このニュースを教えて下さったのは、元自衛官の吹田市民の方です。

子供が小学生の時こんなことがあったそうです。

以下引用

*******

ある時、その次男が泣いて帰宅した。事情を聞くと、担任の女教師から、クラス全員の前で、”人殺しの自衛官の子供”と罵倒されたという。以来、日教組に、人権問題に振り回される吹田市に居を構えたことに悩む毎日でした。

*******

同じような話を他の元自衛官の方からも聞いたことがあります。


どこかの政治家も、自衛隊を「暴力装置」とか言っていましたね。

この歪んだ感覚を何とかしなければ、、、。


私も予備自衛官ですが、

戦争なんて起こってもらっては困るのです。自衛隊の方もみんなそうおっしゃいます。

戦わないために、訓練し、抑止力となっているのです。

しかし、震災等があれば、真っ先にいく。

そんな気概をもってやっておられるのです。

そういう教育を受けています。



そんなことも分からない人が、先生になって、

子供のこころを踏みにじりながら、「人権教育」などと言っていたのかと思うと心が痛みます。


最近は、こんな話は聞きませんが、もし吹田でこんなことがあったら私に教えて下さい。



夢見る自衛官の子供たち、「将来は自衛隊!」
隊員の家族サポート制度、設備のさらなる充実を


JB PRESS 2012.05.17(木) 桜林 美佐

 今年、海上自衛隊の高官が長崎県の佐世保を訪れた際、たまたま薬局に立ち寄ったところ、「こころの栄養剤」と書かれた紙が置かれていることに気が付いた。

 ドラッグストアなどでは、レジの横に「ご自由にどうぞ」というフリーペーパーがあることは珍しくない。

 会計している間、なんとなく目を落とすと、「自衛隊」という言葉が目に入る。「なんだろう?」と思い手に取ると「子供たちの夢」と題され、次のような短い文章が綴られていた。

 「ある方が、ボランティアで福島県の被災地に行った時のお話です。

 それはクリスマス。子供たちにたくさんのクリスマスプレゼントを用意してその地を訪れました。

 そして、プレゼントをあげる代わりに『みんなの夢を教えてください』。

 子供たちは目を輝かせて教えてくれました。

 その夢に、ボランティアスタッフ全員が驚いたのです。ほとんどの男の子たちの将来の夢は、みんな一緒だったんです。

 それは、『自衛隊』

 子供たちは目の前で大活躍してくれる自衛隊の人たちに憧れているんです。

 子供ってやっぱり、大人たちの姿をちゃんと見てるんですね」

 このペーパーには「No.98」と記されているので、こうして見つけられたのは全くの偶然・めぐり合わせと言うほかない。震災後も絶え間ない防衛・安全保障をめぐる問題の数々に対処してきた自衛隊トップにとっても、この出来事は文字通り「こころの栄養剤」になったに違いない。

自衛隊の敷地内にある託児所
 こんなエピソードを聞きホッと心を和ませた数日後、私は横須賀の田浦にある海自の第二術科学校を訪れた。

 海自の前身である海上警備隊が創設された地であるここでは、現在、機関術科、情報、技術、外国語などの専門教育が行われている。

 その一角に自衛隊の敷地内に似つかわしくない、子供たちの声が絶えない場所がある。そこは「田浦このはな保育園」という託児所。現在40人の子供が通い、24時間の受け入れ態勢となっている。

 横須賀地方隊だけでも450人ほどの女性自衛官がいて、そのうち80人が6歳未満の子供を持つということで、なくてはならない施設だ。

 2010年に、防衛省としては東京の三宿、そして熊本の健軍に続き3番目に開設した施設で、当直や緊急出港などで急に家を空ける場合も少なくない自衛官を支えている。

被災地での支援活動中も「家族が気がかり」
 東日本大震災でも、夫婦ともに自衛官というケースでは、とりわけこうした施設が頼りになった。

 父親が艦艇に勤務し、数カ月も家を空けるのが常で、母親も月に数回の当直があるといった夫婦などは、託児所がなければ女性の離職もやむを得ない。

 ただ、託児施設はどこにでもあるわけではない。それゆえ、結婚や出産を機に自衛隊を辞めざるを得ないケースもまだ多いようだ。
 「優秀な女性自衛官は多い」という話を聞くことも多くなった昨今、貴重な人的財産を家の中に閉じ込めるのはもったいない。それに、国によって育成された人材なのだから、むしろ大いに実力を発揮してもらうべきだろう。そのためのサポート体制の充実は喫緊の課題だ。

 東日本大震災においても家族支援の問題は浮き彫りになった。

 「家族のことが気がかりで仕方がありませんでした」

 東北で勤務していた自衛隊関係者は振り返る。自衛隊は我慢をしなくてはならないという意識が隊員の家族にも根付いているようだが、そのような心配が常に頭から離れなければ任務にも影響するだろう。

 言うまでもないことだが、子供を預かるという行為はにわか仕立てではできない。様々なルールに則って設備する必要があり、何か起きた時に、急遽、その時だけ託児所を開きますというわけにはいかないのだ。いざという時のために、平時から整備しておく必要は大きい。

 自衛隊のこうした隊員支援のための施設整備が求められるのは、国が養成した優秀な人材の離職を減らすためであり、子供を持つ自衛官に安心して活動してもらうことは国民にとっても欠かせないことだと言えるだろう。

自衛官を夢見る子供を増やすために

 「お父さんみたいに人を助ける自衛隊になりたい!」

 先日、「田浦このはな保育園」がフジテレビのニュース番組で特集され、インタビューされた男の子が元気いっぱいに答えていた。

 他の子供たちも皆、将来の夢は「自衛隊!」と口々に言い、「お父さん、お母さん頑張ってー!」と小さな体で激励していた。自衛官の両親にとってこんなに大きな励ましはないだろう。

 災害派遣を通じて、被災地の子供たちが「将来は自衛官に」と夢を描くようになった。一方で、多くの隊員が自身の子供とは離ればなれで活動し、電気の来ない部屋でロウソクに火を灯しながら、ひたすら両親からのメールを待っていた自衛官の子供たちがいた。

 自衛官を夢見る子供を増やすためにも、自衛官自身の子供たちのための制度、設備のさらなる充実が望まれる。