、搭乗員が集められた。「日米の和平交渉が成立すれば攻撃は中止、決裂すれば作戦を敢行する、と告げられました」
■死を覚悟した真珠湾攻撃
12月7日、日米交渉は決裂。「明日、攻撃する」と告げられ、上官から「遺書を書き、髪の毛と爪を残しておくように。戦死したら家族の元へ届けてやる」と言われた城さんは「私には妻も子供もなく心残りはないので、遺書は必要ありません」と答えたという。
8日未明、城さんは97式艦上攻撃機に乗り、第一次攻撃隊として飛龍から飛び立った。オアフ島へ向かう洋上で見た日の出に、「こんな美しい太陽を見るのは初めてだと思いました。もう生きて帰れないかもしれないという極限の状況で感傷的になっていたのですかね」と城さんは苦笑した。
真珠湾に着いた城さんの攻撃機は米戦艦ウエストバージニアを目標に近づいていった。低空で接近し慎重に魚雷を投下。戦艦に一直線で向かう魚雷の跡を目で追う城さん。魚雷は船腹に命中し、爆発した。「これまでの苦しかった訓練の成果が実った瞬間でした」
空母に帰還した搭乗員を艦長が出迎え、褒めてくれたが、城さんは「まだ湾内には軍事施設が残ったままだ。もう1回出撃できる」と準備していたという。だが、第二次攻撃隊が帰還後、第三次攻撃は行われなかった。
「歴史にもし…」は許されないが、城さんが「もう1回行ける」と確信した第三次攻撃が行われていたら、その後の戦史の流れは変わっていたかもしれないといわれている。
宮部が「手放しでは喜べない…」と語った理由もここにある。
■友との死別
翌17年、城さんはインド洋に転戦。3人乗りの97式艦上攻撃機に搭乗、セイロン島の英軍基地攻撃を終え、帰還しようとしたとき、英国の戦闘機ホーカーハリケーンが追ってきた。護衛の戦闘機はすでに地上攻撃に向かった後で、無防備になった城さんたちの乗る機体は敵機の激しい銃撃にさらされ被弾した。「後部席にいた同郷の稲毛君が腹部を撃たれ、私も風防の破片で右目を負傷、そっと触ると無くなっていました…」
同じく燃料タンクに被弾、火に包まれながら飛んでいる僚機が割れた風防越しに見えた。
「僚機は我々の機体の真横へ近づいてきました。そして搭乗員がこちらへ手を振り、最期の別れの合図の後、炎を吹きあげて墜落していったのです。涙がこみあげてきました」
城さんも「燃料タンクに火が付いたら終わりだ」と思った。「ここで私は23歳で死んでしまうのだと覚悟した。が、機体は燃えず、空母が見えてきたんです。そして何とか海面に不時着しました」
城さんは機体が沈む前に負傷した同僚を助けだそうとした。「稲毛君は『もうだめです。置いていって下さい』と言ったが、2人で抱え出し、沈む機体から離れ、海面に浮いていたところ駆逐艦に救助されました」
駆逐艦の道場の畳の上で3人で並んでしばらく眠った。「目を覚まし、隣を見ると、稲毛君はすでに息をしていませんでした」
■そのうち皆行く、私たちも…
亡くなった稲毛さんは平井城一・元香川県知事の旧制高松中学時代の同級生だった。稲毛さんの死を伝える城さんに、平井知事は「彼は僕よりも優秀な学生でした。惜しい人を亡くしました…」と語り、絶句したという。
右目を失明した城さんは帰国後、飛行教官に就いた。教え子の中には、人気ドラマ「水戸黄門」で光圀役を演じた名優、西村晃氏らがいた。
「早く特攻に出して下さい」という教え子たちを城さんはこうなだめたという。「そのうちみんな行くのだから。私たちも行く。だから慌てるな」と。そして終戦を迎えた。
わずか70数年前。日本の未来を信じ、命懸けで戦った彼らの礎のもとに今の日本の平和は築かれている。宮部のようなパイロットたちは確かに実在したのだ。『永遠の0』は決して架空の物語ではない。城さんや笠井さんたちの証言から、そう確信させられる。
iPhoneからの投稿
もし、自分の子供たちの世代で再び戦争がおこったら、、
そんなことを考えながら映画をみました。
我々には想像の世界ですが、
それをリアルに生き抜いた方々がまだ生きていらっしゃる。
しっかり話を聞いておかねばなりません。
特攻を美化するつもりはない。だが若いパイロットたちが日本を守りたい一心で戦ったことは語り継ぎたい…映画『永遠の0』の特攻パイロットは実在した(上)
2014.1.11 12:00
映画「永遠の0」のワンシーン。ゼロ戦が忠実に再現されている=(C)2013「永遠の0」製作委員会
「まるで本物の空中戦の最中にいるようでした」。発行部数300万部を超える百田尚樹さんのベストセラー小説を映画化した『永遠の0(ゼロ)』(山崎貴監督)が全国で封切られた。主人公のゼロ戦パイロット、宮部久蔵の壮絶な生き様を描く戦争ドラマ。冒頭の言葉は、元ゼロ戦操縦士、笠井智一さん(87)=兵庫県伊丹市在住=の映画を見た感想だ。さらに笠井さんはこう証言した。「宮部のような伝説のパイロットは確かにいた…」と。
■圧巻の操縦シーン
《宮部久蔵(岡田准一)は高い操縦技術を持ち、歴戦のパイロットたちからも一目置かれる存在だった。一方で、あまりにも「生きて帰ること」に執着していたため、臆病者だというレッテルを貼られていた…》
「小説を読んだ当初、私は宮部のようなゼロ戦パイロットはいないと思っていました。当時のゼロ戦パイロットは生死と隣り合わせの状況で、皆、いつも死を覚悟していましたから。でも、小説を読み終えて考えが変わりました。なぜ宮部は生還することにこだわったのか。それは、日本を守るため、自分が生き残って戦い続けるためだったからです」
第二次大戦中、グアムやサイパンなど南洋を転戦、特攻隊の掩護を何度も務め、生死をくぐり抜けてきた笠井さんの言葉は重い。
笠井さんは映画での空中戦のCG映像のリアルさに加え、操縦場面の描き方にも感心していた。
過去の航空映画について笠井さんは「パイロットが前方だけを見て操縦している場面が多かったが、これは間違いです」と指摘。「実際は前方3割、7割は斜め後方を見ながら操縦します。敵機をいち早く発見するためです」と説明する。『永遠の0』で宮部を演じる岡田さんはこの笠井さんのアドバイスを忠実に守り、操縦シーンでは絶えず周囲に視線を向けながら操縦桿を操っている。
■マフラーはおしゃれのためではない
また、パイロットの装備についても、「忠実に再現されていましたね」と笠井さんは評価する。
岡田さんたちゼロ戦パイロットを演じた俳優は、首に絹の白いマフラーを巻いている。「“これはおしゃれのためですか”と聞く人もいますが違います」と笠井さんは苦笑しながら否定した。
「飛行中にエンジンや風防が被弾すれば、顔に油や炎がふりかかってくる。絹のマフラーを巻き付けておくことで、これを防ぐのです。絹は燃え難いから、やけどを防ぎ、首や顔を守ってくれる。装備にはちゃんとした理由があるんです。若い頃、パイロットのマフラー姿が格好良い、と女性たちから言われましたが、おしゃれのためではないのです」と笠井さんは説明する。
■ゼロ戦乗りが「逃げる」などあり得ない
では、宮部のようなゼロ戦パイロットを笠井さんは、どう見たのか。
「ゼロ戦乗りが空中戦の最中に敵機から逃げるなんてありえない。小説を読んでこうも思いましたが、思い返すと、私も、ゼロ戦の馬力をはるかに上回る米戦闘機グラマンヘルキャット6機に囲まれたとき、体勢を立て直すために、戦闘空域から離脱し、山陰に避難したことがあります。あれは逃げたことになるのかなと…。でも、もしあのまま戦っていいたら無駄死にしていましたね。宮部は決して恐くて逃げていたわけではないのです」
小説『永遠の0』の冒頭の特攻シーンは緊迫感に満ち、息をのむ。
《1機のゼロ戦が、レーダーをかいくぐって敵艦に近づくため、海面すれすれの超低空で飛び、接近後、艦砲射撃をかわすため、一気に対空砲の死角となる艦橋の真上に急上昇。そして敵艦上空で再び反転、急降下する…》
南洋上で笠井さんはゼロ戦に搭乗、特攻機の掩護につき、米艦隊に近づいていた。米軍機との空中戦が始まり、一機のゼロ戦が米軍攻撃機に体当たりしていった。さらに被弾したもう一機のゼロ戦が、海上へ浮上してきた敵潜水艦目がけて急降下していく…。「どちらも見事な特攻でした。そのときは悲しいとは考えなかった。次は俺が行くぞ」と笠井さんは決心したという。
■確かに「宮部」を見た!
そして、笠井さんは信じられない光景を目撃する。敵艦に近づき特攻寸前だった一機のゼロ戦が、突然、大きく反転、そのまま上空へと軌道を変えた。笠井さんは、「何だ、あの飛び方は?」と驚いた瞬間。そのゼロ戦は上空で再び反転、敵艦目がけて急降下したのだ。
基地に戻った笠井さんに、ともに生還した部隊長が興奮しながら、こう語ったという。
「笠井、あのゼロ戦を見たか。一度、特攻したかに見えた状況から、機体を反転させて、再度突入した。あんな操縦ができる強い精神力と技量を持ったパイロットはそうはいないぞ」と。
笠井さんは決して特攻を美化していない。
「戦争で若者が死ぬのは悲しいことです。二度と戦争を起こしてはなりません。ただ、あの時代、若いパイロットたちは皆、日本を、日本人を守りたいという一心だけで命懸けで戦っていたのです。その思いだけは語り伝えたいのです」
被弾、僚機は真横に来てパイロットは手を振り別れの合図の後、炎を上げて墜落していった…映画『永遠の0』の特攻パイロットは実在した(下)
2014.1.13 12:00
映画「永遠の0」のワンシーン。空戦の迫力は圧巻だ=(C)2013「永遠の0」製作委員会
昭和12年、霞ヶ浦海軍航空隊に配属。飛行練習生時代の城武夫さん=城さん提供
全国ロードショー公開中の映画『永遠の0(ゼロ)』(山崎貴監督)では、主人公のゼロ戦パイロット、宮部久蔵(岡田准一さん)の人生とともに、第二次世界大戦の戦史の忠実に沿いながら物語は綴られていく。
■搭乗員にも極秘裏に進められた日米開戦
昭和16年12月8日未明、
日本は米国に宣戦布告。米ハワイ・オアフ島の真珠湾の米海軍基地に先制攻撃を仕掛ける…。
映画ではこの真珠湾攻撃の場面がCGなどを駆使し、臨場感あふれる迫力あるシーンとして描かれる。岡田さん演じる宮部久蔵は空母「赤城」に乗って参戦。奇襲に成功し、歓喜の声をあげる搭乗員たちを前に、常に冷静な宮部が「日本海軍にも被害が出ている。圧倒的な勝利とは言えない」と分析する場面は印象的だ。
現在94歳の城武夫さん=香川県在住=は、97式艦上攻撃機の元搭乗員。空母「飛龍」に乗って真珠湾攻撃に参加した一人だ。
昭和16年8月、極秘裏に鹿児島に召集された城さんたち搭乗員は日々、厳しい魚雷の攻撃訓練を続けていた。海面スレスレの超低空から魚雷を投下する訓練だった。「なぜこんな低空から魚雷攻撃をするのか? 理由は知らされなかったが、大変重要な作戦が行われるのだと感じました」
11月に入り、北海道・択捉島単冠(ヒトカップ)湾へ移動。「そこには空母が集結しており、いよいよ開戦か」と城さんは思った。そしてハワイへの出航直前、搭乗員が集められた。「日米の和平交渉が成立すれば攻撃は中止、決裂すれば作戦を敢行する、と告げられました」
■死を覚悟した真珠湾攻撃
12月7日、日米交渉は決裂。「明日、攻撃する」と告げられ、上官から「遺書を書き、髪の毛と爪を残しておくように。戦死したら家族の元へ届けてやる」と言われた城さんは「私には妻も子供もなく心残りはないので、遺書は必要ありません」と答えたという。
8日未明、城さんは97式艦上攻撃機に乗り、第一次攻撃隊として飛龍から飛び立った。オアフ島へ向かう洋上で見た日の出に、「こんな美しい太陽を見るのは初めてだと思いました。もう生きて帰れないかもしれないという極限の状況で感傷的になっていたのですかね」と城さんは苦笑した。
真珠湾に着いた城さんの攻撃機は米戦艦ウエストバージニアを目標に近づいていった。低空で接近し慎重に魚雷を投下。戦艦に一直線で向かう魚雷の跡を目で追う城さん。魚雷は船腹に命中し、爆発した。「これまでの苦しかった訓練の成果が実った瞬間でした」
空母に帰還した搭乗員を艦長が出迎え、褒めてくれたが、城さんは「まだ湾内には軍事施設が残ったままだ。もう1回出撃できる」と準備していたという。だが、第二次攻撃隊が帰還後、第三次攻撃は行われなかった。
「歴史にもし…」は許されないが、城さんが「もう1回行ける」と確信した第三次攻撃が行われていたら、その後の戦史の流れは変わっていたかもしれないといわれている。
宮部が「手放しでは喜べない…」と語った理由もここにある。
■友との死別
翌17年、城さんはインド洋に転戦。3人乗りの97式艦上攻撃機に搭乗、セイロン島の英軍基地攻撃を終え、帰還しようとしたとき、英国の戦闘機ホーカーハリケーンが追ってきた。護衛の戦闘機はすでに地上攻撃に向かった後で、無防備になった城さんたちの乗る機体は敵機の激しい銃撃にさらされ被弾した。「後部席にいた同郷の稲毛君が腹部を撃たれ、私も風防の破片で右目を負傷、そっと触ると無くなっていました…」
同じく燃料タンクに被弾、火に包まれながら飛んでいる僚機が割れた風防越しに見えた。
「僚機は我々の機体の真横へ近づいてきました。そして搭乗員がこちらへ手を振り、最期の別れの合図の後、炎を吹きあげて墜落していったのです。涙がこみあげてきました」
城さんも「燃料タンクに火が付いたら終わりだ」と思った。「ここで私は23歳で死んでしまうのだと覚悟した。が、機体は燃えず、空母が見えてきたんです。そして何とか海面に不時着しました」
城さんは機体が沈む前に負傷した同僚を助けだそうとした。「稲毛君は『もうだめです。置いていって下さい』と言ったが、2人で抱え出し、沈む機体から離れ、海面に浮いていたところ駆逐艦に救助されました」
駆逐艦の道場の畳の上で3人で並んでしばらく眠った。「目を覚まし、隣を見ると、稲毛君はすでに息をしていませんでした」
■そのうち皆行く、私たちも…
亡くなった稲毛さんは平井城一・元香川県知事の旧制高松中学時代の同級生だった。稲毛さんの死を伝える城さんに、平井知事は「彼は僕よりも優秀な学生でした。惜しい人を亡くしました…」と語り、絶句したという。
右目を失明した城さんは帰国後、飛行教官に就いた。教え子の中には、人気ドラマ「水戸黄門」で光圀役を演じた名優、西村晃氏らがいた。
「早く特攻に出して下さい」という教え子たちを城さんはこうなだめたという。「そのうちみんな行くのだから。私たちも行く。だから慌てるな」と。そして終戦を迎えた。
わずか70数年前。日本の未来を信じ、命懸けで戦った彼らの礎のもとに今の日本の平和は築かれている。宮部のようなパイロットたちは確かに実在したのだ。『永遠の0』は決して架空の物語ではない。城さんや笠井さんたちの証言から、そう確信させられる。
iPhoneからの投稿