視察でお邪魔して以来、いつも通信を頂く、

福岡教育連盟の先生の書かれるものにはいつも共感します。


皆さんにも読んで頂きたいので、
許可を頂き、転載します。



道徳教育社会の実現 ~家庭、学校、地域が育む真の生涯学習社会~
2011/11/16 水 10:54

□人格、徳の向上を図る真の生涯学習社会の実現

現在、世界的な環境問題、食糧問題やエネルギー問題が議論される中、物質的な豊かさのみを求める物質至上主義からの転換を図ることが大いに期待されている。特に、三月十一日に発生した東北大震災以降は、被災された方を含め、日本人の多くが価値観の転換の必要性を深く意識したに違いない。例えば、日本人独自の和の精神や共生的な自然観を見直し、人の知恵、歴史、伝統などの豊かな精神文化を重視した価値観への転換である。今後、日本が誇る先端技術と同様、世界平和に資するこれらの価値観を海外に発信・共有する必要があろう。一方で、今日、戦後教育の負の遺産に起因する様々な奇異な現象が報告されている。特に、我が命の分身である実の子を虐待、時には死に至らせること、また逆に恩を忘れて子が親を殺害するなどの事象は、祖国の誇りある歴史に唾棄し、「思想の強制」としてまともな道徳教育も実践してこなかった我が国の戦後教育の歴史を物語るかのようだ。転換を図るためには、国民全体の人間力向上を生涯にわたって図っていく道徳教育を核とした真の生涯学習社会の実現を目指すことが肝要である。

□道徳教育とは何か

さて、私たちが取り組むべき道徳、道徳教育とは何であろうか。本年度の福岡教育連盟の創志塾教育セミナーで講師を務められた長谷川三千子先生は、ご講演の中で、「道徳と言う時には、『正しいことをするということ』、これが実はとても大事なことだと思うのです。正しいことというのは、時によると、人が望まないことがあるのです。『泣いて馬謖を斬る』という譬えがありますが、自分も嫌だし、相手も嫌だ、しかし、道徳的に振舞う為には、『お前な、やはりそれは違反だよ。だから警察に届けないわけにはいけないんだよ』と言って、届けなければいけないこともある。道徳と言う場合には、そこにもう一つ、正しいことは嫌でもしなければいけないというところがあると思います。これも非常に大事なところではないかと思います。」と述べられた。道徳とは、人としての正しい道である。世の中には、法的に罰せられるルールもあるが、罰せられないマナー、モラル等の単なる規範意識でもなく、「人に迷惑をかけていないからいいじゃないか」という答えでは到底説明のつかない深い人の道というものを子供たちの中に育てる道徳教育こそが大事といえる。

□道徳教育の主体とは

現代の諸相を覆う課題を克服し、道徳教育の推進に取り組むためには、正義感や奉仕の精神を育成したり、国・地域に対する誇りを醸成したりすることにより、道徳教育を振興するための体系的かつ建設的な取組が図れなければならない。国や県の教育行政の指導とともに、推進する主体は、直に子供達と直結する学校、家庭、地域社会である。

先の長谷川先生は、「人間を取り巻いているのは、学校であり、家庭であり、世の中全体です。ことに、人間としてどう生きて行くかというのは、家庭が与える影響がとても大きい。家庭のお母さん、お父さんがしっかりしていて、その背中を見て、まともに生きていったという人間もいるし、よく勉強ができたのに、家庭がルーズになって途中で崩れちゃったという子もいます。また、家庭はひどいけど頑張っている子もいます。そういう総合的な中で人格というものができていくのです」と述べられた。学校、家庭、地域が一つになって子供の魂に、私たちの魂がいかに働きかけるかということ。それは大変重い課題である。

□共通認識と「皆教師」としての地域活動

家庭、地域、学校がともに進めていく道徳教育においての共通認識とはなにか。福岡県が掲げる「福岡の教育ビジョン」の第一次提言の概要には、「子どもは、自然や社会と直接関わることによって、学ぶ意欲を高め、より豊かな知識を得る。そして、その学んだことを日常生活に積極的に活用することで、さらに意欲や自信を増し、学んだ知識をより確かなものにしていく。私たちは、学校だけに子どもの教育を任せたり、家庭や地域に責任を転嫁するのではなく、子どもが抱えている問題は、我々大人が行ってきた教育の結果である」という視点に立たなければならない。特に、『個性』、『自由』、『自由』などといった教育の基本に関する理念については、共通認識がなされているとは言えず、各々の考え方で指導が行われてきたきらいがあった。『個性』はそれぞれがもっているよさであり、『自由』は放縦とは異なり責任が伴うものである。また、『自由』は結果の平等ではなく、各人の違いや努力の結果を正当に評価する機会の平等である。これからの福岡を担う子どもを育てるには、教育における基本的な理念について共通認識を図る必要がある」とある。

責任感と公共心を身につける等、正しい「人の道」を共に追求する道徳教育社会の実現において、大人がお手本となることは当然である。そもそも、大人は皆子供を導く者であり、作家・新田次郎の座右の銘とも言われる「我以外皆我師」ならぬ、「皆教師」として、大人が見本を示すときである。常に「子供が見ている」という意識が大切だ。以前、ある料理店のシェフから聞いた話は大変興味深い。「ゴミを捨てない。信号を無視しない。挨拶をする」が大人の三条件という。「師弟同行」の趣旨で、子供達とともに大人も自らの向上の道を実践躬行し、子供に対して模範的に精進するものでなければならない。その際、教育のプロフェッショナルである教師が、先頭に立って責任ある社会参加を今こそ行うべきである。



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