日本の政府関係者にも李登輝氏くらいの発言を求めたい。

李登輝氏は、主義主張が一貫していて気持ちがいい。

一昨年お会いした際にも、非常に日本のことを心配してくださっていた。

今回の発言も日本の応援になる。

中国にもそうだが、台湾政府や台湾の漁業関係者に聞いて欲しい。



李登輝元総統、中国の学生に「尖閣は日本領」 台湾の講演で
2012.6.6 18:54 産経ニュース

 【台北=吉村剛史】台湾の李登輝元総統(89)が5日夜、台湾北部桃園県の中央大学で講演し、中国の学生の質問に対し、尖閣諸島を「日本領」と主張した。また「台湾は中国のものではない」などと発言し、一時会場は騒然としたという。

 李氏の事務所や地元紙などによると、李氏は自らが推進した台湾の民主化の歩みについて約1時間半にわたって講演。質疑応答で、台湾に来て半年という中国の学生が、尖閣諸島の帰属に関して質問した。

 李氏は「領有権は日本にある。中国固有の領土というなら、裏付けとなる証拠の提出が必要」と返した。

 会場からは拍手も起き、「それは個人の見解か」と気色ばむ学生に、李氏の秘書が「見解ではなく歴史」と補足した。

 両岸の未来も問う学生に、李氏は「台湾は中国の物ではなく、未来の民主化のモデル」として、この学生に「民主化と自由を学んでほしい」と、台湾の歴史に関する自らの著書を贈った。この学生とのやりとりは約20分間続いたという。





沖縄タイムズ
<2002年9月24日> 朝刊 1版 総合6面(火曜日)

李登輝前台湾総統 「尖閣諸島は日本領土」

http://senkakujapan.nobody.jp/page045.html

 本企画は「アジアからの視点」を求めて、十六日に台湾前総統の李登輝へインタビューを試みた。前総統の沖縄に対する関心は予想していたより強く、総統を退いた今も経済協力への意欲を示していた。また、尖閣諸島の領土問題にも言及。初めて「沖縄・日本の領土」と明言した。以下は、インタビューの主な内容である。

よかった「日本帰属」

 琉球の帰属問題について、私の考えは非常にたん白である。結論は「日本に帰属してよかった」と思う。小学生のときに学んだ記憶だと、たしか琉球処分は一八七二(明治五)年から始まる。歴史的に複雑な経緯はあるが、現実的な側面から見ると、中国文化の多少の影響はあったとしても、やはり、沖縄独特の地方的色彩が残っているように感じる。

 沖縄の人々のオリジナリティーを考えた場合、「招け」(受け入れること)にある。中国の冊封支配とも関係しているように思う。また、本土復帰後の沖縄について言えば、沖縄の人々が「琉球民族」を主張しても、少しもおかしくない。一つの国が、単一民族から構成されるということは大変難しい。一国家が、単一民族である理由は何一つない。異なったオリジナリティーで、異なったことを実行することが、また国を豊かにする。

 台湾でも「台湾人意識」が、日増しに目立ってきている。これも構わない。重要なことは、沖縄の帰属・復帰した日本が「民主主義の国」であることにつきる。普遍的な意味を問えば、共産主義には「人民の考え」がない。自由・民主主義と共産主義を区別して考えなければならない。

根拠欠く中国の主張

 尖閣諸島の領土は、沖縄に所属しており、結局日本の領土である。中国が、いくら領土権を主張しても証拠がない。国際法的にみて、何に依拠するのかが明確でない。国際法的な根拠「中国の領土権」があって、第二に「兵隊が駐屯した事実」がないと、領土権をうんぬんする資格はない。

 過去の、いわゆる「国共合作」の事実も知っている。香港の工作員が蘇澳(スオウ)の漁民を扇動していた。漁民が騒ぎ立てたとき、私は軍艦を出動させ阻止した。

 それよりも、台湾の漁民にとって、もっと重要な問題に漁業権がある。戦前の日本の国会は、尖閣諸島と与那国、基隆(キールン)の漁業権を台湾に譲っている。戦後になって、日本政府は何も言ってこない。真剣に考えてほしい。

台湾を大切にしたい

 台湾の歴史は、中国との関係をどのぐらい持っているかと言えば、案外と短い。国民党政府が、さかんに中国との歴史の共通性を強調してきたが、私からみれば、そんなに長くない。台湾は「主のいない国」であった。沖縄もそうではなかったのかな(?)。明朝時代(康熙帝)は「禁海政策」をとっていたから、大陸から渡ってきた人は男ばかりだった。

 その当時、先住民が十族いた。タイアル、アミ、カクラン、平埔(ヘイホ)などである。その前はもっと多く、詳しく記憶していないが、二十族近くいたのではないかと思う。最も多かったのは平埔族だった。いまはすべて姿を消している。結局、混血化してしまった。だが、先住民族の文化は残されており、その文化はウソをつかない。

 私の先祖は福建省永定県の客家出身だが、出自についてはあまり興味を持っていない。いま住んでいる、この台湾を大切にしている。中華思想や中国文化に対して、私は批判的である。それは「反省しない文化」であるからだ。司馬遷は『史記』を記しているが、「皇帝の歴史」を編さんしたにすぎない。

 孫文の「三民主義」の理念は評価しているが、実践がなかった。共産主義になっても「人民の歴史」になっていない。台湾に国民党がやってきたとき、大陸同様に選挙は行われなかった。
蒋経国の亡き後、総統に就任した。最終的に「動員戡乱時期臨時条款」(戒厳令)を捨て、「中国は中国」「台湾は台湾」を宣言した。

=敬称略=(多和田真助 編集委員)

李登輝
 台湾総合研究所名誉会長。1923(大正12)年1月15日台北県生まれ。43年京都帝国大学農業経済学科入学。46年帰台、台湾大学に編入学。49年同大学卒業。53年米アイオワ州立大学・大学院修士課程修了。65年米コーネル大学・大学院博士課程入学。68年同大学・博士号取得。翌年帰台、台湾大学助教授兼農復会顧問。78年台北市長。88年蒋経国総統死去により総統昇任。90年第8期総統。96年第9期総統(初代民選)。2000年総統退任。
主著『李登輝 台湾の主張』。ほか論文多数。

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